「岸」が敗戦後日本に「暗黒社会」を造った | 未来を語る新宿老人党

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 1.岸信介」の再スタートは、「巣鴨のお仲間とご一緒 

信介は戦時中、満州国の高官として東条内閣での商工大臣を歴任した実績を誇るトップ官僚であり、東条の「懐刀」だった。したがって当然彼は「A級戦犯」となり、巣鴨に拘置された。しかし、米軍の「米ソ対決」への路線転換に乗って、「反共政策に協力する」との司法取引によって訴追を免れた。その後、巣鴨のお仲間だった読の正力松太郎とともに、敗戦後の日本の基盤を造った。さらにそこでは、笹川良一、児玉誉士夫などのお仲間がカネの面で岸を支えた。

・なお、231部隊の石井部隊長は訴追されなかったが、戦後米軍の化学兵器開発に協力させられた。また石井部隊の流れが抗がん剤を開発し、日本の医療学会でのがん対策を誤まらせた。

・1960年安保のトキには、全国各地のヤクザを山口組、稲川会、住吉会などの全国組織に改編し、ウラから反政治派の弱体化を謀った。また、韓国の反共団体である勝共連合の育成にも協力し、暗黒日本を造ってきた。

・岸は安保改定を結んだ跡に「民意を無視する強権主義」が米国から拒否され、急に退任させられた。「昭和の妖怪」という異名をもつ特異な政治家だが、その政治姿勢は「反共」と「強権」であり、その遺伝子が孫の安倍晋三に繋がっている。


 2.「岸人脈」が今の「自民党保守派」 

・岸はもともと山口県出身だが、私は実は日本は明治維新以来、山口・長州藩が「権力」を握ってきたと理解している。たとえば歴代総理57人の中で、長州・山口16%;9人と最も多い。政界では、実弟が佐藤栄作であり、娘婿の安倍晋太郎を支援し、その息子(孫)の晋三が総理になるなど、まさに権力者一家だ。また政治家として愛弟子の福田赳夫の後見人として存在感を示し続けた。石川出身の森喜朗も、岸の恩義は生涯忘れられないと述べている。


 3.「岸」が造ったウラ世界」 

笹川良一は、戦前から右翼団体・国粋大衆党を結成し、飛行機や飛行場を軍に献納するなどによって軍人に知己を得た。児玉誉士夫が一時部下にいたこともある。A級戦犯容疑者として巣鴨プリズンに入獄したが、アメリカの方針が180度変わり、釈放され、アメリカに協力し、右翼活動を再開。李承晩や蒋介石らと共にアジア人民反共同盟、世界反共同盟などを設立。

また、公営競技である競艇事業の利権を一手に握り、その益金を使って、自民党の有力者のスポンサーとなった。同時に、特に海外でのさまざまな社会奉仕活動にも積極的に貢献してきた。国内では「一日一善」とか、「戸締まり用心、火の用心」のおじいさんとしてイメージもある。これらの「偽善的」とも見られる積極的な「善行」イメージ広報によって、ノーベル平和賞受賞を狙ったが、結局は失敗した

児玉誉士夫チンピラ右翼だったが、旧海軍からの資産を上海から引き上げ、ウヤムヤの内に鳩山自由党の結党資金として提供したり、河野一郎三木武吉岸信介中曾根康弘らが首相になる際にもその影響力を行使した。

1960年の安保闘争の際には、岸は、安保闘争の拡大を阻もうと、ヤクザ・右翼を使って運動を阻止しようと諮り、その世話役として行動している。このトキの結集によって暴力団は、それまで各地での博徒だったり、港湾地域での人容れ稼業であった「一地方組織」だった山口組や稲川会を中央の政治権力者;岸と組むことで、「全国組織」に急成長させた。財界も「株主総会の民間警備員」として暴力団を雇い、トキに地方自治体は行政に不満な住民を恐喝する役を担わせた

・要は、岸は「権力」の裏には「ヤミの恫喝」が必要であることを熟知しており、「オモテとウラ」を抱き込んだ「妖怪」だった。


 4.岸は「韓国」での、「反共派づくり」にも貢献 

・渋谷区南平台にある岸邸の隣には統一教会があるがここと国際勝共連合は、表裏一体の関係にあって、宗教を名乗っているが、実態は霊感商法印鑑商法高麗人参販売などのカネ儲け・サギ商法であるとバレていた。の設立には岸や笹川児玉らが協力した。

なお、勝共連合は米国では共和党の有力資金支援団体と知られており、その豊富な資金力は自民党にも多大な影響力を誇っている。たとえば、いまの安倍を支える日本会議の有力な資金源になっているらしい。また、これらの保守派議員公設私設の秘書送り込まれており、これらの議員は、勝共推進議員と呼ばれている。実は、このメンバーが今の安倍を支える日本会議の議員とダブっている。


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