今日は

上手さの半分は

発想

という話。



死ぬほど練習したら、上手くなれる


半分間違い

だと思います。


なぜなら表現とは

ただ思いっきり動けばいい

わけではなくて


発想が大事だから。

演出が大事だから。


体が硬くても

筋力なくても


どう踊るか?で

上手いかどうかは決まる

と思う。



生きることも

すべて選択であって


選択の違い

=発想の違い

で形は違ってくる。



例えば

力いっぱい踊るダンサーは


たくさん動けることが

上手いことなのだと

本気で思っています。


でも

そうではない発想の人もいる



いかにゆっくり動けるか

が上手いことだと思っている人もいるし


誰もしていない新しいことをしてる人が

良い表現者だと思っている人もいる


いかに黒人に近づけているかを

基準にしている人もいる。



発想が

その人の表現を形作っている

わけです。



その人の

「これがカッコイイということ」

その発想がそのまま

演出、動きに現れてくる。



動かしている体の部分
その強さ
そのスピード
使ってる曲
衣装

に現れる。


あるレベルからそれ以上

上手くなれない人は


「新しい発想を覚えられない人」

だと思います。


例えば一つの発想として


車は

最高速度や馬力が高い車

値段が高いものが

よい車で、スペックが高い

ということか?


という質問に対して


それは人それぞれ

好みが違うから

なんとも言えない


が答え

だと思うのです。



どんな車に乗りたいか?

どんな運転をしたいか?

どこで走り(使い)たいか?


そこの違い

なんじゃないの

と思う。



まず問うべきなのは


どんな車が好きで

どんな運転をして

どこで走り(見せ)たいか?



そこが定まっていて

そこに近づけていくことが

練習だと思います。



だから

車も踊りも

運転する人次第だろ

って思います。


当たり前のことなんですがね!


どのようにそれを操りたいか?

その発想だけで


運転が変わる
動かし方が変わる
車も変わる
場所も変わる


発想が変わること

明確にすることは

それ自体が

上手くなることなんですよ。



例えば

踊りが上手い人は

ずっと動きっぱなしではなく


「動きを、しばし待つ」

ということが出来るんですが


それって

動きを足すだけではなく

引き算する

って発想が必要なんです。



沢山練習したから

出来るようになるもの

ではなくて


その「あえてやらない」

という引き算は



経験や知識で覚えた

「発想」ですよね。


動きの練習を繰り返して

出来るようになったものではなく


その発想を手に入れたから

余計なことをしなくなり

それが出来るようになった


そういうものなんです。


頭の中のイメージは

体の動きや表現と

一致してくる。


上手さを左右しているものの

半分は


いま自身がイメージしている

体の使い方や表現の

「発想」


そのイメージ次第である。