自己不安

が強い私は


出来事、物事の捉え方が

偏っていたりします。



こういう人は「絶対に」許せない!

とか

やたらムカつくこと

やたら凹むことなど



人や出来事(世界)の

捉え方で

いちいち不安になりやすい。



最近、

世界の感じ方って


その前提となる自分の捉え方が

そう感じさせているのだな

とわかった。


(先生達よありがとう)



自分自身が

世界(捉え方を)狭めていて


そこで決めつけている

良い悪い(ジャッジ)は

ネガティブ系行動力も引き出すが


フラットな自分ではいられず

生きづらくも させる。



これは良い人
これは悪い人

これは成功
これはダメ



良いか悪いか

という捉え方は

自分(の思い込み)が

決めつけています。



それが極端に、

ワンパターンに、

毎回同じように、


定まりすぎてしまっている

頑固な私は



すでにその感じ方が

定まっているがゆえに


何を見ても

考えても

答えを出しても


最終的には

同じ(同じ質の)答え(気持ち)に

なってしまう。



これは悪だ!
これは善だ!

の前提が

変わらない

その中で答えを出すので


同じような結果(感じ方)

になる。



だからその頑固な自分の

見ている世界(前提となる感じ方)を

変えるのは

難しいのだなと思う。



ワンパターンなその気持ちにさせる

思い込みが

どこか


まず

発見するところが

難しいよねー、



自分だけでは

ここに気がつくのは

無理なんじゃねーかな。



「これはこうだ」

という決めつけ(思い込み)で


感じ方の幅や

選ぶものが

ワンパターンになっている


だから

自分の世界(人生)は

変わりにくい

のだなと思う。



不安な気持ちが強い人は


不安を持ったまま

何かを解釈することになる


私の場合

「野蛮は悪だ」
「野蛮は醜い」

という思い込みが強く


人間のそういう部分に強く反応する世界にいる。


欲望に任せて食べ物を食べる姿とか

行き当たりばったりの行動をしてる姿とか

貧乏で不器用な人の姿を


目にしたときに


強い嫌悪感で反応する自分がいる


(だから綺麗なものに憧れてしまい

幅が狭いのだが)




私の世界は

出来事や、生活の中で

人のそのような部分が

目につきやすく


自分の中のそのような部分を

気にしやすい

世界にしている。



例えば、

赤色の車🚗が気になる

という人は


赤い車が沢山

目につきやすい世界となり



「やっぱり世界は赤い車ばかりなんだなー」

「赤以外は車とはいわない」


みたいに

赤に反応した

赤色の世界となる


選択肢が少なくなり

偏った世界が見えているんです。


この世界はカオスであり

捉え方が空。



起こる出来事はすべて

自分の色メガネで

解釈することになる


偏りすぎていることで

幅が狭い人生になって

我慢した感覚
生きづらい感覚

になってしまうのが

デメリットなんだろうな。


偏った見方ほど

表立っては口には出さないし


自分が目を背けたい

汚いと思うもの
タブー
正義

苦手



に感じるものほど

臭いものにフタをするように

否定して見ないようにしてしまうし


知りたくもないと

隠してしまうから


その偏っている部分は

他人にもわからないので

指摘されないし


自分もそこに気がつきにくい。



「ムカつくもの」

「見たくないもの」

が多い人ほど


いちいちジャッジに反応してるのが

世界の見え方を

しんどい(生きづらい)ままに

するんだよなと思う。



その色メガネを基準に

物事を考えることは


そこで、いくら考えて

理論的に納得をしていても

その答えの大元の質は

変わらなかったりするんだよね。



「すでに自分の中にある頑固な答え」


そのジャッジ(良い悪い)で

自分も人も感情も

当たり前のように決めつけている部分がある。



その幅の狭さが

生きづらさを作りだす

原因となる。


私の中にも

生理的に怒りを感じやすい人や

振る舞い、出来事

というのがあって


過去の嫌だった経験からくる

トラウマなんですが



そのジャッジの中で、

いくら考えて納得しても

答えの方向は同じで

変わらなかったりする。



悪は、悪だろ、当たり前だろ!

みたいに

「過度に」

捉えちゃうんですよねー。


それだと

「今」をただ捉えることが

難しくなる。


◯◯恐怖症と同じで

怯えやすく

焦りやすく

怒りやすい

って


ちゃんと今を五感で

把握できてないわけよ。



これはこうなんだ!

当たり前だろと

思っている「枠の中」の自分は

それでは超えることができないよね。



身についたそのプライドが

自分の小ささを作り


テンプレート的で

自由な発想を生み出せない頭にしている。



ありのままを味わえない世界

にしている



「前提となる物事の捉え方」が

世界の見え方、自分の選択を

ワンパターンにする



その色メガネの範囲のものだけが見えて

それをこれからも選んでいく
(引き寄せていく)



その発端の

捉え方自体を


まずはフラットにする。



そして

フラットの感覚で


プラスにもマイナスにも

自由に捉えることが出来れば


幅が広めの

楽しい人生に

していくことも可能なんだな。


(表現力のトレーニングでも

同じことやってるんだけどな😆)



真面目な人ほど

「これはダメなこと」

「これは汚いもの」

「これは悪いこと」



こんな人はダメ

こんな自分はダメと

思い込んでいるのよね。


有りな幅が

じつは狭くて

頑固



捉えている世界が

フラット

になりにくい



許せないことや

落ち込むことも多く

生きづらくなるし



その不安は

何をどれだけ手に入れても

なくならないのよ。



まだ不足

まだ完璧ではない

こうじゃないと綺麗ではない



「不満を言い出したらキリがない世界」

になるよね。



自分が

世界の幅を狭いものにしている



ではどうやったら

その狭い捉え方を

ちょっとづつ広げることができるか?



最近、本気で教えてもらったこと。


次は自分のために

そこを書こうと思う。