成功・・・。
もちろん、
人によってその定義は違いますよね。
ただ、大多数の人にとって
それは、
「望遠鏡の向こうに見える世界のようなもの・・・」
といえるかもしれませんね。
はっきりと見えているのに、
手を伸ばせば届きそうなのに、
実際には、それは遙か彼方にあって、
望遠鏡を手放した瞬間に
また見えなくなってしまう・・・。
それでも人は、
望遠鏡の先に見た世界を
心に思い描きながら、
その場所はまだまだ遠いと知りながらも、
その場所に向かって
歩き続けるものなのでしょう。
///////////
アルベルト・シュヴァイツァー博士
(1875年、ドイツのカイザースベルク
=現在のフランス・アルザス、
オー=ラン県 生まれ)
・・・ご存じの方も多いと思います。
38歳にして医学博士の学位を取得した彼は
当時、医療施設に困っていた
アフリカの赤道直下の国ガボンの
ランバレネにおいて、
献身的な医療活動を行いました。
それは彼自身の21歳の時点での決意、
「30歳までは学問と芸術を
身に付けることに専念し、
30歳からは世のために尽くす」
に従った行動でした。
・・・彼のこの決断、
なぜ「30歳から」だったのでしょう?
【現在のフランス アルザス地方】
////////////
"The great secret of success is
to go through life as a man
who never gets used up."
成功の最大の秘訣は、
他人や状況に振り回されない
人間になることだ。
(アルベルト・シュヴァイツァー)
少し想像してみて下さい。
あなたが20世紀初頭のヨーロッパに
生まれていたとして、
自分がこんな環境におかれていたら・・・。
・裕福な牧師の家に生まれ、
14歳から習い始めた、
パイプオルガンの腕前は、
パリのバッハ協会でオルガニストを
つとめるほど。
・生まれつき健康で丈夫であり
あまり疲れない体質。
・1631年設立の名門
ストラスブール大学で学び
神学・哲学の博士号を取得。
・27歳にしてストラスブール大学の
神学科講師となる。
才能に恵まれ、
何をしても何不自由なく、
人から尊敬を集めながら暮らしていける。
そんなふうに思えて、
わくわくしてきませんか?
そして、
自分自身を「成功者」と認め
そのまま、その人生を楽しみながら
何の疑いも持たずに
まっすぐに歩いていくのでは
ないでしょうか?
(少なくとも、私なら迷いなくそうします(笑))
・・・ところが、彼は違ったのです。
彼の周囲には彼の選択に反対した
人たちの方が多かったと思います。
状況からして、
誰がどう考えても、あり得ない選択としか
思えません。
それでも彼は選択したのです。
30歳にして自分の人生を全てリセットして
「世のために尽くす」
という道を。
そしてその選択は、その後、
医療施設の整わない国に生きる
たくさんの人たちの命を救い、
世界を変えていったのです。
自分の生まれた家庭環境の延長の上に
用意された順風満帆の人生ではなく、
自分自身の意思と才能で切り開いた
人生を生き、
たくさんの人たちの命を救い
幸せを守る。
それこそが、
若き日のシュバイツァー博士が
心に描いた人生の
「成功」
だったのでしょう。
/////////
"To the question whether
I am a pessimist or an optimist,
I answer that
my knowledge is pessimistic,
but my willing and hoping are optimistic."
「私が悲観主義者か
楽観主義者かの問いにはこう答える。
私の知識は悲観的なものだが、
私の意志と希望は楽観的だ」
30歳にして医学を学び始め、
38歳にしてガボンに渡った
シュバイツァー博士。
確かに
「病気になった人と向かい合う」
という彼の医者としての知識は、
「病気を治す」
「病気にならないようにする」
等、
「病気」
というものが前提にあり、
そして当時の医学では、
予防しきれない、
治しきれない、
病気もまだまだたくさんあった・・・。
という意味で、
悲観的なものだったのかもしれません。
さらには、
第一次世界大戦が始まり、
彼が滞在したガボンはフランス領で
あったために、
国籍がドイツであった
シュヴァイツァー博士は、
捕虜にされヨーロッパへ帰還させられて
しまうという出来事もおきました。
それでも彼は
「世のために尽くす」
「人の命を救う」
という自分の人生の目標を
あきらめませんでした。
保釈後、
彼はヨーロッパ各地で講演を行い、
病院の資金援助のために
パイプオルガンの演奏活動を
行っていきました。
困難に直面しても希望を捨てず、
その希望を常に見続けて、
今自分ができることを重ねていった彼は、
自分のこの行動は、
いつか必ず意味をなし、
世の中のためになっていく。
そう信じ続けることができた、
楽天主義者であり、
それもまた、
彼が世のために働き
後世に名を残すという、
「成功」
の秘訣であった。
そう思えますね。
////////////
"Success is not the key to happiness.
Happiness is the key to success.
If you love what you are doing,
you will be successful."
「成功は幸せの鍵ではない。
幸せが成功の鍵だ。
もしあなたが自分のしていることを
愛しているなら、あなたは成功する」
哲学博士でもあるシュバイツァー博士は、
「生命への畏敬」
という概念の提唱も行いました。
その概念とは、
人間をはじめとした
生命をもつあらゆる存在を敬い、
大切にすることを意味し、
生命あるものすべてに
生きようとする意志が見出される。
この生きようとする意志は、
自己を完全に実現しようとする
意志である。
すべての人間は
自己の生きようとする意志を
大切にすると同時に、
他の生命をも尊重しなければならない。
というものでした。
この「生命への畏敬」の概念と
アフリカでの医療活動と
ヨーロッパにおける講演活動の
行き来を繰り返した、
献身的な医療奉仕活動によって
世界平和に貢献した彼は、
1952年度のノーベル平和賞を
受賞しました。
それは77歳になった彼が得た
自分の人生の成功の証であり、
「世のために尽くす」
という目的のために行い続けた
医学、哲学、音楽、
それらを通した平和活動、
という彼が愛した
全ての仕事の成果だったのでしょう。
///////////
私たちも、
人の意見や自分のおかれた状況に
ただ流されるのではなく、
自分の意思で、
自分の価値観に従って、
自分の人生における使命を見つけて、
「その使命はかなえることができる」
そう信じて生きていきたいですね。
そして
何があっても、
うまくいかないことばかりでも、
信じられないような困難に
出くわしたとしても、
その時、その瞬間に
自分ができることを見つけて
ひたすらそれを積み重ねていく。
自分のしていることを愛しながら・・・。
それができればきっと、私たちも
いつか見た
「望遠鏡の向こうに見える世界のような」
自分が成功した世界
にたどりつくことができる。
そこまでの道のりは実際には
どんなに遠いものだったとしても・・・。
シュバイツァー博士の生涯を見ていると
そんな気持ちになれますよね。
【ガボンで診療を行うシュバイツァー博士】
//////////////
【その他の名言記事へのアクセスは】
【その他の名言記事へのアクセスは】
ここからアクセス!/過去の名言集記事 (# 201~# 210)
////////////
21歳のシュバイツァー青年が行った
人生の決断。
「30歳までは学問と芸術を
身に付けることに専念し、
30歳からは世のために尽くす」
それは、
キリストが30歳から布教活動を始めた
という故事に倣ったものであったそうです。
27歳の時点で
名門ストラスブール大学の
神学科講師となっていた彼は、
特例として医学部の学生となり、
彼の生涯をかけての目標に向けて
歩み出したのでした。
【シュバイツァーの母校 ストラスブール大学】
////////
【注記】
シュバイツァーが残した言葉は、
ドイツ語もしくはフランス語と思われますが、
それでも今回、日本語と共に
英語の表現を併記しているのは、
日本語よりは、
本人の語った言葉のニュアンスが
より近い形で反映されているのでは・・・
と考えた上のことです。