村雨(むらさめ)の
露もまだひぬ槇(まき)の葉に
霧立ちのぼる
秋の夕暮れ
寂蓮法師
(現代語訳)
にわか雨が通り過ぎていった後、
まだその滴も乾いていない
杉や檜の葉の茂りから、
霧が白く沸き上がっている
秋の夕暮れ時である。
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暑い夏は命の鼓動。
突き刺すような日差しと、
短く色濃い影、
セミの声、
寄せては返す波の音、
地面をたたく夕立のリズム、
全てが自然のダイナミックさを
感じさせてくれるもの。
やがて
秋分が近づくにつれ、
日は短く、その光もやさしくなり、
あれだけ聞こえたセミの声は、
いつの間にか
夜の鈴虫の声に差し替わり、
それも過ぎていくと、
狂ったかのような暑さなど、
無かったかのように涼しくなり、
季節は秋となります。
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秋は実り、そして完成。
木々の実がなり、
紅葉が始まる様子は、
人に、
過ぎていく時間と、
去っていくもの、
そして
この世に終わりの無いものは無いという
「儚さ(はかなさ)」
すらも、
感じさせるのかもしれません。
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30歳過ぎに出家し、全国を渡り歩いた
寂蓮法師が詠んだ、
雨の後の美しい夕暮れの情景。
彼がその目に見て、
その肌に感じた世界もまた、
800年以上の時を経た
今と何も変わらない、
どこか静かで物憂い、
過ぎゆく時と、
終わりゆく命を感じさせる
メランコリックなものだったのかも
しれませんね。
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