こんにちは🌞


今日は

充実したメンタルは

直感がしたいことを優先できるかどうか

という話。



直感は

そもそも誰かに見せるもの

ではないので


正解とか

上手とか

より良い形

というのが、ないです。


感じた直感を形にして

出すかどうか

それだけです。


(誰かに迷惑をかけないもの

であることが前提ですが)


私は子供の頃から

自分の好きなことを

自分が責任を持って

形にして出せない人でした。


いつも

誰かのしたいことに乗っかったり


他人を巻き込みながら

自分がしたい形にする人に

従ってしまっていた。



安心

という実感がほしくて


それが

自分のやりたいことで

自分がしているのだと

思ってきた。



「あなたと共同で」作りたい

と言われても


でも結局は

「それはダメ」

「こっちの方が良いから変えといたから」

「あなたはこうしていればいい」

という様になり


じつは相手のルールの範囲内から

抜けてはいなかったんだと

徐々に気がついていく。


でもそうなる原因は

子供の頃からあって


本来の自分の気持ちを見て

それを言葉に出すことが怖くて


自分はこれがしたいんだ!

というのを

形にして

出してこなかった。


評価されないものであっても

「私はこう思いました」

って

怖くて責任を持てなかった。



そこを優先して

出せない人は


大人になっても

自分の答えに

じつは自信がなく


正解ばかりさがして


余計な誘いに乗ってしまう

みたいなことになっている。


そうしているうちに違和感を覚え

痛い思いをするまで


この部分のことを考えないのです。



いま日常の中で

何かを自分が決められる部分を

どのくらい大切にしているか?

を考えてみてください。


私は

本当に自分の直感で

何かをしている部分が

じつは、少ない人です。


自分が

「選んでいる」

と思っているものも


じつは

「AかBかどっちにする?」

「絶対にこっちの方が良いよ」


みんなが知っている答えの選択肢の中で

その中から選んでいるだけで


本当に自分の直感が

「感じたことを形にして出せる人」

ではなかったりする。


レストランで出されたメニューの中で


お腹が空いていないにも関わらず


「お昼、何にする?」

って言われたら


メニューに中から選んで

じゃあこれにしますって

無理無理決めてしまっていたし


お昼ちゃんと食べないとダメ

みんな食べてるから


みたいな生き方をしていたんだな

と思う。


誰かのルール内にいると

本当に今の自分の直感を

純粋に形にして主張することは

難しいと思う。


表現する手段のお勉強は

必要なんだけど

そのお勉強のやり方を間違えると


テンプレート化した

既に決まっている答えの中で

すべて当てはめようとする

頑固な人になり


直感的なものが見れない人

になっていく。


一見、自由に見えるアーティストでも

様々で


観ている人に発想の自由さを

提供できる人もいれば


覚えてきた答えに近づける形で

追求している人もいて


どちらもアーティストと言われるから

アートの何が大切な部分なのか

なかなか広まらない。


本来のアート、本来の生き方は

「一番の正解は自分の直感」

という実感が大前提だと思う。


そしてそこには

「他人や誰かの正解を入れてはいけない」


自分自身の、神聖な部分なんです。


例えそれが

いわゆる美しいものではなく


お客受けもせず

評価もされないもの

だとしても。


「自分のただの直感の好み」を

どれだけ大切にしてきたか?

なんですよ。


見本や答えがない部分


そこをまず、人として

大切にしていないと


「自分が、生きている」

という実感は感じにくい。


誰かに許可をとる世界

誰かの答えを作る世界に

どっぷり浸かっていると


一流だとか二流だとか

自分より上手いとか下手とか


そういう正解の部分を

気にしちゃう人のままなんですよ🤣


直感の自分のこと

をまず見てないから

自分に自信がないし

自分のことが好きになれない


挫折するし

友人の数に関係なく孤独になる。


そして

誰かのアドバイスや知識を

自分に活かすことに

不器用になる。


「何が正解なの!?」

みたいな。


安心を、自信を

自分の答えを

最初から誰かに委ねるなよって話🤣


人それぞれ違う

魅力って

誰にでもあるんですが


直感の部分を大切にしていないと

このことも

いったい何のことだか

わからないと思う。


「でも結局、答えはあるからね〜」

みたいな


意味わかっていない状態のまま

生きてしまうんだよね🤣


幼い頃に友達や親に

駄菓子屋で


「えー、〇〇ちゃん

そのお菓子、不味いから

やめときなよー」


って言われたから

それを選ぶのをやめたとか


「こっちの方が良い物だよ」

「これが正解だよ」

って親に言われてそうしたとか


そういう時期に

おそらく無意識に

「最初に直感を選べない弱い自分」

にしてきたんだと思う


そこが始まりだったんですよ。


協調性を身につけるという名目で

みんなの正解に合わせることが


手っ取り早く

不安を無くせる方法であり

コミュニケーションでもあった。


そこに合わせないと

弱い自分一人では(子どもの自分では)

生きていけないから


直感を無視してきた。


自分が選ぶものと

周りの人が選ぶものとを

同化させすぎて


直感が求めているものと

知識で身につけた

良いとされるもの


その区別がつかなくなってしまった。


ここは美味しいお店だから

高級だから、希少だから


「良いものだから」

という理由で選んでいる

みたいな大人になります。


いわゆる「上手い踊り」を

常に見せようとしちゃう人も同じで


自分の気分にちゃんと聞いて

そうしているのか


答えに近づけているだけなのか


わからなくなってないか?


それって本当に

自分の感覚にきいてから

それをしているか?


世界に誰もいなくなっても

それをするのか?


ちなみに私は

自分の直感を大切にしてきた人

ではないです。


弱いから

答えに合わせてきた人です🤣


日常や仕事では

誰かに許可をとらないといけない仕事

が多いし


自分の直感を大切にする人ではなかった



「これが正解だから」

その延長では

どれだけ答えに近づいても


その答えと自分との違和感によって

直感(自分)を幸せにできないよ。


答えと自分を比べて

こだわってきた

「幸せそうではないベテラン」が

なによりの証明です🤣


自分を大事にする意味を

ちゃんと理解できないまま

死にたくないでしょ


人生

答えに流され

答えに苦しみ

答えに生きてしまいそうになる


そんな

優柔不断な弱き人


自分(の直感)に無責任な生き方をする

私みたいな人🤣


そういう人に向けて書いてます。