小惑星探査機はやぶさ・・・
2003年5月に打ち上げられ
2005年9月に地球近傍小惑星イトカワに到達。
2007年に地球に帰還する
計画だったものの
2005年11月28日に通信途絶。
その後、発覚した重大なトラブルの数々にも
技術者たちはあきらめることなく対応を続け、
ついに、
2010年6月13日に地球に帰還。
小惑星イトカワからの
サンプルを納めたカプセルを切り離し、
パラシュートで地球に降下させた後、
無数の破片に分解し燃え尽きていく
はやぶさ本体と、
一筋の光の尾を曳いて飛び続けた
カプセルは、
南オーストラリア州では、
夜間にもかかわらず数十秒間にわたり
地上から肉眼でも観測され、
満月の倍の明るさに相当する
マイナス13等級の輝きを発して、
人の影が地面に映るほどの
明るさとなったそうです。
そしてそれは人類史上初の、
地球重力圏外にある天体の
固体表面に着陸して資料を地球に
持ち帰る
「サンプルリターン」
成功の瞬間でした。
イオンエンジンで宇宙を駆け抜け、
持ち帰った貴重な資料を
人類に託した後、
故郷である
地球の大気圏で光となった
物言わぬ人工の鳥、
「はやぶさ」
の60億kmに渡る遙かな星の旅は、
宇宙からの
「貴重な情報」
だけでなく、
人の心に大きな感動を与えてくれました。
そんな、
小惑星探査機「はやぶさ」
その名の由来は・・・。
【大気圏で光となった「はやぶさ」】
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いつの時代も、
人が旅に憧れ、旅に出るのは
「まだ見ぬもの」
への好奇心からなのかもしれません。
たとえ、その旅には大きな試練が
待っていたのだとしても・・・。
そしてその旅は、
人にたくさんの貴重な情報と
感動を与えるのでしょう。
1271年にベネツィア王国を出発し、
中国に向けて旅した、
マルコ・ポーロ
の旅。
疲れとあきらめに襲われながらも、
夢と希望を握りしめて
道を切り開いたのであろう
彼の旅もまた、
13世紀の人々に
多くの情報と感動を与えたのでした。
【マルコ・ポーロの旅のルート。
赤が往路、紫が復路だそうです】
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"Travel is my school.
I judge from the eye and think by the head."
「旅は私の学校だ。
自分の目で見、自分の頭で考えて
判断するのだ」
(マルコ・ポーロ)
1254年ヴェネツィア共和国生まれの
マルコ・ポーロは
ヨーロッパへ中央アジアや中国を紹介した
『東方見聞録』
(写本名:『イル・ミリオーネ (Il Milione)』
で知られる人物です。
(この本は彼自身の著述ではなく、
彼が仲間にした話がまとめたられた
ものだそうです)
17歳の時、
父ニコーロ、叔父マフィオと共に
シルクロードに沿ってパミール高原や
タクラマカン砂漠を経由して中国に到達。
当時の元王朝のクビライ・ハンに仕え
17年間中国に滞在した後、
シンガポール、スマトラ島、セイロン島
などを経由し、目的地オルムス到着時には
600人いた乗組員が18人になっていたという
2年間の船旅を経て
1295年にベネツィアに帰国した、
通算24年間、
全行程15,000kmにわたる
マルコ・ポーロの遙かな旅。
その旅は
当時のヨーロッパに
アジアに関する多くの情報をもたらし、
彼が中国から持ち帰った方位磁石は
後のヨーロッパで羅針盤へと
つながっていき、
15世紀半ば以降のヨーロッパの
大航海時代を支えたのです。
一歩間違えただけで
即、死につながっていたような旅を
「学校のようなものだった」
と回顧したマルコ。
常人には計り知れない
命がけの大きな試練を、
苦しいものとは考えず、
学びの場と考え、
さらには、
"My heart beats as much as I can breathe."
「呼吸できる分だけ、私のハートは鼓動する」
そう述べて、
もしかしたらその試練を
楽しんでいたのではと思えるような
彼の前向きで、
どこか楽観的な感じ方。
それこそが
遙かなる彼の旅を成功させた
のかもしれませんし、
私たちにも
試練の時、逆境の時
における心構えのヒント
をくれているのかもしれませんね。
【マルコの故郷、ベネツィアの現在】
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13世紀初頭のチンギス・ハンによる遠征で、
中央アジアに広がるモンゴル帝国の存在は
ヨーロッパに知られてはいたものの、
マルコが語った、
その先にある多くの大都市の存在と
その繁栄ぶり、
そして
黄金の国、ジパングの存在・・・。
13世紀のヨーロッパの人々が
マルコの話に感動しながらも、彼の話を
「ほら話では?」
と感じていたのも不思議ではありませんね。
それでもマルコは
"I have not told half of what I saw."
「私が見たものの、半分も話していない」
と語り、自分の話は事実であると
主張し続けたそうです。
そして彼の死後からかなりたって
アジアに関する詳しい情報が
明らかになるにつれ、
彼の語っていたことが
真実であったことが証明され、
そして
彼の情報の正確さに
人々は改めて驚嘆したのでした。
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マルコの旅は、後の時代の
クリストファー・コロンブス
(1492年にアメリカ大陸に到達した
冒険家)
など多くの人物に刺激を与えたと言われ、
彼の名は、
マルコ・ポーロ国際空港
(ベネツィアの国際空港)
として彼の故郷ベネツィアの人々に
現代においても親しまれています。
それは、いつの時代も、
人が
「まだ見ぬもの」
に憧れ、旅に憧れるから。
そして、マルコの旅から
「いつの日か旅する者よ。
この足跡を見る時
あるいはそれを踏む時、
その胸に伝わる夢を知るだろう」
(小椋佳/「いつの日か旅する者よ」より)
彼のそんな熱い思いを感じるから・・・
なのかもしれませんね。
【注記】
ベネツィア生まれの
マルコ・ポーロが残した言葉は、
イタリア語のはずですが、
それでも今回、日本語と共に
英語の表現を併記しているのは、
日本語よりは、
本人の語った言葉のニュアンスが
より近い形で反映されているのでは・・・
と考えた上のことです。
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【1979年にNHKで放映された
「マルコ・ポーロの冒険」のOP・ED曲です。
小椋佳さんによる名曲です】
【こちらの記事も是非どうぞ】
【その他の名言記事へのアクセスは】
ここからアクセス!/過去の名言集記事 (# 181~# 190)
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60億kmという
遙かな星の旅を終え、
故郷地球の大気圏で「光」となった
物言わぬ人工の鳥。
「はやぶさ」
その名の由来は、
「小惑星のサンプル採取が
1秒ほどの着地と離陸の間に行われる」
その様子を
獲物をねらい急降下する隼に見立てたもの
・・・だったそうです。
【はやぶさ地球帰還の瞬間】