おはようございます☀



今日は

嫌な想定外こそ価値がある

という話。


ここ数年

人生が変わるような出来事や
 
出会いが次々におこりました。


その中でも

嫌だと感じたものほど

自分を変えていく。


精神的に参ってしまい

誰かに相談しても


「そんな当たり前のこと

知らなかったん?

それお前がアホやで」


と言われたりするのですが


知っていること
知らないこと


知識ではなく


「なぜそうした方が良かったか?」

と後から理解する

経験だと思っていて


その経験は、人それぞれ違う。



あなたが

箸を使うように当たり前に

理解していることも


私はまだ理解してない

ということもあるし


逆に

あなたが理解してないことを

私は当たり前に理解している

というものもあり


そこが違うだけ。


で、結局は

自分が経験して

発見して興味を持って

改善したことでない限り


人は自分のやり方(生き方)を

なかなか

改めようとしないんですよね🤣


いつも偉そうにアドバイスくれる

おばちゃんも


チャレンジして失敗して

知らないことだらけで生きてるの

理解した方がいいよ! 笑



で、話を自分に戻すと


人は

知らないことを理解するには

非常事態になるのが手っ取り早い


そこでやっと

解決策を考えだして


解決できない問題は

反省して考え方を改めようと

しだす。



想定外を経験しないと

人って考えないし

変わらないんだなと思う。


想定外の事態になり

自分が損をしたと感じたとき


「あれはたまたまイレギュラーで

運が悪かっただけ」

という解釈をして


知っている範囲の

「想定内で収めたい」


という気持ちが働くんです。


そうすると

その経験を

無かったことにしてしまう。


自分にそれを解決する能力は

無かったことを

「知る機会」を無駄にする。


自分にとって新しいこととは

想定外のことである


想定外とは

思っていたように

いかなかったこと

それ全般をいう


よくいるのが

「精密機器トラブルは自分のせいではない」

と言う人🤣


家電ではないその精密機器を

使わないといけないギリギリに

使おうとする人は


「あれー おっかしーなー」

って不具合になる


精密機器の特徴をよく知らない人は

家電みたいに電気さえあれば

すぐに使える、いつでも使える

と思っているので



不具合に対して

突然使えなくなった!

って思うわけですよ。



その想定外に遭遇して

困り、解決する経験こそ


勘違いに気がつく

唯一の方法


wifiが入りにくい

エレベーター、地下、走っている電車の中で

スマホやPCで

大事な作業をしてはいけないですよ🤣



「まだ知らない自分に必要なこと」

を知るのは

大人になっても

づっと続く。


それを


たまたま運が悪かったとか

相手が悪かったとか

特殊なケースだったという

解決にしてしまいやすい。



いやいや


「想定外だと感じること」

はすべて

自分が知らないことで

必要なアップデートポイントだから


その社会不具合ポイントは

時間の問題で

いつか訂正されるし


それまでずっと

違和感を感じ続けるわけなんですよ。


いづれその課題や違和感に

わかりやすく「ぶち当たる」


そういう意味で

想定外だと感じる経験はすべて

自分が招いてます。


人間が

そこに適応して生きていくには


想定外の出来事で

過ちを受け入れて

発見し

アップデートすることが必要。



人生を狂わすぐらいの大損害をしても

社会に悪人がいる、のではなく


あれはただの毒キノコ的な生き方で

「生存方法」が人それぞれ違う

という

多様な世界なだけなんですよ。


良い悪いはない

なんでも。


自分に

自身の危険を察知する力や

適応する力がないだけ。


アップデートが必要なのに

気が付かずに

してこなかったから

強制的に自然現象が起こっただけ。


想定外はすべて

必要自然現象。