三島由紀夫「沈める滝」 | 書評ブログ

三島由紀夫「沈める滝」

沈める滝
著者: 三島 由紀夫
タイトル: 沈める滝

 

 親の財産を持ち、容姿端麗でもある主人公の城所昇は、ものごとをすべてを「石や鉄」のように見なし、女を愛することはなかった。それでも同じ女と二度は寝ないという一風変わった条件の下、放蕩を繰り返すのは、昇の女に対する「即物的関心」が、そうさせていた。しかしある日、彼は自分の信念である「石や鉄」にそっくり当てはまるような女である顕子に出会う。似たもの同士の感覚を持つ両者、彼らは会うことを制限することで擬似的恋愛感を得ようと試みるのだが・・・。

 

 ちょっと本に書かれたあらすじ風に書いてみました。内容を忘れてしまうので備忘録の意味もこめて。顕子と会いないようにするために、昇は会社の跡取にも関わらずダム工事のための新潟で山篭りすることを志願するという変わったことをします。半年近い山での越冬をすることで、顕子と会わない試み。そこで、田代や佐藤、それに瀬山という人物たちと寝食を共にするのだけれど、瀬山とのいざこざがこの作品の要になってます。最近、三島由紀夫:「会計日記」、学生時代の行動克明に三島由紀夫:三島日記まるで家計簿 文筆生活可能か検証?という記事があったけれど、この瀬山という人物の最高の楽しみが、家計簿を家族に囲まれながらつけることだという風に書かれているから、案外三島自信が家計簿大好き人間だったのかもしれないです。

 

 昇の言葉によれば、顕子を好きになった理由が「あの人は感動しないから、好きなんだ」ということで、まさに両者とも不感症の「石や鉄」の人間として描かれてるわけで、そんな両者の間に愛を生み出そうとする二人は錬金術を試みているような感じ。しかし、そこに金が見え始めると、昇の方が顕子のことを煩わしく感じるようになるという風に描かれている。これはドライな青年を描いた先駆的作品として読めるそうです、解説によるとね。半分ネタバレしてしまったけれど、それだけでは終わらない仕組みが、瀬山という人間によってもたらされるから、安心してください。

 

 ちょっと疑問なのは、ダムを作るために昇は雪山で越冬するわけだけど、なんだか日常生活の延長と変わりなくて、サバイバルがほとんどない。これは作者が作品の構成をすっきりさせるために、意図してこのように書いているのだと思うけれど、せっかく雪山に閉じ込められた男たちを描いているのだから、もっと波瀾万丈があってもよかった気がします、まさに田代が言ったように「一人くらい殉教者があったほうがよかったんだ」という言葉のようにね。だいたい、大の男10人が半年以上も山に篭っているのに、性的な高まりに悶える場面がないというのも不思議な感じがして、逆に不気味だ。小林多喜二の『蟹工船』なんかは、その意味ではすごかったんだけれど。最後の方になると、いかにも純文学になってきて楽しめたから、まあ良かったのだけれど。