アンドレ・ジッド「狭き門」 | 書評ブログ

アンドレ・ジッド「狭き門」

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 アンドレ・ジッドの「狭き門」を読了しました。これも読んだ理由は大江健三郎がらみで、彼が宗教とくにキリスト教と距離を置いている理由として「狭き門」を読んで恐怖を感じたかららしいです。というわけで、どんなものかと覗いてみました。

 話はよくある長い婚約話で、長すぎるために恋愛感情がなくなってしまったというもの。主人公のジェロームは従妹のアリサのことを好きになるんですけど、まだ若すぎるといういう理由で婚約せずに適齢期を待っていたものの、いざその話をアリサの持ちかけると、彼女はあまり乗る気でなくなっていたという、悲劇的な内容でした。

 で、このままずるずると進んでいくのかと思い、結構退屈だなとか思ってました。どの辺で大江がキリスト教に対して危険を感じたのか理解できなかったのですが、ジェロームの婚約を拒んだあとにアリサが死んでしまういます。それで最後の章では、なぜ彼女が婚約というか、ジェロームと結婚することができなかったのかという理由が彼女の残した日記によって明かされるわけです。

 まぁ、簡単に言ってしまうと、ジェロームが神よりもアリサを愛してしまっているということが問題だったようです。アリサの日記を引用すると「神よりわたしを愛し、しかもわたしは、あの人にとっての一つの偶像になってしまい、あの人が美徳へ向かってもっと深く歩み入ろうとするのを引きとめている」ことが問題だったわけです。それで、当初は神に限りなく接近するための日記であったのに、最後にはこの日記を「自分にはこれをジェロームに渡すことなく処分する権利がなく、これはジェロームのためだけに書かれたものだというように思われてきた」と書いています。

 なんという悪女でしょうかね。ジェロームはいまだにアリサのことを好きであるにもかかわらず、こんな日記を読んだら、逆に神をうらむようになりはしないでしょうか?さらに彼女の面白い心理として犠牲が必要であるという要素があります。彼女の妹であるジュリエットがジェロームのことを好きになってしまい、彼女は自分を犠牲にして二人を結婚させようとも思ったわけですが、蓋を開けてみると、ジュリエットはまったく他の男と結婚してしまった。それをアリサは自分の日記にこう書き付けています。「・・・彼女がその幸福をわたしの犠牲の外に求めたこと、彼女が幸福になるためにわたしの犠牲を必要としなかったことによって、わたしの利己主義の気持ちが逆にひどく傷つけられたように思っていることがよくわかると」宗教を叩き込まれるとこんな感覚の持ち主になるんでしょうか。ファナティックすぎる気もするけれど、確かに危ないものであることもよく理解できた作品でした。

 で、ジッド自身は二十二歳のころにキリスト教と決別したということです。その理由はあとがきにもありますけど、それを引用すると「肉体の純潔を保とうとすることが、創造の奔放自在を誘発して、かえって魂を不潔にするとこになった。神に従うことが、魂の均衡を破って、不安を自分に与えることになった」ということで、まさにアリサみたいな状態に陥ってしまったようです。