【前奏曲 / プレリュード】
教え子の一人でもあった、小澤征爾は
『あの日』のことを回顧しこう話します。
「先生(恩師の斎藤秀雄)が
病気で死ぬことを
みんな知っているから、
みんな泣きながら弾いているの、
心の中で。
全員が先生の手を見ているから、
信じられないくらい音がぴったり合っているの。
僕は今でもそのテープを持ち歩いて、
先生のことを思い出すたびに
それをかけるんだけどね。
聞いているうちに涙が出てくるんだ。」
////////////
【第一楽章: その指導】
斎藤秀雄は
チェリスト、指揮者、音楽教育者として
日本の音楽界の屋台骨を築いた人物。
彼の指導法は『Saito-method』として
世界中の音楽学校で教えられており、
指揮者を目指す者にとっては必須と
言われているそうです。
それだけでなく、
『教え子にインパクトを与える指導者』
としての功績が輝く人物で、
山本直純や小澤征爾ら多くの
著名な音楽家たちも師事し、
慕われた指導者です。
彼は日頃こんなことを言っていたそうです。
「音楽は、集中しかない。
音楽だけじゃなく、
芝居やバレエ、スポーツでも全部そう。
ある決定的瞬間に集中できない奴はだめだ」
「演奏家になった以上は表現することが一番大事。
じゃあどうしたら『表現』できるようになるか。
そのためには緻密に、とにかく緻密に作ること。
アバウトでは駄目。
緻密すぎるほど緻密に作って
初めて『表現』までいくことができる」
/////////
【第二楽章:師として・・・】
月謝は最低限、レッスン代を免除することもある。
できの悪い生徒に対してこそ絶対に手抜きをしない…。
教育者・斎藤秀雄氏は
多くの弟子を導いた、まさに本物の「師」でした。
「自分のためじゃなくて、
何でも他人のためになることを、
収入のことを考えないで
まじめにやれる人、
一番偉いと思うんです」
「レッスンのたびごとに、
必ず生徒の新しいことを
みつけだしてやるような先生、
それができないようなら
教師なんかやめた方がいい」
・・・
私も、私の生徒たちが過去を振り返った時
「あの人との出会いが大きかった」
と言われる存在でありたい。
斉藤氏の言葉を聞いて今あらためて、
強く思います。
///////////
【最終楽章: お別れの曲・・・】
斎藤氏の最晩年、
彼が指導する学生オーケストラの
志賀高原での夏合宿のことです。
彼はガンに冒され車椅子で参加していました。
「ごめんね。これしか手が動かない。」
と言う師のわずかな手の動きから
全てを汲み取ろうと演奏する学生たち。
その時、最後に演奏した曲はモーツァルトの
"ディヴェルティメントニ長調K.136”
という曲でした。
"ディヴェルティメント"は日本語に訳すと
「嬉遊曲」
という意味で、
明るく軽妙で楽しく、
深刻さや暗い雰囲気は避けた曲風のものですが、
演奏終了後、
たまたまその場にいて演奏を聴いていた
何も知らない部外者(湯治客)が、
学生にこう尋ねたそうです。
「今夜は本当に素晴らしかった。
ところで、"ディヴェルティメント”というのは
『お別れの曲』という意味ですか?」
この一言で、
それまで抑えてきた学生たちの感情は崩れ、
あちこちで嗚咽の声が漏れたそうです・・・。
/////////////
【その他の名言記事へのアクセスは】
【こちらの記事も是非どうぞ】