日本がアメリカに戦争を仕掛けたとされている第二次世界大戦ですが、その戦争責任者(犯罪者)は、東条英機氏他と思われています。

 

 しかし、実際には全く異なった姿が見えてきました。

 

大東亜戦争

 一般的に『日本は太平洋戦争で近隣諸国を侵略した戦争犯罪国であり、アメリカにより敗北させられた』というのが多くの日本人の歴史認識ではないでしょうか。

 

 しかし、これは、戦勝国が一方的に作り上げた歴史です。

 

 当時、アジア諸国の多くは、大英帝国(イギリス)の植民地でした。

 

  しかし、植民地解放戦争である「大東亜戦争」(太平洋戦争)の結果、欧米の植民地であったアジアやオセアニア諸国の独立を実現させ、差し違える形で大英帝国によるアジア植民支配を終わらせました。

 

 欧米諸国に支配されていたアジア諸国にとってみれば、日本は植民地支配から解放してくれた「恩人」にあたります。歴史認識というものは、その立ち位置で違ってきます。

 

東京裁判

 太平洋戦争での敗戦の結果、極東国際軍事裁判(東京裁判)で、戦前・戦中の指導者28名が「A級戦犯」として罪に問われました。
 

 ところが、罪に問われた28名の中に海軍の指導者は1人も入っていませんでした。

 
第二次世界大戦は、陸軍と海軍の権力争いでもあり、陸軍はその闘争に破れてしまったのです。次は、東京裁判の判決が出た翌日の新聞1面。

伊田チヨ子さんtwitter

 

 東京裁判は足掛け2年も続きましたが、結論は最初から日本国有罪と決まっていました。

 この裁判においては、
国際法ではなく連合国が決定した裁判所条例に従って裁判を進める事が決められ、連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサーが首席検察官や裁判長の任命権を握り、判事も裁判所条例に拘束されました。

 そして、マッカーサーはこの裁判を平和に対する罪(A級)、人道(殺人)に対する罪(B級)、一般の戦争犯罪(C級)の3つのいずれかで日本国を裁くように命じ、これ以外の判事の見解を認めませんでした。

 つまり、判事たちは日本に対し有罪の判決を下す事しか許されていませんでした。

 

 ただ1人、インドから派遣されたパル判事だけが東京裁判の裁きは、連合国が勝手に決めた裁判所条例ではなく従来の国際法によるべきであると主張し、東京裁判を無効とし日本国無罪の判決を出したのがパル判決書です。

 

東條英機

  次の動画は、東京裁判での東條英機と判事とのやり取りの様子を描いたものです。

  

 

東條氏が天皇について述べたところを抜粋すると、 

 

ローガン弁護人
木戸侯爵が天皇の平和へのご希望に反して何か進言したという事例を一つでも覚えていますか。

東條英機
そういう事例はもちろんありません。私の知る限りにおいてはありません。

のみならず
日本国の臣民が、陛下のご意思に反して、彼是するということはあり得ぬことであります。

いわんや、一般の高官においては。

判事
あなたは、今の答えがどういう意味を持つかは分かっていますか。

コメント
 
日本人は誰も天皇に逆らって何かを成すことはないという証明である。それは戦争を始めたことも天皇の意思に従ったものだったのかという疑問を引きおこした。

 

 当時、天皇が日本の絶対的な権力者であり、天皇が戦争にGOサインを出した、と考えるのが自然です。

 

 また、東京裁判でベルト・レーリンク判事は次の言葉を残しています。

『日本人の被告はみな立派な人格者ばかりであった。特に東條氏の証言は冷静沈着、頭脳明晰で見事なものであった。』

 

戦犯は法務死

  東条英機の孫娘である東條由布子氏が戦犯の扱いについて、述べている動画を紹介します。

 

  昭和28年8月3日の衆院本会議で戦犯の赦免に関する決議を採択し、巣鴨プリズンに拘束されていた戦犯を日本の責任において全て釈放しました。

 

  「戦犯の刑死は法務死(公務死)である」とする国会決議(恩給法の改正)が、旧社会党をはじめ衆参両議院の本会議でほぼ全会一致、議席数の95%以上の議員が賛成して可決しています。(1955年)

 

 極東国際軍事裁判(東京裁判)の判決は、サンフランシスコ講和条約の段階で無効とされ、サンフランシスコ講和条約第11条の手続きに基づいて関係11カ国の同意のもと、「A級戦犯」は昭和31年に、「BC級戦犯」は昭和33年までに赦免され釈放されました。


 刑罰が終了した時点で受刑者の罪は消滅するというのが近代法の理念です。

 

 その後、戦勝国に「A級戦犯」とされた者が、「国際連合」の場で大歓迎されました。

 

 つまり、「A級戦犯」という概念がデタラメであり、「東京裁判」なるものは、野蛮な復讐のための見せしめでしかなかったといえます。

 

 東京裁判自体が、国際法に違反したという事です。 

 処刑された7人は、名ばかりの「裁判」で貶められた戦死者であり、本来ならば、他の戦死者と同様に、靖国神社に祀られるべきでした。(7人は、太平洋に散骨されました)

 

戦争責任

 戦争はどのように進められていたのかというと、天皇臨席のもとに元老、主要閣僚、軍首脳が集まって行われる御前会議で戦争計画が練られました。

 
 天皇他が、地図を見ながら、今度はここ行けと、あそこを攻めろ、と東條英機に指図する形で戦争が進められました。
 
 ところが、鬼塚英昭氏によると『御前会議で決まった最高機密情報は、次の日にはアメリカが内容をすべて把握していた。それは、吉田茂のグループが、アメリカに電報を打って知らせていたからだ』という。
 
 これが事実だとすると、戦争そのものが茶番劇だということになります。
 
 実際、天皇含めた参謀組織が、指揮統率をとっていたのですが、最終的には、陸軍大将の東条英機ほかに、戦争責任をとらせたわけです。
 
 それでも、東條英機は、天皇に対して敬意を払い続けていました。 
 

東條英機の遺言

  ネットを検索すると、東条英機の遺言が、数多くのサイトで掲載されています。ここではyoutube動画を紹介するにとどめます。

 

 

  今後の日本のあり方、平和への願い、米国への食料の供給その他の援助についての感謝など、処刑される前にありながら、愛国心溢れる言葉を残しています。  

 

正しい歴史認識

 後にマッカーサーは『日本は自衛戦争をした』と述べています。

 
 東條英機も東京裁判で『日本は自衛戦争をした』と述べています。
 
 つまり、アメリカを始め、欧米諸国が、日本に戦争を仕掛けてきたので、自国を守るために戦ったという事です。
 

  

  戦後アメリカは、東條英機ほかの愛国者を処刑し、反日分子をマスコミ、政界、教育機関に送り込み、日本の弱体化計画を推し進めました。

 

  現在、日本で教えられている歴史は、戦勝国が作り上げたものです。

 

  靖国神社に眠っている英霊たちは、決して戦犯者ではなく、天皇による"命"の元、お国のために戦った英雄ともいえます。

 

  毎年、8月になると、政治家が靖国神社に参拝したかどうかがニュースになりますが、近隣諸国から感謝されこそすれ、とやかく言われる筋合いはありません。

 

  今後、日本が米国支配から抜け出し、そして再出発をはたすためには、まず、私たちが正しい歴史認識をもつことが大切です。

 

  本日も、最後までお読みいただきありがとうございました。