【前奏曲 / プレリュード】


教え子の一人でもあった、小澤征爾は
『あの日』のことを回顧しこう話します。

 

 

「先生(恩師の斎藤秀雄)が

病気で死ぬことを

 

みんな知っているから、
みんな泣きながら弾いているの、

 

心の中で。

 

全員が先生の手を見ているから、
信じられないくらい音がぴったり合っているの。


僕は今でもそのテープを持ち歩いて、
先生のことを思い出すたびに

それをかけるんだけどね。


聞いているうちに涙が出てくるんだ。」
 

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【第一楽章: その指導】


斎藤秀雄は

チェリスト、指揮者、音楽教育者として
日本の音楽界の屋台骨を築いた人物。

 

彼の指導法は『Saito-method』として
世界中の音楽学校で教えられており、
指揮者を目指す者にとっては必須と
言われているそうです。

 

それだけでなく、
『教え子にインパクトを与える指導者』
としての功績が輝く人物で、


山本直純や小澤征爾ら多くの

著名な音楽家たちも師事し、

慕われた指導者です。

 

 

彼は日頃こんなことを言っていたそうです。

 

「音楽は、集中しかない。
音楽だけじゃなく、

芝居やバレエ、スポーツでも全部そう。


ある決定的瞬間に集中できない奴はだめだ」
 

 

「演奏家になった以上は表現することが一番大事。


じゃあどうしたら『表現』できるようになるか。


そのためには緻密に、とにかく緻密に作ること。


アバウトでは駄目。

 

緻密すぎるほど緻密に作って
初めて『表現』までいくことができる」

 

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【第二楽章:師として・・・】

 

月謝は最低限、レッスン代を免除することもある。


できの悪い生徒に対してこそ絶対に手抜きをしない…。

 

教育者・斎藤秀雄氏は

多くの弟子を導いた、まさに本物の「師」でした。

 

 

「自分のためじゃなくて、
何でも他人のためになることを、


収入のことを考えないで

 

まじめにやれる人、
一番偉いと思うんです」


 

「レッスンのたびごとに、

必ず生徒の新しいことを

みつけだしてやるような先生、


それができないようなら

教師なんかやめた方がいい」
 

 

・・・
私も、私の生徒たちが過去を振り返った時


「あの人との出会いが大きかった」
と言われる存在でありたい。

 

斉藤氏の言葉を聞いて今あらためて、

強く思います。

 

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【最終楽章: お別れの曲・・・】

 

斎藤氏の最晩年、

 

彼が指導する学生オーケストラの
志賀高原での夏合宿のことです。

 

彼はガンに冒され車椅子で参加していました。

 

 

「ごめんね。これしか手が動かない。」

 

 

と言う師のわずかな手の動きから
全てを汲み取ろうと演奏する学生たち。

 

その時、最後に演奏した曲はモーツァルトの
"ディヴェルティメントニ長調K.136”
という曲でした。

 

 

"ディヴェルティメント"は日本語に訳すと
「嬉遊曲」

という意味で、


明るく軽妙で楽しく、

深刻さや暗い雰囲気は避けた曲風のものですが、

 

演奏終了後、

 

たまたまその場にいて演奏を聴いていた
何も知らない部外者(湯治客)が、
学生にこう尋ねたそうです。

 

 

「今夜は本当に素晴らしかった。
ところで、"ディヴェルティメント”というのは
『お別れの曲』という意味ですか?」

 

この一言で、

 

それまで抑えてきた学生たちの感情は崩れ、
あちこちで嗚咽の声が漏れたそうです・・・。

 

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