前回のつづき。


表現の原点に戻るシリーズ、


文章では説明しにくい内容なので

これで終わりにしようと思います 笑



起点の大切さは、

舞踊してる人

とくにソロで表現をする人や


小ホールなど

お客さんと近い距離で

表現する人には

必要なことだと思っています。


これを読んでいる

可愛くて貪欲な子達のために🤣

まとめとくよー。



起点

そこが明確に表現されているから


そこから、

どうなったのか?


そこから、

どこに向かっているのか?


そしてまたそこに、戻る


という

わかりやすい表現となるのです。


原点、起点が見えることが

表現の基本であり

そこを基準に

幅を出す。



それが

一貫性のある

「安定感ある表現」

になるんです。



どんなジャンルでも

いまの等身大の自分の

直感力(感覚)を優先できるのが

本当の意味でアーティストなんですが


純粋で正直だと

野蛮に見えるところもありますがね🤣


「それを食べたいと思ったから、

箸もフォークも使わずに

そのまま手で食べちゃった」


みたいなことを

レストランでもしてしまう

みたいな人が

アーティストでもあるので。


(そうなっている自分を

感覚として客観視できていて

誰かに迷惑をかけてなければ大丈夫)


でも

そういう人の素直な表現が


それを見た人の中に眠る


純粋性を引き出すんです。


それがアーティストの役割。


(と、上野さんも話してました)


人で例えると、


あまり頭の中で考えず

感じたままの感覚で

馬鹿正直に話す

憎めない人


いまの自分が感じたことに正直になり

そのときの気持ちを伝えられる人。



見た目でいうと

「素朴で、自然体で、キャラがあり

人間くささを含んでいる」

という見え方になります。



純粋な感情、感覚が

起点から純粋に湧き出ている

その姿をみた人は


自分の中にもある

純粋な部分を思い出し


そして

「その感覚わかる〜、これ私だ」

って


あなたの純粋な部分に

自己投影し、自分自身を重ね

感動(共感)をする。



でも

起点にある

自分自身をすっ飛ばして


取ってつけたように

理想の何かになる

飾りつけの表現では

それが出来ないのです。


見た目カッコ良いものの真似

だけをしても


純粋な部分は動かせない。


だからアーティストは

起点の純粋さを大切にして


表現の中でも

「いつでも素直さを出せて

なおかつ維持できる人」

でないといけない。


時が流れ

どんなに経験をし

スキルを身につけ変化をしても


純粋な起点は無くさず

そこからの変化が見えるもの


いつでも起点に戻れるものでなければ、


それはただの

とりあえずのデザインであり

そこにリアルのない表現になる。


みんなが憧れる理想の形だけを

唐突に見せているだけにすぎない。


最初からただ綺麗なものを

作ろうとするだけでは


人の根本的な感覚、感情を

揺さぶることはできない。


起点ありきで

・そこから、立ち上がるエネルギー

・そこから、向いてる方向

・そこからの、変化のプロセス


を見せる。


初まりの自分

その感覚を

止まってちゃんと直視しろ


大事にしろ

維持しろ


起点はずっとそこにあるもの。


等身大の起点を持ちつつ

表現できる人が

本当のアーティストであり


一貫性のある表現を作る上で

すごく大切な事なんだよって


上野さんと話したり

参加者にアドバイスしてる

その言葉一つ一つを聞いていて


私が受け取ったものです。


This is me


等身大の自分


起点そのものと


まず向き合え。


ありがとうございました!



また参加しよ!🤣