おはようございます☀

今日は大阪にて

新舞踊の舞台に出演です。


たった一曲なのに

緊張しちゃうわ🤣


今日の舞台は

私のチャレンジであり

実験です😎



で、今日の内容は


伝説の、一流と言われる人に

いかに近づけるか?

という考え方について。



今の私は

その一流と比べて

どのくらいなんだろう?


という部分で

自信を持ったり

自信を無くしていないか?



比べられる世界にいる人はよく

有名な人の名前を出して

「あの人はこうしていた」

って


その形を、その美学を

目指そうとします。



そしてそれを

世界一の「最高の芸」だと

思っているようなところがある。


それって

そうではない人のことは

最高、ではない

と言っているようなもんだよ🤣



「その類いの一流しか知らない」

のも伝わってますし🤣



その人を尊敬していて

目指している方向が同じで

やっていることを真似するのは

私もやってますよ



目指すと

学ぶは

違いますよ。


その考え方、表現が好きなら

それを世界一と言わずに


「私はその考え方が好きなんですよ」


と表現しましょうよ!



いつまで受け売りで

コピーしてるんだよ!


私は

アートをつくる人は

自分オリジナルな美学を

持ってほしいと思っている。



30歳を過ぎている人は

よく考えてほしいのですが


人それぞれみんな

違うものを

目指してるんです



「自分はこう思う」

「これが好み」

「これに、チャレンジしてみたい」

でいいわけです。


そのために必要なことを

誰かから学ぶのは必要で


その方が

「自分に無いものを理解するまでの時間を
短縮できるから」


一流が神であり

答えじゃないよね


すべてのものは

ただのアドバイスだよね🤣



自分のことは

自分で決められる


だからこそ

できるだけ

「選択肢の幅を増やす努力」は

しなくちゃいけない。



経験してきたことぜんぶを

ジャッジせずに

ただの種類として見たときに


それらぜんぶを

有りだと

許せるようになること
 

それが選択肢を増やすということ


そのためには

一つ一つある程度深入りして


「どうしてそうなっているのか?」

その中身、理由を知ること

が大切で


人であれば

自分とは違う人生を歩いてきた友達と

深い話をしないと


その人の葛藤を含めたこだわりは

理解できない。


その理解の幅が

選択肢になるし


組み合わせると

「応用力」になる。



こだわりとは

その一種類のものの見方に

固執すること。


それは

「その他を知らないことからくる」


自信がないのも

「自分のことをちゃんと理解したくない」

という理解不足からきていて


そうなると

「一本の定規」で見る

しかなくなる。


例えば

高級チョコレートと

駄菓子のチョコ


それを比べて


値段の違いだけで

こっちの方が価値が高いとするのも

理解不足なんだよね。


ちゃんと考えてはいない。


絶対に

高級チョコの方が

すべてにおいて良いものだと


言い切れるか?


という風に

ちゃんと疑問を持って

考えないといけないんですよ。


一部分が

全て

ではないことは


ちゃんと理解したらわかるよね。


駄菓子と深い友達になれたら

そうは思わないよね 笑


どんなものにも

値段だけではない

思いや歴史があるわけ。



一部分で

自分や他人を見て


良いものと

「それ以外」

と決めつけるのは


いまの自分の中でしか

理解していないし


そもそも値段だけを見て

良い悪いを判断するのは


視点を誘導されすぎでしょ?


別の視点

どのくらいありますか?


別視点にいつでも切り替える

「勇気」はありますか?


っていうのが試されている。


新しいものの見方

新しい価値を見出すのが

アートの基本だと思う。


とくにコンテンポラリーダンスは

作者になることができれば

ゼロから作っていいダンスになる


私もその考え方を基に

自分を作ってきた。


でも

フラットな自分をつくり

そこに価値を持つことは

人生の基本でしょ。


劣等感、コンプレックスに

さいなまれながらも

自由を模索し続ける。


価値、見方は

試して、発見し

信じて、作って

壊していかないと


結局、面白くならないでしょ。