おはようございます♪



今日は


久しぶりに実家に帰ります。



ちなみに明日はここで踊ります

https://meijiza.jp/





昨日、また


気付いてしまいました。




自分がキレやすい部分よりも


発見するのが難しい部分に。




でる感情が薄いため


無意識にやってしまいやすい


自分の「人に合わせ嘘つき」


について。




レッスンを受けてるとき


友人と話しているとき


物を売ってる人と接するとき


など



相手の言うことや商品に


とりあえず


Yes


となりやすい自分がいます。




日本人っぽいと言えば


日本人っぽいよね。




例えば


講習会の講師に対して


占い師に対して


姉御肌、兄貴肌の人に対して




絶対の自信を持って


「ほら、ね、効果あったでしょ!」


「まだ、あなたにはわからないかもしれないけれど、わかるようになるわよ!」


「私の言った通りでしょ!」



って強く言われると


その後、めんどくさいので



「そうですね」


と言ってしまうんです。




本当は


自分の感覚では


微妙なのに




「知らない奴


わからない奴だと


思われたくない」



という気持ちが



「はい


なんとなく


わかります」



と言わせてきた。




否定すると


「レベルの低いあなたには


これがわからないのね」



っていう顔をされ


他のベテラン参加者も


そう見てくるので


(正確には、そうされたように感じる)




そこにプライドが


耐えられないんです😆




その人、その場を否定するのは



ジャイアンに喧嘩をふっかけるくらい


エネルギーを使うことになります




人に話を合わせることは


優しさだと


言われることもあるが




それは


それ以上関わらない相手に対してだったり



自信の持てない相手に


自信を持たせるためだったりする。




そうではない場合、



自分にとっては


「嘘つき」


になっているんです。




例えば


有名な料理店で


自信満々で作ってくれた人の


料理を食べて



「不味いです」


とは言いにくい。




正直に


ここが不味かった


と(心の中で)言うにも


勇気がいる




自分の感じた感覚を


そのまま


言葉に出すって



無意識に難しいんです😆




自分にブロックがかかり



「その場の答え」に


安易に


自分を合わせてしまう。




それをしてくれている人の


心意気と



自分の感じた気持ちとを


混同してしまいやすい。




お酒の味がわからなくて


苦い


って感じても



それがその人の


感覚の正解ですよね?



お酒の味がわからなくても


別にいいわけなんですよ


本当は。




自分の味覚は


不味い!


と言っているなら



不味いという


その感情は


すべて正解。




相手の土俵

相手の時間内


にいるとき



「私はそうは思いません」

「私にはわかりません」


って言うのは



相手の否定をしてしまうようで


どんな空気になるのか


想像したら怖い。




その場の順調な流れを止めてしまい


流れの逆をいく行為は


エネルギーを使うし



面倒くさいことには


なりたくないからね😆




だから


半分嘘つきになるんです。



私も人に教える時が


たまにあるんですが




教えている時間の


先生って


「半分裸の王様」


なところがあるよね。




それを作っているのは


教わる側の


自分に対する嘘つき




「この人、押し付けがましいなぁ」


「本当はよくわかってないんだけどな俺」


「わかってないことを笑われると、ムカつくなぁ〜」



という


自分の正直な気持ちが


私の


心の奥に生まれていたことを



この歳になってようやく


理解できてきたようだ。