淀むことなく、

冷たく音も無く流れゆくこの時を、

今、この手ですくい上げて

止めてしまえたらいいのに・・・

 

そんな思いを抱きながら、

 

人は生きている間に、

この言葉を何度

口にするのでしょう?

 

 

生きていく限り、

この世に出会いがある限り、

 

その数と同じだけ、

この言葉を口にしなければならない。

 

人は皆、そんな定めを持って生き続けていく・・・。

 

そんなものかもしれません。

 

 

「さようなら」

 

この言葉、

あなたはこれまで何回言ってきましたか?

 

そして

どんな思いを込めてきましたか?

 

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「さようなら」

という日本語の語源。

 

『語源由来辞典』によると、 

以下のようなものだそうです。

 

*****

さようならは、

「左様ならば(さやうならば)」の

「ば」が省略され挨拶になった語。

 

現在で別れ際に言う

「じゃあそういうことで」

のようなもので

 

「さやうならば (さようならば)」は、

「そういうことならば」

を意味する。

*****

 

だけど日本人は

この言葉の由来の上に、

様々な感情を上乗せして

 

お別れの時にこの言葉を使い、

その思いを表現し、伝えてきた。

 

そして

これからも伝え続けていくのでしょう。

 

聞くだけで、

どこか胸が切なくなり、

記憶の中にある忘れられない風景を

思いださせる、

 

この言葉を・・・。

 

 

ちなみに世界の様々な言語における

「さよなら」

という言葉の語源のパターンというのは

大きく分けて3つあるそうです。

 

 

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16年の間、

家族の一人としてずっと我が家にいてくれた、

家族とともに時を刻んで生きてくれた

愛犬ノエルが先日、亡くなりました。

 

 

淋しい思いを胸に

ぼーっと公園を歩いている時、

 

子犬を連れて楽しそうに

笑いながら歩いている

家族連れが目に入りました。

 

我が家にも以前、

確実にあった風景。

 

だけど、それが永遠に失われたことを感じ

 

「あいつはもういなくなっちゃったんだな」

 

と思い

 

冷たい風が心の中にまで

吹き込んだ気がしました。

 

【在りし日のノエルです】

 

 

今回は

愛犬をはじめとした

ペットとのお別れだけでなく、

 

大切な人とのお別れに

 

どうしようもなく

気持ちを揺り動かされてしまっている人たち、

 

そして

 

心の中に悲しい永遠のお別れ

の記憶をもつみなさんに

 

この人の言葉を贈りたいと思います。

 

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「自分の命が

なくなるということは、

自分の命を他の人の命の中に

残していくことである。

自分に与えられた命を、

より大きな命の中に

溶け込ませるために

生きていくことこそ

私たちが生きる

究極の目的であり、

永遠の命につながること

だと思う」

(日野原重明)

 

 

日野原重明さんについては、

以前こちらの記事でも

ご紹介したので是非ご覧下さい。

(人生とは、命とは / 日野原重明の世界)

 

 

対象が人であれ、動物であれ

お別れは淋しくつらいものですよね。

 

だけど、

 

お別れした相手の姿を追い求め続けること。

 

哀しみと淋しさにくれて、

過去という閉ざされた空間の中に

いつまでも居続けること。

 

それよりも

 

自分のこの胸の中に、

自分のこの命の中に、

 

「さようなら」

の記憶のさらに奥に、

 

去って行った相手が残してくれたもの。

 

それらに感謝し、

その一つ一つを大切にして、

力強く生きていくこと。

 

それこそが、

去って行った魂に、

 

その魂がこの世界に存在した意味を与え

永遠の命を与えるということ。

 

 

確かにそういうものですよね。

 

 

「誰しも幸福を望みますが、

それを実感することにおいては

きわめて鈍感です」

(日野原重明)

 

 

残された者たち、みんなが

 

幸せのセンサーの感度をより高めて、

哀しみではなく、

幸せを実感して生きていくこと。

 

 

「人間にとって最も大切なのは、

命の長さだと

思っている人は多い。

しかし、私が出会った人を

振り返ってみて、

その人の命が素晴らしい命だと

思える人においては、

ごく少数の例外はあるにせよ、

命の長さはあまり問題ではない」

(日野原重明)

 

 

最後にその命を素晴らしいものとするもの。

それは、

その時間の長さではなく、

 

自分がこの世に残していったものを
価値あるものと気付き、
受け止め、受け継ぎ、

感謝する者たちの存在。

 

 

 

朝、目覚ましにむりやり起こされて、

窓から見下ろす世界。

 

愛する魂がいなくなったこの世界は、

 

まるで草も木もない、風も無い、

音のしない、

彩りの無い世界。

 

足に感じる大地の力強さすら感じることなく

ふわふわと力なく歩いている。

 

そんなふうに

世界を感じたとしても、

 

 

だとしても、

それでも、

 

「さようなら。忘れないよ」

そう口にして、

 

その後は、

感謝と共に前を向いて歩いて行きたいですね。

 

そして、それこそが

 

たくさんのものを

自分たちに与え、残していってくれた

かけがえのない魂に対して

 

残された者ができる数少ない、

そして最大のお礼である。

 

 

日野原重明さんの言葉は、

そんなことを私たちに
伝えてくれているのではないでしょうか。

 

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【こちらの記事も是非どうぞ】

人生とは、命とは / 日野原重明の世界

 

【その他の名言記事へのアクセスは】
ここからアクセス!/過去の名言集記事 (# 241~# 250)

 

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ちなみに、世界の言語における「さよなら」

という言葉の由来は大きく分けて

以下の3つであることが多いそうです。

 

(1) 神に祈る

英語の「Good bye」は

「God  be  with  you」
(=神はあなたとともに)

の短縮形で神に相手の無事を願う
お別れの言葉だそうです。

 

(2) 再会を願う

英語の「See you again」や

中国語の「再見」、

スペイン語の「Hasta  la  vista」

などはこのパターンですね。

 

(3) 相手の健康を気遣う

英語の「Farewell」

ドイツ語の「Leben  Sie  wohl」

などがこのパターンだそうです。

 

(https://www.tomojuku.com/blog/word-origin/sayounara/

より参照させて頂きました)

 

どのパターンにも当てはまらない

日本語の「さようなら」。

 

日本独自の文化として

大切にしていきたいですね。