今日は

最近勉強していることを

私にとって理解できる形にした

まとめ、備忘録



プチマニアックな内容です😆



西洋、東洋、日本

その違いを

思想から理解する。




「違いによって意味を理解する」

というのは


西洋的な理解の方法

です




私達が当たり前のようにしている

「これと、これは

こう違うから

こういうものだ
こういう意味だ」

という理解は



比べる対象、関係性があって

はじめて意味になり

成り立つもの。




比較によって


それが何なのか

私とは何か

など

理解していく方法です。



それは

西洋的な発想なんです。




関係性から意味をつけ

理解していく

というのは


日常を便利にしている反面

それ以外のものの捉え方に

なりにくくしていて



過去、未来

価値なども

考えてしまうがゆえに


ストレスとなり


それが生きづらさ(勘違い)にも

つながっているわけ。



だから何でそうなっているのか?

を理解するために



まずは西洋(哲学)を

理解する必要があった。




西洋は

まず言葉(自分との関係性)ありきで

その意味を定義してきた。



人間が論理的に認識できる範囲で

より良い意味(概念)とは何か?

を求め



「未来」を作ってきた

という歴史があります。



しかしその

論理的に

意味で理解することには

限界があり



比較による意味の定義

の範囲内でしか

理解することができない。



言葉(意味)による理解の限界を

超えられないので

行き詰まる。




では、東洋はどうか?


東洋(日本を含む)は



答えは既に示されている

というスタンス。



仏教、儒教の影響がつよく


見えない答え(教え)は既にある

という前提で

生活を営んでいるような

ところがあります。



明確な言語化や証明はできないが

なんとなくみんなが

その教え

を信じていて



既にあるそれは

今も変わらず


「答えは(過去から)すでにある」

というのが前提で

世界を理解していくスタンス。



では

日本はどうか?



日本は

答え(意味)などない

というスタンス。



日本は

インド、中国からきた禅が

文化芸術、道という形になり

「広まった国」です。



禅は

修行、思想、水墨画、書、庭

茶道、◯道、俳句など


日本文化の成り立ちに

欠かせないもの

になりました。



で、一般にまで広まった

禅のスタンスとは



今そこにあるもの

そこが全てである


という発想が前提としてある。



意味(言葉)で

今を理解するのではなく


そのまま

それだけを見なさい

という発想がある。



自分が主体でもなく

神や概念が主体でもない


今ここに在るものが主体。


その事実(自然)の中に人はいて

過去も未来もなく


今の変化に

言(の)葉をつけたら俳句になり


自身もその自然の中に含まれているような感覚がある。



過去も未来も

自分(という概念)もなく


「今そこにある」

という実感だけがある

(それが生きるということだ)



そういう禅の発想が根付いたのが

日本なのです。



西洋、東洋、日本を

どこを中心に捉えているか?

という基準で

比べるならば😆



西洋は

未来(よりよい答え)を求めている



東洋は

過去(すでにある答え)を求めている


日本は

今(答えなどない)を求めている



日本の禅の感覚は、

言葉(意味)や

偉人や神の教えなどとは


別発想。


いま目の前にある感覚を

ありのままの美(生)として

「とらえさせる」センスなのです。



発想が今までのやり方
考え方と違うものは

つかむのに

時間かかるわ。