私たちは今、みんな、

「人生」

という長い「道」を歩んでいますよね。

 

 

それは、

 

自分自身の重さで

足下が沈んでいく雪の上を

どこまでも歩き続けるようなもの

かもしれませんし、

 

あるいは、

 

足下がぬかるんだ、

石ころだらけの狭い山道を

ひたすら登っていくような、

 

そんなものかもしれません。

 

 

「人の一生は重荷を負うて

遠き道を行くがごとし」

 

あの徳川家康もそう言いました。

 

 

「避けることも、解決することも

できないなら背負って進むのみ!!」

 

そう心に決めて背負ったものは、

 

人がそれぞれが持って生まれた

環境によって、

 

その通ってきた道によって、

 

違うかもしれません。

 

 

それでも、

 

 

「道は未知であり、

自分の道のこの先は希望に満ちている」

 

 

そう信じて、その道の先に、

 

不安や苦痛だけでなく、

希望や喜びを見つけ出し、

 

心のバランスをとって

歩いて行きたいものですよね。

 

 

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「人生はいろいろな

難関に出くわす。
難関が次から次へと

やってくるから面白いのだ。
恐れをなしちゃいけない」

(嘉納治五郎)

 

 

1860年生まれの嘉納治五郎は

 

講道館柔道の創始者であり、

日本のオリンピック初参加に

尽力するなど、

 

明治から昭和にかけて

日本におけるスポーツの道を開いた

「柔道の父」とも「日本の体育の父」

とも呼ばれる人物です。

 

 

そんな治五郎は生まれた時から

虚弱体質であったそうです。

 

彼は非力な自分が力の強いものに

負けていたことを悔しく思い、

 

強力なものに勝つための術として

柔術を習い始めました。

 

 

それが現在の

 

「柔道」

 

の始まりにつながっていくことになり、

 

 

そして

 

2012年現在、世界201カ国

(国際柔道連盟の加盟国・地域数)

に広まり学ばれている

 

柔道の世界普及への道に

つながっていったといえるのでしょう。

 

 

「恐れをなしちゃいけない」

 

という治五郎の言葉は、

 

 

自身の背負ったものや、

他人の力を恐れることなく、

 

「自分はその難関を越えていく」

 

そう決めて、

 

次々とやってくる難関を、

 

サーフィンをする時の波や

スキーをする時の斜面のコブ

 

のように思えれば、

 

人の心にエネルギーと可能性が宿る。

 

 

そのことを教えてくれる言葉であり、

 

彼のその気持ち、しっかりと受け止めて

見習っていきたいですね。

 

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「柔を能く、剛を制す」

 

力の強いものだけが

勝ち続けるわけではない。

 

力がなければ、

 

しなやかな身のこなしを身につけ、

相手の力を利用して相手を倒す。

 

 

自分の中にある強みを

見つけるのは自分自身。

 

それを見いだし、

活かす方法を考え、

 

その術を身につけるために

努力した者こそが勝者となる。

 

 

この言葉、治五郎は柔道の世界を

想定して話したのかもしれませんし、

 

もしかしたら、教育者として

 

柔道の世界を超えた、

人としての生き方を教える。

 

そのために語った言葉だった

のかもしれませんね。

 

 

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「勝って、

勝ちに傲ることなく、

 

負けて、

負けに屈することなく、

 

安きにありて、

油断することなく、

 

危うきにありて、

恐れることもなく、

 

ただ、ただ、

一筋の道を、踏んでゆけ」

 

 

治五郎は柔道においてだけでなく、

日本のオリンピック参加への道も

切り開いていった人物でした。

 

 

日本の教育を充実させるために

多くのスポーツを普及させよう。

 

そのためには、

オリンピックへの出場を果たして

日本スポーツの国際化が不可欠である。

 

 

そう考えた治五郎は

 

1909年(明治42年)、

彼は東洋で初めての

国際オリンピック委員会(IOC)

の委員となりました。

 

 

そして、

 

1912年のストックホルムオリンピックに

 

マラソンの

金栗四三(かなくりしそう)

 

と陸上短距離の

 

三島弥彦(みしまやひこ)

 

の選手2名と、コーチの

 

大森兵蔵(おおもりひょうぞう)

 

ともに団長として合計4名で

日本人のオリンピック初参加を

果たしたのです。

 

 

日本人のオリンピック参加への

道を切り開いた治五郎はさらに

 

オリンピックの日本開催に向けて尽力。

 

1935年のIOC総会で、

1940年のオリンピック開催都市に

東京が選ばれるのですが・・・。

 

 

その後の歴史はみなさんも

既にご存じかもしれませんね・・・。

 

 

 

人生という長い道においては、

色々なことがありますよね。

 

勝つこともあるし、

負けることもある。

 

うまくいっている時もあるし、

ピンチに陥る時もある。

 

 

それでも、どんな時でも

 

 

歩みを止めずに

進んでいくために

 

必要なもの、大切なもの。

 

それは

 

心のバランス。

 

 

人生という長い道、

 

その難関を恐れることなく、

難関を超えることを楽しんで、

 

自分の中にある力を見つけ

その力で戦うための努力を

重ねながら、

 

時に強く、時にしなやかに

 

歩んでいきたいですね。

 

心のバランスを保ち、

 

 

治五郎の思いのこもった

この言葉を胸にして・・・。

 

「ただ、ただ、

一筋の道を、踏んでゆけ」

 

 

【嘉納治五郎】

 

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