おはようございます☀


今日は

久しぶりに

メンタルの成長について

書きます。


今日の内容はすべて

私のことです。



誰かのせい

事故のせい

など、


そのせいで私は

こうなったんだ!


と考えているということは


主導権

原因が

他人や外にあると思っている

わけです。


この考え方って

一般的なんですが、

当たり前にしてしまうと


「本当の自分の事を理解できないまま」

成長できなくなる


そういう考え方だよな

と思っています。


他人や外のものに原因はなく

「そことつながる自分に原因がある」

それを変えたいなら


原因(自分)が繋がることに任せつつも

より良くなるために

変えた方がいいところは

変える必要があるということ。


例えば、

よくケガをする人

がいるとします。


その人は

「床が固かったからだ」
「たまたまタイミングが悪かった」
「元々体が弱く生まれたせいだ」

みたいに毎回言います。


じゃあどうすれば

その人は

ケガをしなくなるか?


それは

取り返しのつかないくらいの
大きなケガをして

嫌でも注意するようになること。


「もしかしてケガする原因って

俺にある!?」

「もう、あんなケガしたくない!」


って本当に思えること。


ケガをしないような自分へと

やっと

変えていこう

とします。



「これになったら

やっと気づくやろ

変わろうとするやろ」


ってものを

潜在意識が無意識に引き寄せている。


非常にシンプルな答えなんですが

これが

自分の身に「ふりかかった事」になると


その原因は自分のせいではない

と思いやすいため

こんな簡単なことさえ

感情がわからなくさせます。


だから時間をかけて

理解していく必要がある。



この出来事、この出会いは

自分が引き寄せた


そこから勉強し

結果的に自分にとってベストな方向に

向かわせるため


潜在意識が選んだ

最良の選択、出来事

改善ポイント。


ベストな方向にいくのに

敵味方、善悪の区別は

ないからです。


え!

まじで?!


俺って

そこなの?


そこを改善しないといけないの?!


って

自分の知らない自分の部分に気づいて

理解することは

人生で一番難しい。


「絶対に違う!あなたに何がわかるの!」

と全否定して、悪者をつくり

敏感に反応して

自分を守る

その部分こそ


「そこを通してより良い状態に

改善していける

一番弱い部分」

です。


そこ

「受け入れる余裕がないと」

向き合えないです。


見ないようにして

シャットアウトしている部分が

改善ポイントで


気が付けない

という意味で

引っかけ問題みたいなもんです。


最近

「人を呪うより

自分を改善することの方が

楽である」


って思う。



他人のせい、何かのせい

そういう風にしてしまうと

楽だと言う人もいるが


それって

「自分にコントロールできないこと」

だから

本当は苦しいです。


当たり前のように思ってきた

こうなったのは◯◯のせい!

という被害者意識では


呪うしかできなくなるから

苦しいんですよ。


その人、その事件、事故を

引き寄せた

その原因、理由は


「己の潜在意識にある」


なるほど!

俺ってこういう性質なんだなと


現在の自分

境遇、気持ち


引き寄せたあれこれを

善悪抜きにして観察すると

わかってくる。


引き寄せているものはすべて

自分に必要なこと。


その中でも

「おい、いい加減、この部分

改善しないと

このままでは

生きていけないよー」


という意味で引き寄せている

「今までも何度もぶつかるもの」

があるでしょ。


これ

自分を受け入れる許容量がない人は

理解に時間がかかる。


良い悪いの価値観や

プライドが邪魔して


この部分がなかなか

理解出来ないのよね。


起こっていること

出会っているもの

それが


どんな内容でも責任を持ち
 

それを引き寄せたことに対して


「これを引き寄せている俺って

もう懲り懲りだわ」


本当に思うこと。



「インパクトがある事が起こって

言い訳出来ないくらいに

自分の何がいけなかったんだろうと

否が応でも反省し


取り返しのつかないくらい

わかりやすく苦しい状態

にまでならないと

理解できない事ってあるんです

自分を守る人はとくに」


そんな自分を認めて

改善していくことって

本当に面倒くさいんです。


「自分で選択した自覚」が

ないからなんだろうね🤣


だからなかなか

納得できないわけなんだけれど


すべて

自分の深い所から来ている

という事が

少しづつ理解できるようになってきた。



誰かや、何か

外のものに対して悔しくて


そいつを、なんとかすれば

解決するんだ

という感情を持つより


それを引き寄せ続け

繰り返す私って、嫌」

という強い気持ちから


そっちの改善をする

という考えの方が


自分次第であり

改善が可能な

コントロールなのです。


誰かのせいだと考えて

コントロール不能で苦しむより

じつは楽なんです。


いま目の前にある現象はすべて

自分の潜在意識が

引き寄せたもの


よりよく生きるための

痛みを伴う最良の選択

改善点

と理解できたら


今後の自分のために

その責任をとろう

そこを変えよう

という行動がとれるようになる。


引き寄せたネガティブな自分さえ

自分なんです。


そこを含めて

「すべてで私」

と捉えられることが

本当の自己肯定なんですよ。


だから結局、生きていくって

目の前にある

「自分の課題に集中していたらいいだけ」


それがどんな形であれ

自分を生きていくということ。


自分の中にある性質

そこに向き合って生きる

ということが大切なんじゃないか。


道徳で教わった

テンプレ的な正義や悪は

外の世界の常識であって


それを物差しにすると

ここはわからなくなる。


俺が悪いんじゃない

◯◯のせい

何故かというと

っていうプライドは


自己肯定感の少なさからもくるが


自分の引き寄せたものの責任

「その無自覚さ」

からもくるのだな。


上手くいかない自分にも

ムカつく誰かにも

向き合えることが

信じるということだ。