今日は


前回のつづき




言葉(意味)の世界を


自分で捉え直す


「リハビリ作句」


について。





自由律俳句を作る中で


美しいと言われている言葉(意味)



その扱いは難しいんです




「桜」

「華」

「雪」


など




日本人なら


誰もが美しいと理解できる言葉って



世界観が安易に想像できる分




思考停止、感覚停止にもなりやすく



それ以上の世界に


しにくい




コード化された美(言葉)というのは



美的距離(あこがれ)が近すぎる分



その言葉から


別のイメージにするとか


新しいイメージを見つけるとか



しにくくしている




固定された到着地点を目指し


答えを共有するだけの


教育の限界が




そういうものしか選べない自分にさせる


そういうものしか作れない自分にさせる


そういう人生しか生きられない自分にさせる




「それを選んでおけば間違いないだろう」



みたいな安定感があるものばかり


食べていると



「自分で世界をとらえ、解釈を広げる力」


は衰える




答えに甘んじると


「世界が浅くなりやすい」


というわけ。




わかりやすい意味が


付きすぎている言葉


というのは




みんなが知っている


「ああそれ、綺麗だよねー!」


となりやすい反面




そこに引っ張られて


そこに留まってしまいやすい




覚えたその言葉、意味、答えを


当たり前のように使いすぎると



ワンパターンな世界から


抜け出せなくなる




そこではないところで


美を見出せなくなる




なので


いったん


美しい言葉や意味から


距離をとって




なんでもない風景の


日本語の名詞


一単語からでも



自分の力で機微を「見出す」


というトレーニングをする




既に知っているような


美しい景色ことばを


最初から狙わずに




景色をつくる


というトレーニング。




そこにある事実の世界を


言葉により写しとった


自由律俳句

(15文字以内だがなるべく少なく)




今日、創作した句は



『ビル影に土』



・ビル


・影


・土



という言葉を選択。




含まれている機微を解説すると、




「ビルの影に照らされている土」


という景色なのですが




ビルは

人工物、意味で作られた人間世界の象徴


影は

照らされているものの裏にできる

まだ色のついていないものの象徴


土は

昔からずっとそこにある

形ある命が生まれる前の生





ビル(意味)の


影に照らされて



見向きもされず


ひっそりと咲き続けている真美を


咲かせたい



という思いをその日本語から感じとる。





そんな感じで


既存の美しさから一旦離して



ちゃんと臨場感を感じとるための


リハビリをしております😆



参考書は、種田山頭火。






私の通っている


演技のトレーニングも



ジャンルは違へど


同じ感覚、同じ方向にしていくから



表現には共通感覚がある


ということなんだよな。




このマニアックさが


臨場感につながる。