宇宙飛行士、ノーベル賞受賞、
金メダリスト、プロスポーツ選手、大富豪、
・・・そして
人気歌手。
小さい頃、あなたは
どんな夢を見ていましたか?
「夢」
いい言葉ですよね。
思い浮かべるだけで、
心が高揚して、
「きっとかなえてみせる」
そう心につぶやくと、
力がわいてくる。
そんな夢、
いつまでも持っていたいですよね。
人は大人になるにつれて、
現実が見えるようになるにつれて、
「夢はかなわないから夢なんだよ」
いつの間にか、
そんなふうに思うようになっていく・・・。
そんなものかもしれませんが、
それでも、
何も願わなければ、
何も起きないものですし、
何か一つだけでも、
夢を見て、
夢をかなえた自分の姿を想像して、
熱く心を燃やして生きていきたい。
そう願って、
心の声に従って、
行動し続けた人だけが
夢へのドアを開けていく。
それもまた事実ですよね。
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「人間ていうのは、
必ずドアを叩かなきゃいけない
時がくるのよ。
その時、
叩くって勇気いるよね、
怖いしさ。
どうなるのかななんて思うけど
そこで分かれるよね。
叩く人間とそうでない人間に・・・」
(矢沢永吉)
1968年、
高校卒業したての一人の少年が
身の周りのものをつめたスーツケースと、
ギター。
そしてアルバイトで貯めた5万円を持って、
広島から最終の夜行列車で
上京したそうです。
当初は東京駅までいくつもりが、
「横浜でケツが痛くて痛くて、途中で降りたんですけど」
と本人が語るように、
横浜で途中下車した彼は、
この街で夢をかなえるための
挑戦を始めました。
その頃のことを振り返って、
現在の彼はこう言います。
「横浜に来た頃、
食べるところと寝るところを探して、
やがて日ノ出町まで来て。
山に上がる道を昇っていって。
それが野毛山だったんですけど。
展望台に上がって、下を見て……
それが3月の終わりくらいで。
寒いなあ、怖いなあ、
俺どうなっちゃうんだろうなあ、
って思ったのを覚えてます」
チャイナタウンや喫茶店などで
働きながらバンド活動を始めたものの、
自作の曲をレコード会社に持ち込んでも
不採用の日々が続きます。
それでも、
「ドアの向こうに夢があるなら、
ドアがあくまで
叩き続けるんだ」
スターになるために努力は重ねたものの、
なかなか芽が出ない、
そんな焦りと不安の日々の中にいても、
「夢へのドア」
は必ず開くと信じた。
前進し続けた。
なぜなら、
「最終的には
自分でドアを開けなきゃ。
周りは開けてくれない、
開けられないですよ」
このドアを開けられるのは、
自分のこの両手だけ。
だから、
自分の力で必ずこのドアを
開いてみせる。
そう念じながら前進し続けた…。
その後、彼
矢沢永吉
は、1972年
ロックバンド「キャロル」
を結成したことを転機に、
押しも押されぬ
スーパースターにまで
一気にかけあがっていきました。
【若き矢沢永吉が横浜の街を眺めた
野毛山公園の展望台】
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「オレは、
いま生きるのがつらいって
言っている人は、
やっぱり、
どこかに自分の生き方を
自分で決められないって
背景があると思うんだ。
かんじんなのは
自分の足で立つことなんだ」
夢は叶うと信じ、
自分は夢を叶えると念じて
行動をし続けたとしても
人生、
思い通りには
いかないことの方が
多いものかもしれません。
だから
他人に決められた人生、
流されて生きる人生、
そんな人生を生きていたら
きっとつらくなるのでしょう。
そして
「その生き方を
人のせいにしちゃダメだ。
オレも、
人のせいにしないから。
自分で処理する」
この世の中で、
自分が思い通りにできるのは、
自分だけ。
他人や
自分の置かれた環境、
それらは
決して自分の思い通りには
なりません。
人生がうまくいかないことを
他人や自分の置かれた環境の
せいにしていたら、
自分の思い通りにならない理由を、
自分の思い通りにならないもの
のせいにしていたら、
自分の力では何も対処できない
ということになってしまいます。
思い通りにならない人生を
強く生きぬき、
夢を叶えていくためには、
自分の生き方は自分自身で決めて、
全ては自分で決めたこと
そう腹をくくって、
全ての結果の責任は
自分にあると認めること。
自分の力で立って、
自分の足で歩き続けること。
それが
スーパースター
矢沢永吉の生き様から
私たちが学べる
人生の覚悟
そういうものかもしれませんね。
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「最初、サンザンな目にあう。
二度目、オトシマエをつける。
三度目、余裕。
こういうふうに
ビッグになっていくしかない。
それには、
サンザンな目にあった時、
落ちこんじゃだめだ」
うまくいかなかったこと、
ひどい目に遭ったのは、
自分の責任
そう受け止めた上で、
大切なことは、
あきらめないこと。
うまくいかなくても、
そこで落ち込んで
止まってしまわないこと。
失敗しても、
「次は必ずうまくやる」
と心に決めて、切替えていくこと。
失敗を教訓として、
次はうまくやれるように
前を向いて努力を重ねていって、
実際に次はうまくやること。
そして
失敗したとしても、
ニヤリと笑って、
「3回目くらいからうまくいくようになるよ」
そう口に出せるだけの
心のゆとり
それもまた
大切なものかもしれませんね。
そんな、矢沢流の
へこたれない精神
を持って、
自分で決めた人生に
自分で責任を持って、
夢を持って、
自分の力を信じ、
その夢はかなうと信じ、
私たちも
私たちのこの手の中にある夢、
かなえていきましょう!!
夢へのドアを叩け!
ドアを開けろ!!
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人はそれぞれ、
違う立場の上に立って
ものを見て、生きていくもの。
ビジネスをしていたら、
人生を生きていたら、
立場の違う人たちからの
複数の要求によって、
「あちらを立てればこちらが立たず」
の板挟み状態になることも
ありますよね。
だけど、
一見矛盾するようなテーマすら、
その全てを、笑いながら
自分のもの
として背負い、
そのどれか一つではなく、
全てを実現させることを目指して、
自分のできることを探し、
それを自分のエネルギーに
変えていくことができる。
私たちも、
そんな人間でありたいですよね。
「YouTubeって便利だな、
びっくりしたよ、
素晴らしい時代になった。
俺の曲が気になったら
どんどん見てくれたらいい、
ダウンロードも歓迎。
でも俺も家族や社員に
飯食わせなきゃいけないから、
今後はライブで頑張るよ。
ライブは
ダウンロードできないし、
お客さんも喜んでくれるだろ」
夢をかなえた人間は
人間のスケールが大きくなるのか、
人間のスケールが大きいから
夢がかなうのか・・・。
どちらにしろ、
人間としてのスケールの大きさを
感じさせる矢沢永吉が、
「成り上がる」
「BIGになる」
そんな夢を見ながら
下積み時代を過ごした横浜の街。
そして
チャイナタウン。
彼自身の若かった頃への
思いをのせた名曲です。
是非、お聴き下さい。