今日は

人や物を理解するときに

カテゴリーとして理解する

のではなくて


目の前のそれをちゃんと認知しようぜ

という話。



これ

人と比べることで悩んでしまう人

には

すごく大切なことなんです。


自分が居るカテゴリー内で

自分の位置はこの辺だ

みたいに考えちゃってると


このことが一生わからずに


死んでいくことになります🤣


私も、つい最近

ようやくこれが

実感としてわかるようになり


人生がまた変化しつつあります。


大人になっていくと

その人を見ているんじゃなくて

その人のカテゴリーを見ている場合があります。


感じるよりも先に

それが何なのか

カテゴリー分けして当てはめて


それを理解した気になってないか?


何かを見たときに

それを早く理解して

安心しようとするあまり


頭で考えて

「そのものを、ちゃんと見てない」

場合があります。



それって

女性をみてすぐに


「美人」or「ブス」

って決めつけてるのと同じくらい

その人をちゃんと見ていない

って事。


ちゃんと見てから

私はここが嫌いとか

この部分は好きとか

なるはずでしょ。


「これの答えはこれ」

「あなたは◯点」


みたいに

答え、結果を

すでにあるものの中から選ぶとか


何なのか、すぐにわかろうとする

そのクセ。


そのパターン、その理解のしかた

が問題。


自分のわかる

テリトリー内のもので

安心しようとする本能が

人間にはありますからね。


目の前のそれを

まず体験するよりも前に


自分の知っているカテゴリー内で

決めつけて安心してしまいやすい。


体に良いもの、体に悪いもの

敵、味方

どっちだ?

みたいなのも

2択のカテゴリー分けで

ものを見ているということ。


目の前に

肌の黒い人がいたとしたら


名前やどんな人かを知るよりも

「黒人」

みたいに

人種でカテゴライズして

「わかった気になってないか?」

ってことです。


◯◯大学だからこの人は

頭が良い人

とか

思ってないか?


食べログ1位だから

ここは美味しい店だ

みたいに


実際に自分がたべてみて

どんな味で

どこが好みかどうかもわからないうちに 

カテゴリーで決めつける。


思考停止ならぬ、感覚停止で

じつはあまり関心も持たずに


本当に自分が選んだものかどうかも

あいまい。


自分が、気に入ったお店のことを

友人が


「あそこのお店

そんなに美味しくないらしいから

やめといた方がいいよ」


って言われたら

いまの自分の選択に

自信が持てなくなる

みたいな。


カテゴリーで理解、選択をしている人は

周りの影響で

「くつがえりやすい人」

でもあります🤣


「信頼できる誰か」の好みや

「信頼できる何か」の答えを

自分の答えにしている人は


自分が信頼できる大きなもの

がないといけない人

なんですよ。


それを

わたしが選んだ

みたいな勘違いもしている。


あと、

自分の感覚で選んでいる人も
 
それって変化しているので


いつまでも自分にとって

絶対的に良いもの

ではない。


その時に美味しいと感じたものは

時間が経ち、フォーカスが違ってきたら


いまはあれが美味しくない

となるのも普通。


美味しいもの(良いと言われているもの)は

いつでも美味しいもの

ではない。


カテゴリーで

理解を終わらせていないか?


カテゴリーは

既にあるそれの簡潔な答え、結果

という「知識情報」なので

早く理解できるのが良さですが



美術館でアート作品を鑑賞する時も

作品説明を読んでいたら


自分が感じる感覚は

鈍りますよ。


詳しくなるのは

今の自分の感覚でそれを見て

好きになってからで

いいと思いますよ🤣



自分とは何者なのか?を

カテゴリーで理解してしまうのも

同じね。


私は

「このくらいの美人」だとか

カテゴライズの中で考える人も

自分のことをちゃんと見てない人🤣


どんな人も、どんな物も

知っているカテゴリー内には

収まらないから。


踊りも同じよね。


知ってるカテゴリーですべて

理解できると思っているところが

現代病なんですよ 笑


沢山の人
沢山の物
沢山の情報

と関わる時代なので


それは何なのか

どれが最高のものなのか

という答えを

すぐに理解したくなる。


でも

目の前の

一つ、一人、自分と向き合って

ただ、どう感じるか?

の時間をとる


そういうセンスで感じたら

「何かに当てはめて比べることで

凹まなくなってきます」


その感覚を持って

マイペースの認知を働かせて

ちゃんと選んでいることが


自分の感覚がブレない


ってことだよ。


自分の目で

細かい部分まで

しっかりそれを見て

感じるってこと


そうすると微妙な違いが出てくるから

全員マイノリティーな選択に

なるはずだよね 笑


一人一人完全に同じ感覚ではないから。


ゲームで例えると

効率良く敵を倒せる

最強のキャラが一番良くて

そうではないキャラは

「弱いから」選ばない

みたいなセンスに近い。


ゲームとリアルな人生との違いは

より良いものを早く手に入れて

「クリアーするためのものではない」

ということ。


ちゃんと感覚を働かせたら

もっと寄り道だらけの

多様なものですよ。


良い悪い、上下ではなく

人に何を言われようと

今の自分の感覚で


これは好き

この部分は嫌い

って


選ぶことに

堂々としていればいい。