他人を受け入れることはとても難しい。


できない人やその態度を許容してしまうと自分が負けたようなあるいは悪いことを自分がしているような感情になることがある。


だから、その人のことを責めてしまう。

その人を責めることで、自分の正当性を保とうとしたり、自分の価値を証明しようとする。


でも、その人を責めたところで、自分も嫌な気分になるだけ。



責め心のない人は、『諦める』ことを知っている。


諦めるって、「弱い人間のするよくない行為」だと思ってたけど違う。


諦めるの語源は、「明らかにする」こと。


その人はそういう人なんだということをまず明らかにしてそれを一旦受けて止める。


それが『諦める』こと。

自分とは違う存在なんだと諦めること。その人を自分の支配下や思い通りにコントロールしようとしないこと。


それができる人は、『責め心のない厳しさ』で接することができる人。まさに、優秀な指導者やリーダーの姿。



自分の思い通りに動く人なんて、世の中に一人もいない。後輩、従業員、子ども、恋人、夫婦、友人、自分の思い通りに動く人なんてたったの一人もいない。いる訳がない。



そして一方で、

なんとかうまくコントロールしようなんて下心のある人は、『馴れ合いの優しさ』で人に近付いてくる。それは時には悪魔のような振る舞いにもなる。責任感のない自己中心的な感情で接してくる人は皆『馴れ合いの優しさ』でやってくる。


【責め心のない厳しさと馴れ合いのない優しさ】


とても大切だし、自分もそうでありたい。