人との出逢い。
素晴らしいものですよね。
素晴らしい友人、素晴らしい恋人
そして素晴らしい師。
だけど、私たちが
決して避けて通ることのできない
例外の無い、悲しい法則。
それは
出逢いの数と同じ数だけ
別れがあるということ。
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人との出逢い、
その人と一緒にいられる時間。
それは
時が奏でる音楽のようなもの。
出逢いは前奏曲 / プレリュード。
それはあなたの心を
劇的に激しく打つものかもしれませんし、
静かにそっと心の中に
響いてくるものかもしれません。
そしてその曲は
第一楽章、第二楽章と進み、
心弾むような楽しい思い、
自分を勇気づけ導いてくれるような思い
様々な思いがあなたの心の中を
駆け巡ったとしても、
あるいは、
そこに音楽があることが
当たり前のように思えていたとしても、
その曲は
一小節一小節、一秒一秒、
確実に先へと進んでいき、
やがて最終楽章を迎え、
万感の思いと共に終演を迎えるのです。
音楽も、
人と一緒に過ごせる時間も
あなたがそれに
気づいていようと
全く気づいていまいと、
止まることなく流れていくのです。
だから、それが
大切にしたいと思う音楽であればあるほど、
大切にしたいと思う人であればあるほど、
その時間に感謝して、
かけがえのないその時間を
最高のものにするために、
後で後悔しないために、
一瞬一瞬を大切にして
いかなければならないもの。
「その時」は、いつか必ず
やってきてしまうものだから・・・。
今日はそんなお話です。
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【前奏曲 / プレリュード】
教え子の一人でもあった小澤征爾さんは
『あの日』のことを思い出しながら、
こう話しているそうです。
「先生(恩師の斎藤秀雄氏)が
病気で死ぬことを
みんな知っているから、
みんな泣きながら弾いているの、
心の中で。
全員が先生の手を見ているから、
信じられないくらい
音がぴったり合っているの。
僕は今でもそのテープを持ち歩いて、
先生のことを思い出すたびに
それをかけるんだけどね。
聞いているうちに涙が出てくるんだ」
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【第一楽章: 音楽家として】
斎藤秀雄さんは
チェリスト、指揮者、音楽教育者として
日本の音楽界の屋台骨を築いたと
いわれている人物です。
彼の指導法は
『Saito-method』
として世界中の音楽学校で教えられ、
指揮者を目指す者にとっては
必須と言われているものだそうです。
それだけでなく、彼自身
『教え子にインパクトを与える指導者』
としての功績が輝く人物で、
山本直純さんや小澤征爾さん等
多くの著名な音楽家たちも師事し、
慕われた指導者です。
彼は日頃、
音楽を奏でていく上で
大切なこととして、
こんなことを言っていたそうです。
「音楽は、集中しかない。
音楽だけじゃなく、
芝居やバレエ、スポーツでも
全部そう。
ある決定的瞬間に
集中できない奴はだめだ」
「演奏家になった以上は
表現することが一番大事。
じゃあどうしたら
『表現』できるようになるか。
そのためには緻密に、
とにかく緻密に作ること。
アバウトでは駄目。
緻密すぎるほど緻密に作って
初めて『表現』までいくことができる」
斎藤さんの教えは、
音楽以外の世界にも適用できる、
普遍的な真理かもしれません。
そこが決定的な瞬間であると見抜き、
そこで自分の全てを
爆発させることのできる「集中力」。
妥協することなく、
自分の仕事を正確に
築きあげていく「緻密さ」。
私たちも大切にしていきたい教えですね。
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【第二楽章:師として】
月謝は最低限であり、
レッスン代を免除することもある。
できの悪い生徒に対してこそ
絶対に手抜きをしない…。
教育者としての斎藤さんは
多くの弟子を導き、慕われた
まさに本物の「師」でした。
「自分のためじゃなくて、
何でも他人のためになることを、
収入のことを考えないで
まじめにやれる人、
一番偉いと思うんです」
「レッスンのたびごとに、
必ず生徒の新しいことを
みつけだしてやるような先生、
それができないようなら
教師なんかやめた方がいい」
私たちも人を導く立場に立った時、
それが師弟関係であれ、
上司と部下であれ、
あるいは親子であれ、
大切なことは、
その相手を大切に思う気持ち。
自分のためではなく、
ただ相手のことを考えて、
いいところを見抜き、
その良さを伸ばして
引き上げてやろうという真剣な思い。
これも斎藤さんからの教えとして、
常に頭に入れておくと
いいことかもしれませんね。
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【最終楽章: お別れの曲・・・】
斎藤さんの最晩年、
彼が指導する学生オーケストラの
志賀高原での夏合宿のことです。
ガンに冒され動くこともままならないにも
関わらず車椅子で参加した斎藤さんは
弟子たちにこう謝罪します。
「ごめんね。これしか手が動かない。」
そして
大切な時は無情に流れ、
合宿は最後の演奏を残すのみとなりました。
その演奏曲はモーツァルトの
"ディヴェルティメントニ長調K.136”
という曲だったそうです。
"ディヴェルティメント"
は日本語に訳すと
「嬉遊曲」
という意味で、
明るく軽妙で楽しく、
深刻さや暗い雰囲気は避けた
曲風のものです。
師のわずかな手の動きから
全てを汲み取ろうと演奏し続けた
学生たちの万感の思いと共に
演奏が終了した時、
たまたまその場にいて
演奏を聴いていた、
何も知らない部外者が、
学生にこう尋ねたそうです。
「今夜は本当に素晴らしかった。
ところで、
"ディヴェルティメント”
というのは
『お別れの曲』
という意味ですか?」
この一言で、
それまで抑えてきた
学生たちの感情は一気に崩れ、
あちこちで嗚咽の声が
漏れたそうです・・・。
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私たちが出逢う大切な人たち。
その人たちと一緒に過ごせる時間。
それは有限のもの。
それとは気づかなくても、
当たり前と思っていても、
一日一日、一秒一秒
お別れの時に向けて
時は無情に流れ続けていくのです。
だから、
その人があなたにとって
大切な人であればあるほど、
一緒にいられるその時間に感謝して、
一瞬一瞬を大切にしていきたいですね。
時は、
永遠のように思えたとしても、
終わりを感じさせなかったとしても、
「その時」は、いつか必ず
やってきてしまうものだから・・・。
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