おはようございます☀



今日も

マニアックな内容でいきます。




いま私がしているのは

日本語(とくに名詞と形容詞の種類)

を覚えています。



で、その日本語の

言葉の風景と

別の言葉の風景とを

掛け合わせて


新しい風景(造語)を作ること。


その新しいイメージを

身体表現に変換する。



現実(意味の世界)で自由になるには


「意味を固定させないこと」

が大切で



それには

名詞(風景)を掛け合わせて

キュビスム的、コラージュ的に


頭の中の非日常で遊ぶこと

が大切なんだなと思う。



頭の中で

言葉による

新しい世界を

創作する



言葉の世界を広げることが

意味世界を広げることになり

それがひいては



世界に意味付けしているのは

人間(私)で

意味など、じつはない

いま感じているものがすべて


を理解させていく。



「これはこういうことだ」

と固定され、覚えてきた

一つの意味に



真面目に

頑固に

思い込みに

執着しているがゆえに


見えている世界が苦しいのであって



それを外すには

瞑想(そこにあるものに対しての感覚集中力をつけるトレーニング)

をすると同時に



ジュルレアリズム的に

自分の中にある意味世界を崩すこと

が近道であると考えました。



意味とは、すなわち言葉


「言葉(意味)のボキャブラリーが

その人の世界をつくり

規定しています」



そして

言葉のボキャブラリーのなさは

奥行きの単純さになり


その人の世界(風景)を

つまわらない風景(世界)にしている

とも言えるわけです。



表現力の核はじつは言葉で


言葉から感じとれる世界(語彙力)が単純だと


それは表現の「内容」に現れるよね😆



表現手段の練習だけでは

限界がある。



だから

新しい言葉(新しい意味、風景)を

覚え、つくりだすことで


見えている世界を広げ

新しい感覚で感じとれるようにしていく。



日本語の語彙力を増やして

その組み合わせによる

新しい造語の創作。



日本語による

シュルレアリズム風景表現。



その言葉風景を

絵画の技法を入れての

身体表現にする。



そのやり方が

自身には合っているのかな

と思っています。



ピカソ


日本語というのは

一つ一つの言葉の中に

含まれる意味が多く



「機微(きび))を

感じとりやすい言語です。



「呼吸」

という単語ひとつでも

含まれる意味(風景)は多様で



例えば


深呼吸
緋色の珊瑚



「緋色珊瑚の深呼吸」

という造語(新しい風景)を

作ったとして



深呼吸に含まれる意味(イメージ)

緋色珊瑚に含まれる意味(イメージ)

を掛け合わせたら

 
新しい風景ができるでしょ?



意味として明確に理解できなくても

なんとなくそこに含まれる

ニュアンス(機微)だけで

感じとることが大切。



奥行きを含んだ言葉の組み合わせは

自身が理解できる意味の世界を

超えさせる(広げる)力があるのです。



そういう行為

体験、体得が

アートなんです。



自身の現実にはなかった

新しい味わい、景色、風景を

つくることができます。



普通は混ぜないものどうしを

同じ場所に合わせて

新しい景色、新しい味わいにする。



多様な意味を含む日本言葉の

シュールレアリズム。



アーティストの役割とは

お客さんや関わる人を

新しい景色につれていくことにある。




重なりの中で


生きて(みえて)くる景色もある。



意味は

理解してもらうために

あるのではなく


本来は世界に意味などなく

「世界とは感覚だけだよ」

ということがわかるためにある。



その「感覚(イメージ)の自由さ」

を手に入れることが

創造性に富んだ表現力になる。



そのために日本語をまなぶ。

美術も学ぶ。