ANDY HUG | 新宿歌舞伎町 キックボクシングジム OPEN 18:00~5:00

新宿歌舞伎町 キックボクシングジム OPEN 18:00~5:00

夜6時~朝5時 深夜もトレーナーがいるので 安全・安心・親切指導 未経験者歓迎 入会金無 初回体験入会60分4000円(事前ネット予約3000円) タトゥー可!  東京都新宿区歌舞伎町2-2-10 東新宿駅2分 shinjuku.gym@gmail.com 新宿スポーツジム

熱出してしまい道場には行けませんでした。
当時のにっきも出てきたので載せておきます。

 

2000年8月24日

アンディー・フグ急性前骨髄球性白血病により死去。


当日はいつものように練習をしようと道場に自転車で行くと、

道場入り口に張り紙で本日休館と有りました。

中には人が居る様子だったので中に入ると記者会見でもしそうな感じでした、

何か様子がおかしかったのですが練習できそうにないので、

試合前と言う事もありミットを借りて新宿スポーツセンターで練習しました。

練習を終わりミットを返しに道場に戻ってくると、

とんでもない数の報道陣が居ました。

その時ちょうど知り合いの道場生が練習に来ましたが、

道場が閉まっていて暇そうなので一緒に食事をしていると道場生の電話が鳴り、

アンディーが死んだとの事を伝えられたのですが、

全く信じられませんでした。

そうすると自分の電話もやたら鳴り出し、

自分に確認を求めたり、

詳しい事を聞いてこようとして来てはいるのですが、

自分でもよくわからないし、

お盆に道場で練習している姿を見ていたので信じられませんでした。

そして自転車を取りに道場前に行くと、

報道陣にやたらインタビューされましたが、

多分放送されていないでしょう。

実感の無いまま帰宅しましたが家にはテレビが無いので、

お店に行ってスカーパーのニュースを見ていると、

トップニュースの扱いでしたがまだドラマでも見ているようでした。

仕事中もお客さんからいろいろ聞かれるのですが、

全く報道以外の事はわからず深夜や朝に、

ニュース番組をチェックするしかありませんでした。

それも繰り返しているだけで特に新しい情報も無かったので、

どうしても信じられませんでした。

翌日も昼過ぎからもちろん道場に行きましたが、

さすがに練習どころではありませんでした。

2時過ぎはいつも練習していてあまり人が居ないのですが、

今日に限っては道場生も多く集まっていました。

本部からも多くの幹部や選手が集まっていていました、

第一道場にはアンディーの遺体が棺に入っていました、

そして線香を炊き(地元以外の葬儀や通夜は初めてなので方式が違ってどうしていいかかわかりませんでしたが)

手を合わせました。

棺に入っているアンディーは小さく見えました、

顔はまるで寝ているようで、

いつ起きてもおかしくないように思えました。

そしてしばらく横のいすに座って来る人たちに挨拶をして、

仕事が有るので帰って来ました。

26日はお寺での通夜でした。

待ち合わせて行くと凄い列でこれじゃあ入れないよ、

と思いましたが中まで入れました。

少し遅くなりお寺の入り口くらいで挨拶などを聞いていました、

この頃からやっととんでもない事が起こったんだとアンディーが亡くなった事を実感し始めました。

27日は葬儀で今度はお寺の中で話など聞けました、

献花式で行われ認めたくないのかあまり気が進まなかったが、

前に押し出されるような形で、

最後に棺にも花を入れ最後のお別れ。

リングアナが最後にアンディーのコールをして、

クイーンのウィ・ウィル・ロック・ユーで棺が担がれ運ばれた時にはさすがに胸が熱くなった。

その後はボーっとしていた。

誰にでも死は訪れ、

避けられない事だけれども、

早すぎた。

今自分はアンディーより年上になってしまったけど、

中途半端だ。


今までは無くなってからの事書いていましたが、

その前から何故か本人自体が予感していたかも?

6月はk-1ファイトナイトというアンディーがスイスでやっている大会で、

スイス国内引退試合を行っていました。

この年あたりから正直疲れやすいように見えましたが、

精神力だけで休まず練習、

この頃から雑誌の取材後などにやたらカメラマンに頼み、

他に一緒に練習していた仲間たちと写真を撮ってもらったりしていました。

そして現像が出来た写真にサインとメッセージを書いてくれました、

そのメッセージが英語とはちょっと違うけど、

「グッド・ラック」となっていた。

7月にも試合がありましたが

ダメージが無かったこともありすぐに練習。

お盆も1人でサンドバック叩いていました。

お盆が明けて道場にアンディーが居ないので、

k-1でデビューはしていませんでしたが、

練習仲間のジェフに聞いたところ入院しているとの事、

そして目を逸らされましたが、

まさか死に至るような病気だったとは。