今日は


私の人生の課題の一つ



「エネルギーの出し惜しみ体質」


その改善の話。



なぜそこを改善することが必要なのか?




生物は


飢餓状態では


エネルギー消費を抑え


蓄えを少しづつ使って


生き残ろうとします。




ケチる発想で


生き残ろう


とするわけです。




その行動は時と場合では


間違ってはいない



でも


どんな時でもそれが


ベスト?


というとそうではない。




自然も生物も


「循環しなくなると」


死ぬからだ。



循環が活発なことが


エネルギーが高いこと


だとすると




自分のことに対して


労力、時間、お金を


出し惜しみをしている


ということは



自分の循環は少なくなり


エネルギーの流れが少ない人生に


結果的にしてしまう


ということになる。




そこに流れようとする


すべての


労力も、時間も、お金を


ケチる



受け身の発想で


生きてしまいやすくなる。




例えば、スーパーマーケットで


「あのシャインマスカット


美味しそうだから


たべてみたいなー」


と思っても



値段が2000円するから


という理由で


選択肢しない


とする。




誰かにいただいたものか


奢り以外で



自分では食べたいと思っても


それをしない



を繰り返してきた


自分の好きに


リスペクトがない生活は



そのうちにだんだん


自分が何をやってみたかったのか



感覚のアンテナも


わからなくなる。




日常から自分の好きなことや


自分自身には


労力、時間を使わない


循環の小さな人になっていく


ここが最大のデメリット




お金は「とられるもの」「奪われるもの」


と思っていると



労力、時間も


誰かに「とられるもの」「奪われるもの」


という


ネガティブ、受け身のイメージに


なってくる




そのエネルギーを


「自分から使う」


というイメージにはならない。




この先何があるか、わからないから


今ある蓄えのみで生き


やりたいことを、やらない




お金、使わなくてよかったー


無料だから


ラッキー


という問題じゃないんだよね。



労力、使わなくてよかったー


時間、使わなくてよかったー


に置き換えたら



この考え方がいかに生活を


楽しくないものにさせるか


わかってくる。




生き残り本能に従う


ケチな生き方は


貧乏体質にさせる。




「自分の生き方に」


エネルギーを使わない


受け身に怠けた


出し惜しみな自分にする。




そんな自分だと


自分からは外と関わらないから


エネルギー循環は


おこりにくいよね




ダイエットに失敗する人と


同じ体質にしてしまっているんです。




なるべくエネルギー使わないように


生活してたら


体脂肪は使われないし


循環しにくい体質にもなる



人生もあれと一緒。




お金、労力、時間も


エネルギーとしたら



ケチって使わない


エネルギー出し惜しみ体質の人は



自分へのリスペクトがない


と同時に



その自分に関わる人へのリスペクトも


面と向かってしなくなるよね


デメリット




大元の自分自身に対する


リスペクトが少ないのに



その自分自身の周りにある物や人を


重要だと思えるのか?




現代においては、


当然


損な人生になるよね。



エネルギー出し惜しみ体質


これを改善したい理由



そこが今


ちゃんと納得できる形で


わかって良かった。



ここからだ。