村上春樹「海辺のカフカ」上・下巻

- 著者: 村上 春樹
- タイトル: 海辺のカフカ (上)
- タイトル: 海辺のカフカ (下)
文庫本になったので読んでみることに。何故か今回はあまり世界観に入り込めなかった、というより、そろそろ一連の村上作品に共通する主人公の主体性のなさに飽きてきた感じがする。それにこの作品は構造が『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』の二番煎じ的でなんだかオチがわかってしまった。回りの人々の流れに巻き込まれて勝手に物語が進んでいくというのはいつもと同じで、さらに今回はあまりに現実離れしたキャラクターや状況に、僕は読んでいてつらく感じた箇所も結構あった。そういう手法が村上春樹の持ち味と言えるけれど、この世界観に入り込めなかった場合は、読者としてはどんどん突き放されていく感じに陥るだなということを知ったかも。それに、現実を超越しているキャラクターの登場は、ちょっと話としてずるい感じもする、予定調和的で。
毎作品、暗くて閉鎖的な箇所に主人公が入って行って苦悩したりするというのはどうなのだろうか?井戸の底とか真っ暗なホテルとか、今回の真っ暗な森の中など。考えるに、村上春樹が健康的な生活をし過ぎているから、主人公が引きずる影を描くために、象徴としての暗さを演出する場所が作品の中にどうしても必要になってくるのかもしれない。それと、やはり書きやすいパターンなんだろう。
あと、とうとう気がついたのだけれど、村上春樹はかなり几帳面で神経質な人格を持っているのではないかということ。日本の文壇からも独立してアメリカでノホホンと暮らしているイメージがあったけれど、どうやら違いそう。クリーニング屋に服を持っていったりする話、髭剃りや熱いシャワーの描写、コーヒーをいれるとかの場面は必ずといっていいほど彼の作品には出てくるけれど、これは作家自信の日常生活に対する几帳面さが滲み出ているのだと思う。なんだか彼自身が作った時間的な制約に基づいた生活をしているのだろうなと感じるのは、登場人物のそういった日常的な細々とした動作が嫌に執拗に描かれていて、こだわり過ぎているように読めるため。それと、章ごとに交互に場面をきっちり振り分ける書き方も、いやらしいと言えばいやらしい、もうちょっと自然にやれないものなのかな。
少し春樹作品に飽きてしまった感があるので、このような否定的な感想文になってしまったけれど、ナカタさんとかホシノくんとか、それなりに印象に残っている。ホシノくんをもっと最初のほうで登場させて悪い人として描いてたら、ナカタさんの仕事に自主的に協力していく場面なんかは涙物になったかもしれない。あと、さくらをもう少し登場させてあげてもよかったかも、エディプスの神話的な予言になぞらせるために出てきただけの印象が残るし、やられるだけみたいだなと。