11/26日は市内観光
アクアポリスの丘(パルテノン神殿)・パナシナイコスタジアム・国立考古学博物館です。
まずはホテルのすぐ脇のギリシャ議会前での衛兵の交代式。
ロンドンとは全く趣が違います。
一時間おきに交代しているようですので人だかりもほとんどありません。
イケメンでした。
(修復がゆっくりと進むパルテノン神殿)
ドーリア式建造物の最高峰と見なされるパルテノン神殿は柱の構造、メトープ(長方型の彫刻小壁)と呼ばれる72枚の高浮かし彫りも素晴らしなったです。
スポーツ用品のナイキロゴや社名の由来となった勝利を意味するアテーナー・ニーケー神殿も形状をみて納得。
1896年の第1回近代オリンピックの会場。無茶苦茶ヘアピンコーナー
ここからはアテネ国立考古学博物館
下の写真はアンティキティラ島の機械とその説明。
この機械は1901年に考古学者ヴァレリオス・スタイスによってアンティキティラの沈没船(英語版)から回収された。ただし、その複雑さや重要性は何十年もの間気づかれることがなかった。紀元前3世紀ー紀元前1世紀中ごろの間に製作されたと考えられており、同様な複雑さを持った技術工芸品は、その1000年後まで現れることはなかった[3]。
フランスの海洋学者ジャック=イヴ・クストーは1978年に最後に沈没船を訪れている。しかし、「アンティキティラ島の機械」の残りの部分を発見するには至らなかった[4]。アンティキティラ島の機械に関する最新の研究を指導しているカーディフ大学のマイケル・エドマンド教授は「この装置はこの種のものとしては抜きん出ている。デザインは美しく、天文学から見ても非常に正確に出来ている。機械の作りにはただ驚嘆させられるばかりだ。これを作った者は恐ろしく丁寧な仕事をした。歴史的にまた希少価値から見て、私はこの機械はモナ・リザよりも価値があると言わねばならない」としている。
WIKIより
イギリスに行った時にまとめて観た映画の一本、インディ・ジョーンズと運命のダイヤルの作中のアルキメデスが制作したと設定した時空を超える装置のモチーフ。
全く予備知識なく眼前に現れ本当にびっくり。
これと出会え、その解釈を知れただけでギリシャに来た甲斐があったと思わせてくれました。
アガメムノンのマスクは、ミケーネで1876年にハインリヒ・シュリーマンによって発見された遺物である。この仮面は、金でできた葬儀用の仮面であり、埋葬穴(円形墓群Aの5号墓)にあった死体の顔の上で発見された。シュリーマンは、伝説上のギリシアの指導者アガメムノーンの死体を発見したと信じ、この仮面の名前はここから来ている。しかしながら、現代の考古学的調査は、この仮面が紀元前1550年から1500年のもので、これまで言われてきたアガメムノンの活動期より早いことを示唆している。それにもかかわらず、アガメムノンのマスクという呼称は、依然としてそのまま残っている。
WIKIより
ガイドさんは随分シュリーマンを英雄的に説明していましたが、調べるとかなり功名心が強く、強引な手法で調査を進めていたようですので毀誉褒貶ある人のよう。
いずれにしても翌日訪れるミケーネの遺跡の大発見は彼の功績によるもの。
マスクなどの細工の美しさに目を奪われました。
今回のギリシャで見たかったものの一つ、それは紀元前の彫刻の「おっぱい」でした。
キリスト教がヨーロッパなど多くの地域を帝国主義と足並みを揃えて歩みながら席巻(イスラム教との対峙は別とし)する以前は沢山の地域に根差した信仰があり、それを包摂する形で現在に至っています。
それ以前は各地に地母神信仰が存在していたと言われています。
猫以外はメスの家畜の入山も禁止されるアトス山に象徴されるようなストイックなキリスト教以前の女性の表現、なかんずく「おっぱい」には興味津々でした。
これは立花隆さんの受け売りですが(笑)
地母神(ちぼしん、じぼしん)、母なる神(ははなるかみ)は一般的な多産、肥沃、豊穣をもたらす神で、大地の豊かなる体現である。「大地の母」として描かれる。
母権制と女神の歴史[編集]
母なる神は多くの社会において深く崇められてきた。ジェームズ・フレイザー(『金枝篇』の著者)や彼に影響された人々(ロバート・グレイヴズや マリヤ・ギンブタス)は論を進め、全ての欧州とエーゲ海沿岸地域の母神信仰は、新石器時代に遡る先インド・ヨーロッパ人(英語版) (Pre-Indo-European) の母系社会を起源とすると論じた。
(WIKIより)
とても、ビューティフル、そして官能的でした。
ホテルからシンタグマ広場をのぞむとクリスマスの賑わいが始まりつつありました。