学ぶとは

どんな感覚なのか?


学ぶとは

自分とは違う他人の力を借りて

別人になっていくこと。



それは俳優がやってることと同じで

自分とは全然違う他人が

どんな風に考えて

そうしているのか


そこに興味を持って

そこに自分を

近づける。


自分を離れて

他人になっていく作業

だと思う。


自分に無いものを手に入れる

ということは

自分から離れる力

が求められる。


舞台では

作品ごとに

別人になる。



衣装を含めて

同じものを使いまわせるわけではないので

コスパは悪い。



でもそのコスパの悪さに

借金してまで

チャレンジするのが

作品ダンサーであり俳優なんですよ。



人には

生理機能、本能で

恒常性維持機能(ホメオタシス)があり

そこが働くので
 

良くも悪くも

一旦覚えたことを

横に置いておけない


「上手くいったこれを続けたら

この先も生き延びられるだろう」

と、保険内でいる


その本能が

新しいことを学ぶこと

(自分とは違う他人になること)

を邪魔する。



私の作品での踊り、最近

やっと沢山の人に

褒められるようになってきたんですが

(パチパチパチ)


それは

良いと思った天才ダンサーの

一部をコピーをして

集めてきたからです。


それは今も続いていて

作品ごとにその組み合わせを変えてるだけで


俺の、踊り

なんてものは

ない🤣



私の運や才能って

義足なったことにより

得たチャンスよりも


自分と違う他人になりきることに

あまり、抵抗がないこと。


全然違う他人の

持ってるものや

発想どうしを

掛け合わせて


新自分

とする。



独身で、お金と時間に余裕があっても

これ、やってる人は少なくて


身につけた

「一個の良いもの」から

離れられないのよね。


それは別業界、別ジャンルだから

自分には関係ない

とか思ってるが


いやいや

「全てはコントラスト」で

理解できるようになるし


違うものどうしのバランスで

作っていくと思うよ

(これについてはまた別の機会に書くとして)



恥をかきたくないとか

無理だとか

思っている人もいるけど


それ、結果主義に影響されすぎて

どう見られるかを気にしてる。


一番底辺のところで

大丈夫な自分を信頼していれば


何をやってもそれは

プラスにしかならない


エジソンの名言じゃないけど

たとえ上手くいかなくても


そのチャレンジは発見にしかならない。



見るべきは結果じゃなく

味わうべきプロセス


どんなにカッコよく見えても

完璧な人なんて一人もいないからね


憧れ、ファンタジーが邪魔してる。


カッコつけてる人は

失敗しないことばかりして

横(種類)は広げようとしないからね🤣


(あーでも俺も

踊り以外のことは

あまり広げられていないかも

と思いました🤣)



新しいことに

チャレンジして

いろいろぶつかりましょう


学ぶとは

他人になること

別人になっていくこと


そこでわかってくることの方が大切。


今日は半分くらい

自慢になったぜ

ハハハー🤣