抜けるような青空に
さわやかなそよ風が
吹いていたはずなのに、
突然、
黒い雲が世界を覆い、
雷鳴がとどろき
闇を切り裂く稲妻が光り
土砂降り雨が降り出す
そんな場面に
めぐりあったこと、
あなたもあるのではないでしょうか。
きらめく稲妻、
とどろく雷鳴、
英語で言えば、
Lightning Bolt (稲妻)
Roll of Thunder (雷鳴)
日本語にしろ、
英語にしろ、
雷に関する言葉には何か
「かっこいい」
イメージがありますね。
・・・とはいえ、
実際に自然界で起きている現象は
雲と雲との間、
あるいは
雲と地上との間の放電
であり、
特に突然の雷には
驚かされてしまいますし、
あまり自分の身の周りでは
起きて欲しくない現象ですよね。
「この突然の雷」
にちなんだ故事成語に
「青天の霹靂」
(せいてんのへきれき)
というものがあります。
「突然に生じて
大いに人を驚かせるような
衝撃的な出来事」
「前触れなく突如として起こり、
人を(あるいは世間を)
震撼させるような事件、
事変、あるいは
知らせを受けた際の
大いなる衝撃のこと」
のたとえであるこの言葉、
「霹靂」
という言葉は古くは
「かみとけ」「かみとき」
「かんとけ」「かんとき」
などのように読まれた
雷や雷鳴のことを意味する
古語ですが、
よくみると前半の言葉は
「晴天」ではなく
「青天」
となっていますね。
これは何の意味があるのか?
屋外にいる時に
突然雷が鳴った時は、
そんなことを
考えていないで
急いで安全な場所に
避難したほうが
いいですけどね。
/////////////////
「どんなトラブルが
起きても微動だにしない。
そんなレベルに達するまで
人生の修行は続きます。
弱音を吐かず覚悟を決めて」
(美輪明宏)
「青天の霹靂」
今年の1月の時点では
まさか数ヶ月後にこんな風に
世界の情勢も経済も、
社会の常識も
私たちの生活も変ってしまうとは
想像もできなかった・・・
それは、
私たち日本人だけでなく、
世界中全ての人たちが
同じ気持ちではないでしょうか。
そう、今、
世界で起きている出来事は、
まさに私たち人類にとって
「青天の霹靂」
といえるかもしれませんね。
とはいえ、
何がおきても、
どんな状況になっても、
自分がどんな気持ちでいても、
時計の針は
これまでも、これからも
いつもと変らず進み続け、
私たちの人生も
先へ先へと進んでいきます。
泣いていても
嘆いていても、
途方に暮れても、
それでも明日はやってくるのです。
起きたことは、起きたこと、
何を言ったところで
始まらないものならば、
全ては
「人生の修行」
と受け止めて、
気持ちを落ち着けて、
今やれること、
やるべきことを
一つずつやっていくのみ、
そう覚悟を決めることは
大切なことですよね。
「生活というのは、
『生きることを活かす』
ということです。
生きているということを
楽しんで、
エンジョイして
活かしていく
ということなんです」
人がやるべきこと、
それはどんな状況にあったとしても
それほど変らないのかも
しれません。
だから、
泣きながらとか、
嘆きながら過ごすより、
不安と不自由に囲まれた
現状の中でも、
「今日という日も、
今までの人生で
経験したことのない、
初めての日。
そう思えば、
毎日をわくわくしながら、
楽しんでいけます」
そう考えて、
「それでも
何か楽しいことはないか?」
そんな気持ちを持って、
心の闇にとらわれるより、
今自分の周りにある光に目を向けて
今日を過ごそうと思って生きた方が
気持ちが楽しくなるし、
「生きることを活かして」
いかれますよね。
ただし、
自分が楽しければいい、
もちろん
そんなわけでもないですよね。
自分の行動によって
たくさんの人に迷惑を
与えるような行為は、
自分がどんな
やせ我慢をしてでも
やってはいけないものでしょう。
「『天知る、地知る、子知る、我知る』
たとえ誰も
見ていないにしても、
天の神様や地の精霊が、
そして誰よりもあなた自身が、
見て、知っている。
あなたは、
あなた自身のために、
カッコよくあらねばならない。
それが
『誇りを持つ』
ということなのです」
自分の人生は、
自分が選んで、
自分自身で
創り上げていくもの。
どんな世の中の状況で
あったとしても、
何があったとしても
人から見たら
やせ我慢であったとしてでも
楽しく
正しく、
かっこよく、
行動する。
そんな誇りを持った人生を
創り上げていきたい
ものですよね。
そのためには、
今日をどのように
過ごせばいいのか?
それもそれほど
難しいことでもないようです。
「先のことを考えすぎると、
取り越し苦労をしたり、
誇大妄想に陥ったりして、
必ず人生を損します。
大切なことはひとつだけ。
明日の朝、
もしも目が覚めなくても、
後悔しないと思える
今日を送ればいいのです」
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私たちは
何を求めて、
何のために、
懸命になって
今日を生きるのでしょう。
「幸せになるため」
きっと
あなたもそうですよね。
「幸せに出前はないの。
でもみんな待ってるの。
誰かの力によって
幸せになれる日を。
依存心は捨てなきゃだめよ」
ならば、
幸せとはどのような
ものでしょう。
「ずっと幸せでいる方法が
たったひとつあるとしたら、
それは感謝する心を
忘れないことです。
食事がおいしくいただけること、
好きな人に会えること、
生きていられること。
なんでもよいから、
感謝する心があれば、
自前でいつでも、
いくらでも
幸せを調達できます」
「何を手に入れたか」
ではなく、
何はなくても、
今ここに、
「ありがたいな、幸せだな」
というものがあれば
幸せはそこにある。
「幸せになる呪文を、
ひとつだけ
教えてあげましょう。
『ありがとう』」
自分の持っているもの、
自分の身の周りの状況、
自分の周りにいる人たち、
今ここにあるもの、
全てに対して感謝して
「ありがとう」
の言葉を口にして、
私たちも自分の手で
幸せを創りながら
生きていきたいですよね。
(今回のブログは2020年4月24日に公開した内容を加筆修正したものです)
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「青天の霹靂」
(せいてんのへきれき)
予期しない突然の出来事・事件
の比喩であるこの言葉は、
中国南宋の有名な詩人
「陸游(りくゆう)」の
「九月四日夜雞未鳴起作
(九月四日鶏未だ鳴かず起きて作る)」
という詩の中の
「放翁病過秋、
忽起作醉墨。
正如久蟄龍、
青天飛霹靂」
という部分から来ているそうです。
「長く病床にあって
体がふらついていた時、
突然に起きだした。
それは長く穴の中に
潜んでいた竜が
青空に稲妻をおこして
飛ぶようであった」
という意味のこの句は
詩人の陸游が病床から
突然起き出して
ものすごい勢いで
筆を走らせた様子を
雷/稲妻
に例えたものなので、
本来は筆勢の激しさを
表わしたものとなります。
意味も読み方も
全く同じものであり、
「青天」と「晴天」
どちらでも本来の句の意味
に影響は与えませんが、
それでも、
故事成語として、
原典に基づいた
正しい表現をした
「青天」
とした方がやはり
かっこいいですよね。