友人の話で、「これください」と店員に品物を持っていった時、店員が少し沈黙し、「これは商品なのでタダでは渡せないんですよ」と困りながら言われたといっていた。

少し前までは、店員に、「これください」と言えば、店員は「400円です」のような、店という環境内で、客が「これください」=「これ欲しいのですが、いくらでしょうか?」という目的が省略され、「これください」だけになっていて使われているという事を、背景や前後の行動、雰囲気や状況から総合的に察し、言葉をそのままの意味として捉えるのでは無く、本質的な意味として捉えてコミュニケーションが出来ていた。

店員側からの視点に立てば、今の時代、考え方の多様性の広がりから、このように雰囲気と感覚で判断すると、解釈の違いをおこしやすい為に、文字にし、はっきりそのままの意味として話しをしないと、コミュニケーションが上手くとれない、と感じているのから自然と適合的にそのパターンが現状最善で生きやすく、そうしているのかもしれない。

しかし、この認識方法を得意とし、採用しているのはAIである。
AIは逆にこのようなプログラムされた認識でしか行動、判断ができない。
上記のような、環境、雰囲気、前後の行動から柔軟に本質的情報を察するというパターンを取れない。

例えば、飲食店で働いてるとして、店内でゴキブリが出たら叩き潰すをインプットされたAIがあるとして、めったに出ないネズミが出た時、同様に叩き潰せるのかという点。
何故ゴキブリを叩き潰したのか、本質的に理解していれば、ネズミが出ても即行動判断ができるが、本質を理解していなければ行動ができない。

上記の友人の店員に当てはめれば、この店員はおそらくネズミを叩き潰さないだろう。理由は、ゴキブリを叩き潰して、としか言われてないからである。