私の講義 | シンジのブログ

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しばらく忙しくてさぼっていました。

 

 

 

公共wifiに頼るしかない状況、4歳と6歳の子育て、音楽の仕事が週末に3つも4つも入っていると、かなり忙しいぜ。

 

 

 

 

クオーター制の大学では、試験もやりました。採点はまだww。

 

音楽の仕事で、指揮者としてあるアマオケで練習をしていたら、たまたま、大学の数学の学生がチューバを吹いていました。世界は狭いわね。

 

さて、私の授業評価アンケートはいつも「教員の情熱」というところが異常に高い。

 

情熱がなければ、教育はしないほうがいいと思うので、暑苦しくて悪いが、勘弁してください。

 

私は30代前半で、いったん大学教員をやめた。それは、教育に情熱が持てなくなったことと、来年も同じ講義をしそうになったからだ。

 

私は、教員復帰以降、毎年絶対に違う講義をしている。

 

活字にしておこうと思うが、絶対に分厚いものになる。

 

「2章と3章の好きな方を読んでください」とかいう感じになるからだ。

 

私の微積分講義は、今年ははじめてDedekindの切断からやった。その後は「函数論」といった感じで、複素変数の関数論をやる。指数関数、対数函数、三角関数について割と長く説明をする。(関数の漢字にはあまりこだわっていないので、ごちゃまぜですみません。候補で出てきたものを拒否しないので変な感じの漢字になります。)

 

毎年、対数函数からやるか、指数関数からやるか、雰囲気で決めている。「構成によらない一意性」を強調する。だから微分方程式入門を兼ねているわけだ。なんていい講義だ!(自画自賛)

 

先週は、Euler公式を説明していたら、いつもおとなしく聞いている優等生集団がざわついているので、「どうしたの?」ときいたら(わしの講義は私語だけは禁止なので)

 

 

「感動しているんです!!」

と涙を流していた。

 

美術作品と音楽と同じ、芸術なのだ。数学は芸術だ。文学も芸術だ。

 

芸術が大切なのだ。教育は芸術100パーセントが良い。

 

「役に立つもの」を重視したローマはほろんだ。

今、日本は滅びようとしている。

 

品川の東京海洋大学では、4時間しゃべりっぱなしだが、何も見ない。

 

「よくそういうことができますね」といわれる。

 

私が学生だった頃(1900年代に大学生だったのだ!)、先生方がみなそうしていた。マイクだけを持って教室に入ってくる数学の先生(哲学も)は、とてもかっこよかった。

 

数学は、大島利雄さん、戸瀬信之さんなどに習ってきた。

戸瀬さんは「私の受けた教育水準を維持します!」と悲痛な面持ちで宣言されていた。はじめから最後まで何もわからなかった。

 

駒場の哲学教室は黄金期だったと思う。門脇さんと高橋哲也さんはまだ助教授だった。

ほぼすべての哲学教師の講義を受け、大貫隆さんに古典ギリシア語と古典ラテン語を習った。私は神学は素人だが、大貫隆(神学博士)さんの研究室を訪れて、様々な対話をしたことが、私の精神的なバックボーンになっている。