おはようございます☀


昨日は知り合いの日本舞踊の会を

観に行ってきました。




見ながら気がつくことって 

けっこうあって。



ダンス、舞踊をしているのに

感覚が閉じているままの人って

けっこういます。


私もそうなんですが


私より閉じてる奴が

山ほどいることに驚くし


こうなるのは普通なの?って

少し安心もするんです🤣



何のために踊るか?

その目的の一つが


「動かされること」
「役を演じ踊ること」

を通して

強制的に


音楽を感じる

周りを感じる

人を感じる

という


感覚、行動スイッチを

入れること


非日常を通して

自分が変わるのが楽しく

生きてる実感がする


そういう面白さが

ライブ芸術にはあるから

なんだと思う。


で、

普通にお客として見ていて

「印象が良い」と感じる

ダンサー、役者、表現者が

どんな人かと言うと


「感覚が閉じてない人」

だと思う。


ダンサー、舞踊家が

同業者を見るときは

体のコントロール

を主に見てしまうのだけど


一番見ないといけないのは

そこじゃなくて


コミュニケーション的な部分の

「印象」
 

長い目で考えると

一番の才能って


動きのスキルじゃないと思う🤣


誰の前でも、いつでも

正直な「感覚」で

いられる力が

一番大切。



動きの才能を上回る才能

というやつです。


ジャンヌダルクのように

本当に強い人というのは


今、目の前にあるものに対して

感覚を

シャットアウトせず

逃げない人。


「繊細かつ大胆」

という言葉

あるじゃないですか?


あれって

武道の達人のように


「どんな状況でもちゃんと

相手のことや周りを

感じている」


集中を途切れさせない力

のことです。



刺激に負けて

考えだしたら

相手や周りのことは

察知できなくなる。


そうなると

とたんにそこにいる相手は

疎外感がでて


不自然、違和感に感じる


相手に対して

感じること

集中を

途切れさせない力


この力が

日常でも非日常でも

働かせられる人が


自然な表現力が出る人なんだと思う


で、私は真逆で

軽いコミュ障

軽い自閉症

なんですよね🤣


ビビりで人が怖くて

頑固で、真面目で、

感覚をシャットアウトして

自分を守りがち


なんですが、


自分の何かが変わるんじゃないかと

舞台に出てイベントに参加して

行動力のある人についてきて


誰かの力、機会、役の力を借りて

石橋を叩くように

そこを少しづつ広げてきました


いま思えば

そうやって「非日常に依存して」

日常では満たせない感覚の

バランスをとってきたんだと思う


で、そろそろ

感覚をもっと

開いていいんじゃないのか?

と思う。



そんな私を含めて

舞台芸術系のダンサー、舞踊家は


踊っているのに

「感覚が閉じている人が多い」

と感じる。


舞台に上がって

人に見られたら


感覚が閉じちゃう人

多いんですよ🤣


間違えないように

成功するように

頑張ってるわけなんですが


いつまでもその

クールさが

カッコ良いと思っているのか


どう動こうか?とか

良い動きをしようとか

本番でも


構えてしまうクセが

抜けない。


日常だと

相手を目の前にしても

良いセリフはないかと

構えながら


考えて喋っている人

みたいな印象になる。


シャイになってしまうんですよ。


で、シャイな人って

「気持ち」を話すことが

怖いし恥ずかしいから


結局

印象が悪い🤣


見ているお客さんが

どんな人であろうと


目の前にいるその人が

素直で正直な気持ちを話してくれるから

感覚が開くわけなのでね。


どんな素晴らしい動きができても

そこを鍛えていない場合


相手の目を見て、正直に

向き合えない

弱い感覚の人は


いつまでも残念な印象になる。


だから私みたいに

人間不信、人間嫌いで

軽い自閉症でコミュ障ほど


トレーニングが必要なんです。


そこを早いうちに気がついて

変えていける人は


踊りの印象も良くなるだろうし

いろいろチャンスをもらえたり

するだろうし


人生違ってくるよね🤣