川端康成「雪国」 | 書評ブログ

川端康成「雪国」

著者: 川端 康成
タイトル: 雪国

 

 ということで、この前買いに行って売ってなかった『雪国』を手に入れたので読んでみました。「トンネルを抜けると雪国であった」のフレーズで有名な本作品ですが、本当は「○○の長いトンネルを抜けると雪国であった」が原文なわけで、この○○に何が入るかと聞かれると案外知らなかったりします。ええ、テレビ番組とかでも問題として使われていたのを見たことがありますが、正解は「国境」になります。「国境」、何の事だろう?って感じですが、これはインターネットは国語力を奪ったかによれば「国境とは群馬県と新潟県を隔てる上越国境(県境)のことで、上越線のトンネルを群馬側から新潟側に抜けた部分の描写となっています」ということだそうです。さらに「トンネルを抜けると、そこは雪国であった」の「そこは」という単語は、いつの間にか付け足されてしまったみたいで間違いであったりします。

 

 で、この作品も『伊豆の踊子』同様に温泉宿が舞台になっています。川端自身が、19歳の時に伊豆の温泉に初めて訪れて以来、10年間毎年赴いていたということで、その頃の体験も込められているんでしょうかね。話は「島村」という主人公が「駒子」という女がいる温泉宿に数年間の間に何度か通う話です。伊藤整の解説では、「抒情小説」という新しい言葉を作り出してまで、この作品の持つ日本人の芸術的精神、心理的な美について語っておりますよ。そんなものかな、そんなものだな。ちなみに冬の過酷な自然描写に、震災にあった新潟の方々がいかに現在大変な状況に置かれているかということがよくわかる作品です。被災された方には頑張ってくださいとしか言えないけれど。

 

 それより、「国境」に関しての「コッキョウ・クニザカイ問題」が案外面白かったりしますよ。国境の長いトンネルを読んでもらえればわかるんですけれど、ちょっと前にブームになった齋藤孝の『声に出して読みたい日本語』の話には、今はなき『噂の眞相』が乗り出して記事まで書いてるみたいです。そんな、些細なことに目くじらたてるから、純文学に壁を感じる人が増えるのではないだろうか、あうー。