夏草や
兵 (つわもの) どもが
夢の跡
松尾芭蕉
(解釈)
今、夏草が深くおい茂る
ここ高館(たかだち)は、
昔、武士たちが
勇ましくも、はかない栄光を夢見た
戦場のあとである。
季語-夏草(夏)
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1689年、
旧暦 3月27日(現在の5月16日)、
松尾芭蕉は門人の曾良をともない、
江戸から東北・北陸へ600里(約2400km)、
150日間の「奥の細道」の旅に出ました。
旧暦 5月13日 (現在の6月29日)
輝くような緑に囲まれた、
奥州平泉に到着した芭蕉が、
彼がこの地を訪れたその年から
さかのぼること丁度500年、
1189年に滅亡した
奥州藤原氏、
そしてこの地で、
非業の死を遂げたといわれる
源義経
を偲んで詠んだ句が
この句だそうです。
この地でかつて栄華を極め、
「黄金浄土」
を築こうとした藤原氏、
そして
「悲劇の英雄」
源義経、
その威光は、もはやそこにはなく、
ただ陽の光を浴びて輝く夏草が
茂る風景が広がるばかり。
そして
芭蕉がその風景の中に見たものは、
この地を去っていった二度と帰らぬ人たち、
この地にかつて存在した夢の「形なき」痕跡、
・・・だったのかもしれません。
人の世の栄華の儚さを感じた芭蕉は
「国破れて 山河在り
城春にして 草木深し」
(解釈)
戦乱によって都長安は破壊しつくされたが、
大自然の山や河は依然として変わらず、
町は春を迎えて、草木が生い茂っている。
と中国の詩人、杜甫の名句
「春望」
の一節をつぶやき、
しばし時を忘れ、
涙を流したと「奥の細道」に
記したそうです。
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日は登り、また沈み、
永遠に積み重なっていく時の砂。
無限に流れる時の中、
人は皆、自らに許された
有限の時間の中で、
心の中にきらめくような
夢を膨らませ、
自分の未来を信じて、
力の限り、
精一杯生きていきます。
その先に何が待っているのかは
知らないままに・・・。
その生き様の跡は
後世の人間が見たら、
そして
無限の時を生きるであろう
地球の自然から見たら、
「とてもはかないもの」
なのかもしれません。
だから
「人の夢」
と書いて
「儚い(はかない)」
そう読むのかもしれません。
それでも、
自分にこの先、
何が待っているのかわからなくても、
わからないからこそ、
人はきらめくようなその命を燃やして、
限られたその時間を
精一杯、輝かせながら
懸命に生きていく。
後世、自分がどんなふうに
人に思われようと・・・
そしてその強く、純粋な思いが、
後世の人たちの心に
哀しみと感動をもたらす。
・・・そういうものなのかもしれませんね。
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