昨日は神奈川県、茅ヶ崎にいました。





ピアニストの中村天平くん


相変わらず


素晴らしいエンターテイナーです。




今日の記事は


観ているお客さんが

思わず見入ってしまうとき


そこには何が起こっているのか?!

についてです。


「お客さんのピントをボヤけさせない」

そんな表現について書きます。


見ている人が

どう見たらいいのか?

に迷わないためには


表現する側は

迷う人であってはいけません。


その表現者が

何を思って
何をしているのか
何が言いたいのか

そこに対する思い


そこに対してのイメージが

強くハッキリしていればいるほど


見ているお客さんは

表現をハッキリと捉えることができます。


そこが浅いと

「何がしたいの?」

ってなりやすい。


そういう意味で表現とは

決断力、構築力、集中力が

試される。


表現したいことの

中身、感覚が

ハッキリしていると


お客さんは

そこに対する表現の濃さに

見入ってしまいます。



「無題」というタイトルでも

その人が潜在的に思っていることが

ハッキリ出ていれば

良い作品になる。


その人の

さらけ出しているドラマを

そこに感じて

共感することが出来たら


見ている人の感覚、感情は

満足するんです。



専門的な部分を見ていない

フツーのお客さんというのは

そこで良し悪しを判断するので


ぶっちゃけ

表現の手段とか形

振付とか

何でもいいんですよ🤣


迷いのない感覚とドラマを感じれば

満足なので。


時間をかけてきた

思い入れのあるもの


それをライブで集中している感覚を

感じとると


黙って見てしまうような

説得力になる。


ただ綺麗な動きをしただけ

みたいな

「ドラマの浅さ」が見えると


そこに対して思い入れがないのが伝わって


見ている人も

どこに感覚を集中させたらいいかわからずに


感覚が働かず

ボヤけるんです。


一つの何かに対する強い意思を

演者が示して

リードできないと


お客さんの集中力は引き出されず

引き込まれないのだな

と思いました。


見る人のピント(感覚)が

ハッキリするかどうかは

出演者自身のピント次第。


フツーのお客さんは

上手いテクニックというより

その人から発されるドラマ

を感じにきている。


ライブで発されるその感覚に

見ている人は

自分の感覚を共鳴できて


非日常の集中状態に

なりたいと思っている


迷いのない表現が

自分の感覚も

迷いのないものにしてくれるから


そこに期待してワクワクしている。


本気の決闘、喧嘩に

見入ってしまうのと同じ。


本気で一つの何かに向けている姿は

一つの世界をつくる。


だからカッコいい。


そこに全身全霊でフォーカスしている

人間の姿

が見たい。


そういう臨場感を作れる事が

心に残る

最高のエンターテイメントなんだろうな。