ありがとう | 竹原慎二 オフィシャルブログ

ありがとう




女房は癌ノートにいつも一人で自分の思いとかどこかで見かけたいい言葉を書き写していた
ノートにはそんな書き込みがたくさん残っている




無知は罪である
癌を治せる医者はいない
どんな方法があるかを知る
メリット デメリットを知った上で治療法は自分で選択する 
代替療法 東洋 民間医療もまずは知ることから

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自分自身が主治医のつもりで癌と闘う


人のためになることをする


死の不安 恐怖と共存する訓練をする


死に対しては自然界の事実としていやいや認め現実的建設的準備だけはしておく 

病院探しや治療選びよりもまず心構えをしっかり持つ


気持ちの持ち方で3倍以上 治癒率が上がる

癌と宣告されて不安と恐怖心で心の余裕がなくなるのは仕方ないこと
その時は事実をそのまま受け入れ我慢せずに思いっきり泣けばいい 
その後はいつまでもクヨクヨしない 
癌を明るく生きる生き方に心の転換をするとストレスが軽減し自己免疫力が高まる

松下幸之助の言葉
どんなに悔いても過去は変わらない
どれほど心配したところで未来もどうなるものでもない
いま、この瞬間に最善を尽くすべきだ

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苦しい時はいつもこんなことをノートに書いて自分を奮い立たせ気持ちを落ち着かせていたようだ

そして僕も前を向いて頑張らないといけない クヨクヨしてはダメだと前向きになった


だがそんな女房も一度だけ病室で心が乱れたことがあった



今までずっと苦しい緊張感の中にいたのが僕の抗がん剤治療が予定通りに進んでいることでちょっと気が緩んだんだとあとになって言っていた

その日もいつも通り看護師が検温に来た


ここの看護師もみんな可愛くていい人ばかりで毎日雑談を交わす仲になっていた



いつもと変わりなく看護師と女房が何気ない話をしていた 

ところが急に女房が長年 知り合いの医者もとへ通い続けたのに別の病名をつけられ本当の病気を見つけてもらえなかった無念とか 前の病院の医師の理不尽な対応  
そんなずっと押し殺してきた感情を抱えきれなくなったのか苦しい思いを吐き出した
そして嗚咽を上げて泣き出した 


急にどうしたんだよ


あまりに突然なことで
僕は驚きあたふたするだけだった



若い看護師は女房の背中をずっとさすって 相槌を打ちながら女房の話に付き合ってくれていた


こんなに人前で乱れる女房を見るのは始めてだった

僕には箱ティッシュを差し出すことぐらいしかできなかった


女房には信用できる人に僕の病気のことを話してもいい 
親とか姉弟とか親友とか 誰かに話して時々は息抜きしてきていいよ 

毎日来なくても (ホントは困るけど)
でも用事があるときは来なくてもいいからと言っていたのだが
女房は 誰かに言ってしまうと心が折れてしまいそうだからと


それに僕が自分で公表する前に外に漏れてしまって騒がれることをかなり心配していた
結局子供たち以外は誰にも話さずにいた


自分の知り合いにはまさか夫が病気だとは言えず父親の具合が悪いことにして僕の病室に毎日通ってきていた


僕が手術を終えて退院する頃になってやっと初めて自分の弟に打ち明けていた


義弟は驚いて飛んできた



いや正式には義弟が来たのはそれから3日後の週末だった



あれ?慎二くん この前ゴルフしてなかった? 
Facebookで見たよ なんで? 嘘でしょ?どうしてこんなことに?と驚いていた 






女房は長い間色んなことをずっと一人で抱えて時には矢面に立ち僕のことを支えてきてくれた  



女房はこの病院に転院できて本当によかった ありがとう ありがとう  もし
ここに来ていなかったらどうなっていたんだろうって大泣きしながら看護師にお礼を言っていた



見ていられなかった



ごめん 

 
生活費をいれれば
好き勝手にやっていいと思い 自分は遊びほうけ

女房には文句を言うな 
家庭の事は全部あなたの仕事と自分勝手にやっていた自分が情けなかった


もし一人だったらもうとっくに諦めていただろう 



 絶対にここから這い上がって
そして元気になったらバリバリ働いて心を入れ替えるぞ

家族を1番大事にするぞと心に誓った




30分くらいだっただろうか
女房はひとしきり泣き終わるとすっきりした様子だった


看護師に 忙しいところ付き合わせてごめんなさいと謝っていた



看護師もそんなことがあったなんて知らなかったです
大変でしたね  苦しかったですね

頑張っているのは患者さんだけじゃない 家族もみんなよく頑張っています 
 私で良ければまたいつでもお話きかせてくださいと励ましてくれた
看護師さんは患者の僕だけじゃなく女房の心のケアーまでしてくれた

「退院したら家族で旅行にいこうよ
そうだ 沖縄と行かない?
暖かいところでのんびりしたいね
だから考えておいて」


追伸

2015年 正月 家族4人で沖縄 恩納村へ旅行に行った 


子供たちは今年 大学生と高校生になった
それなりに自分たちの用事もあるようで 家族揃ってどこかに出かけるってことも段々と少なくなってきた

これからは女房と、2人の時間が長くなる「笑」

沖縄 楽しかったなぁ〜 



http://s.ameblo.jp/shinji-takehara/entry-11973383943.html



バリバリ頑張ってまた旅行に行くぞ〜

来年3月で結婚20周年 こんな僕を今まで支えてくれてありがとう




つづく







じゃあの。