私の思う

一歩先にいける

お金の使い方

というのがあります。


それは

失敗費


失敗費は

ドキドキした勉強費

チャレンジに対しての代償

とも言い換えれます。



何かがわかるためには

とことんディスカッションして

自分との違いを

理解「していく」ことが必要ですよね?



既に知っている場所、人、答えの

選択肢の中で

ものを考える(選ぶ)のは


リスクをとらずに

自分の家や庭から出ないのと

一緒なんですよ。


リスクもない代わりに

新しいことを理解することもない。



ディスカッション行動とは

知らないことをわかろうとするために

他、他人と関わること。


リスキーなチャレンジで

すごくエネルギーを使うこと。



知らない場所、人と関わると

当然、迷ったり、上手くいかなかったりします


その上手くいかなかったことや

違いの理解を通してしか

人は成長しないんだなと思う。


で、それには

受け身ではだめで


失敗をおそれずに

どんどん自分から

 
「それってどういう事なんですか?!」

って遠慮なく言う(聞く)姿勢がいる。



恥をかくことをおそれない

喧嘩になることを恐れない


エネルギーが少なくなることを恐れない


「そんなことも知らないの?」

「あなた間違ってるよ!」

「残念、失敗したねー」


葛藤がおきることを

当たり前とする



その違いをとおして

自分を、世界を

理解しにいくって


事を荒立てたくない日本人からしたら

リスキーな行動なんです。


その

事を荒立てたくない精神


エネルギー使いたくない精神が


視野を広げる邪魔をする。



ぐいぐい対話してみて

とりあえずそこに行ってみる



で、違うものほどチューニングは

合わないだろうから

最初のうちは失敗しますよね。


失敗した時とは

「自分が何かを知りつつある時」

なんですよ。


「一歩先に進むこと」を

成功(成長)としましょうよ。



自分の知らないことや

新たな自分を

一ミリでも手に入れる。



大人しい人からすれば

リスク

が成長に必要で


それには

想定外の出費

(お金、時間、労力)が

絶対かかってくる。



しまった!

一体どうすればいいんだ!?

そういうことだったのか!?


人は失敗の改善からしか

本当には何かを理解できない生き物

なんじゃないかと思っています。



「海外の知らない街で迷子になる」

あの混乱した感じが

人を成長させるわけです。


そこで使うお金、時間、労力は

無駄ではない

ということ。


「失敗費」

は無駄ではない。



そこにエネルギーを使った分だけ

結果的に、賢くなるでしょ?



自分の予想とのズレ

その味わいが

知恵(経験、知識)を手に入れる

ということ。


知らないものに

ディスカッションしにいくと

無駄だと感じるお金、時間、労力が

かかる


そこで起こる

想定外の混乱は


自分で考え、理解する

きっかけになる。


それがじつは

後々

生きてて楽しかったと思える経験となる。