判決 | 竹原慎二 オフィシャルブログ

判決


11月21日
長い長い戦いじゃった医療過誤裁判の判決が出た

終わったらブログで報告という約束じゃったから
ここにご報告します



裁判の概要をざっくりいうと

Aは自宅兼用のクリニックと都内大学病院の外来内科を週2担当の医師

俺とAは約20年前に知人の紹介により知り合いプライベートでゴルフや飲みにも行ったりしていた

ちょっとした体の不調があった時にはまずはAに電話をした
いわゆるホームドクター的存在であった



俺は平成24年の1月から頻尿と排尿時痛を感じAの診察を受けた

平成24年1月〜25年12月までの2年間分の俺のカルテには
Aの個人病院での記録11回〔電話診療も含む)
大学病院での記録7回分が残っていた


これ以外にも電話で相談していた


平成24年から1年半以上
Aは俺のことを膀胱炎と診断した

そこから前立腺炎に変わり
最後は前立腺肥大症と言われた


その診断のためにまともな検査はされていない



そして平成25年12月31日に俺は大量の血尿が出て
驚いてAに電話するとそこで初めてAの友達だという泌尿器科のB医師のとこへ行って診てもらえと言われた 
なんでずっと行ってるAの大学病院の泌尿器科じゃねーんだよー
と思いながらも年明けに言われた通り横浜にある中規模の総合病院へ行くとそこで膀胱癌が発覚した



平成24年の最初のAの診察は尿検査すらせず俺からの膀胱の不調を聞いて抗生剤が投与されるだけだった 


最初はクラビットという抗生剤が出されたが
それが効かなかった

薬を飲んでも症状が治らないので再診するとそこで始めて尿検査が行われた

だがAの個人病院で行われた尿検査は簡易的なもので肝心な白血球が測定できないものだった


そして尿検査で菌は発見されなくてもその後も
なぜだかAは膀胱炎だと診断し続けた


薬は6月にはフロモックス ロキソニンが処方されている


それでも良くなんないので7月4日はジェニナックになった


7月17日に大学病院に行った
この日の診察はAではない
Aに電話したら手配してあるから大学病院の方に行けってことだったので言われた通りに行ったのだがここでも診てもらったのは大学病院の総合内科のセンター長とかいう医者で泌尿器科ではなかった

そして7月23日Aの個人病院の方に戻り

この日のカルテには膀胱炎+前立腺炎は書かれていて
ミノマイシンという抗生剤が処方されている


8月4日にも個人病院に行った記録が残っていた

そして何故か8月6日のカルテに


「軽快」
と書いてあった


Aは俺が治ったっていうから 


ここで膀胱炎は完治したんだと言った



俺 治ったなんて一度も言ってないんだけどな



平成25年に入り段々 頻尿がひどくなっていった


次に受診記録があるのは大学病院のカルテで5月1日 

ここまで半年間病院に行ってないと言う事が判決に影響した



何回診てもらったって慢性膀胱炎言われていた
そう言われれば生命に関わる大病とは思わない

だから酷くなるまで我慢していた



再診した5月1日大学病院の尿検査が行われたが検査結果は紙でもらったことは一度もなかった

裁判になって初めて知ったがこの日、尿潜血+3が出ていた
だがAは「検査の結果、特に問題ない」言った

いつも言われるのは酒の飲み過ぎ 不摂生するな 加齢のせいとかそんな注意ばかりで

俺はその言葉を真に受けそのまま精密検査を受けることもなく放置してしまった 


だがその後も症状は酷くなっていく


8月15日 うちのジムの選手のボクシングの試合で韓国に行った時には俺のあまりのトイレが我慢できない様子を見て一緒にいた家族や友人からもこの頻尿は絶対おかしい 普通じゃない 帰国したらすぐ絶対病院に行って診てもらうべきと言われ

俺は8月23日に大学病院で再度Aの診察を受けた


そこでもカルテに記載されている病名は膀胱炎だった


1週間後の8月30日 
俺は仕事先からAに電話をした
薬を飲んで様子を見たがあんまり調子が良くならないことを言った そんじゃ別の薬出すからと言われたが今日は自分は一日中仕事があるから代わりに女房を行かせてもいいか聞いたらいいよって返事だったので代わりに行ってもらった



なのにAはなんということか
この日 俺が大学病院に来てAの診察を受けた 
そして診察室から友達の泌尿器科医Bに電話をしてあげてコンサルトを受けた B医師はすぐに自分のところに来て検査を受けるように言われているのに俺が仕事の多忙を理由に勝手に断った だから自分には何の責任もないと主張した


ふざけんな


12月31日 血尿が出た時あんたは初めて泌尿器科に行けと言ったじゃないか 
それまで2年間 一度だって泌尿器科へ紹介されたことはなかった いつも酒の飲み過ぎしか言わなかったじゃねーか なんでいきなりそんな作り話しやがるんだよ



女房はこの日自分のFacebookに俺の代わりに大学病院へ行ったことを写真付きであげていた
そのコピーを証拠として提出した

さらに何故 俺はその日何の仕事してたから自分で病院に行けなかったのかスケジュールを辿ったらあるイベントの仕事をしていることが判明した そこの会社に事情を話しその日俺のタイムスケジュールを事細かに書いた証明書を発行してもらい証拠提出した
電子カルテに残っているAが診察した午後2時 俺はその仕事のため東京都日野市にいて大学病院へいくことは不可能だった
それでもまだAは8月30日に大学病院には俺が来た そして診察室でBからの電話を俺が断ったんだと言い続けた


つい先日行われた本人尋問
ここでAは自滅発言を連発した

膀胱炎の診察には尿検査は必須だが竹原さんは友達だから特別尿検査なしで様子みようってことにしたとか


保険点数のためにカルテには尿検査をしたことにしてあるが実際はやってないとか


俺の癌はめちゃくちゃ悪性度が高くて手に負えないほどのスピードで進行するタイプの癌だったから自分が診察していた平成25年中は癌じゃなかった 
平成26年になってB医師のところに行ってから急速にリンパ節まで転移するほど進行したとか


Aの発言はめちゃくちゃだった


以下反対尋問の一部抜粋


原告弁護人
7月4日 ここまだ排尿時痛と書いてありますね?

A  はい

原弁 で この日は尿検査されてますね?

A  はい

原弁 この尿検査に結果自体は膀胱炎を疑わせるような結果ですか?

A  症状から膀胱炎と判断いたしました

原弁 検査結果ではなくて?

A  はい 

原弁 検査やる意味ないじゃないですかーーー

A  そういうものではありません

原弁 膀胱炎で一番大事ななは白血球ですよね?

A  はい

原弁 ただここで用いられている検査キットというか検査紙では白血球は測定できないですね?

A  できません

原弁 その場合は尿蛋白か潜血を参考にするのが一般的ですか?

A  そうです あと尿沈渣を検査室に出します

原弁 7月4日は尿沈渣はされてないんですよね?

A  しておりません

原弁 7月4日は尿培養検査はされてますね?

A しました

原弁 これ、陰性と書いてあるのはこの日に細菌は出てこなかったということですね?

A  そういうことです

原弁 尿培養の結果細菌もなく尿検査の結果も格段膀胱炎を疑わせるような所見が出ていないのに何をもって膀胱炎と診断されたんですか?

A  症状からです

そんで 最後は 

A  竹原さんが膀胱炎みたいだと言うから、、、 

原弁 「えーー?竹原さんが膀胱炎みたいと言ったから膀胱炎と診断したんですか?」

A  そうです 




俺はこの反対尋問を黙って原告席で聞いていて
正直勝てるかもって手応えを感じていた




しかし




判決は





原告の請求をいずれも棄却する



じゃった 



全面敗訴


判決文を読むとずらずらと色々判決理由が書かれているが
ざっくりまとめると膀胱がんを疑うべき所見があったとは認めがたい したがって膀胱炎、前立腺炎の感染症による膀胱刺激症状とみて抗菌薬による治療を継続したことが一般の医療水準に反する診断 治療であったと認めることはできないと書いてあった

散々争った25年8月30日の件でさえ俺の出した証拠も主張も認められていない


女房ではなく俺が大学病院でAの診察を受けていたことにされている


到底納得出来ん結果じゃった



どうしてもこれで終われない


これが日本の馬鹿げた医者を守るための医療裁判


今は国を挙げて癌の早期発見 早期治療とか言ってるけど
症状訴えて行ってもこれじゃ 


全く意味ない








控訴します







じゃあの。