「ECHOES OF LIFE」千葉公演のチケット、何とか確保できました!
SS席とS席を見比べ、1と2に分れているSS席よりS席の方が席は多いかも…それに、ららアリはたまアリより狭いから一番上でも見やすいよね?と考え、S席を第一希望にしてゲットです。
ありがとう!新しいクレカよ!
ところで、結弦くんの「ECHOES OF LIFE」を見ていて、私の趣味的に少し思ったことがあったので、ちょっと別に書くことにしました。
オカルト好きの視点から見た、ショーの内容とはちょっとズレる話です。
興味のない方はスルーしちゃってくださいね。
まず最初に気になった部分は、今回のストーリーの根底にある物語の核は
「平行宇宙(パラレルワールド)」
?もしくは
「多元宇宙(マルチバース)」
なのかな?と感じた部分ですね。
結弦くんはいつも自分のプログラムを「この子」とか「あの子」などと呼んで、それぞれが別の存在であるように話しています。
そういう意味では、今回の主人公「NOVA」も、結弦くんの「あの子」の一人であると同時に、結弦くん自身の投影であり「別人格」なのかもしれません。
「平行宇宙」とは、ある世界から分岐しそれに並行して存在する世界で「多元宇宙」とは複数の宇宙や時間などが集合して存在する宇宙です。
複数の自分が同時に存在する世界線は、どちらかというと「多元宇宙」です。
でも、結弦くんの
「私の「いま」は、何本にも分かれた、スタート地点の同じ電線みたいなものだ…」
というセリフを聞いて、今回のストーリーの主題は、イメージ的には「平行宇宙」なのかな?と私は思いました。
パラレルワールドだのマルチバースだのというと、まるでオカルトのように聞こえるかもしれませんが、どちらもちゃんとした理論物理学上の説として存在する言葉です。
最近ではYouTubeの都市伝説界隈が「平行宇宙は存在する!」とか「次元上昇(アセンション)が始まった!」などと騒いでいますが、平行宇宙というのは簡単に言ってしまうと
◆私という存在が生まれた時から、何かを決断するたびに私の未来は「それが成功した未来」や「失敗した未来」というように分岐していく。
つまり、成功した自分も、失敗した自分も同じように重なって存在している別々の世界があり、どちらの自分も確かに自分自身である。
と言うような感じです。
これは結弦くんのストーリーブック42Pに書いてある通りなので、イメージとしてはそんな感じです。
たまにその世界が交差してしまう時があり、ある日突然、今までと違う世界に紛れ込んでしまう人が現れるというのが「都市伝説」で言われる「平行宇宙」というものですが、これに関してはまだ正解は分かっていません。
理論物理学では「平行宇宙」と呼ばれる現象も、精神医学的には「認知のゆがみ」として説明できてしまうからです。
また(平行世界とは別に)「ECHOES OF LIFE」の、この世界が崩壊した未来というのも興味深かったですね。
失われた超巨大文明というのはいつの時代もオカルト好きの永遠のテーマですしね。
実際、古代核戦争説というのもあるんですよ。
インドの「マハーバーラタ」や「ラーマーヤナ」「リグ・ヴェータ」などに、世界は核で滅びたと思える記述があるんですね。
なので、「この世界はずっと前に大きな戦争で滅びたことがある」という説は、大昔から一定数の人達が信じてきたわけです。
もちろん考古学的には認められていないわけですが、パキスタンのモヘンジョダロ遺跡から超高温でガラス化した地層が発見されたとも言われていて、古代核戦争説を信じる人の根拠になっていました。
ちなみに、私たちはモヘンジョダロに観光に行ったことがありますが、それらしい痕跡は見つけられませんでした。というか、パキスタン政府にそんな財政的余裕がない感じでした。
私は、そういった超古代文明もオカルトの分野のひとつとして興味を持ってきましたが、それらのことを学んだうえで理解したことは
「人類は何度滅びかけても争うことをやめない」
ということでした。
まるで、戦うことで命の炎がより輝くとでも言わんばかりに、人間は怒り、嘆き、苦しみ、愛しあい、そして死んでいくんです。
どんなに互いに愛し合おう大切にしようと訴えてもダメなんです。
まるで人間のDNAには戦うことがインプットされているかのように戦い始めるんです。
どれほど賢く生まれていても、歳をとると利己的で独善的になり、自分を守る為に他者を平気で害するようになります。
これはもう変えられないんですね。
そんな汚れた世界に、人間はどうして生まれてくるのか。
何をするために生を受けるのか。
いずれ滅びる道をたどるのに、なぜ人間は「生きたい」と思うのか。
過去を調べれば調べるほど、人間が過去から何も学習せずに破滅に向かう現実に絶望するわけです。
でも、もしかしたら滅びの遺伝子を持っているのは人間だけではないのかもしれません。
1968~1972年にかけてアメリカで行われた「ユニヴァース25」というネズミを使った実験があるんですが、それによると、餌も寝床も何の不自由もない環境を与えてネズミを観察すると、ある程度のところまでは数を増やしますが、最後には必ず殺し合いを始めたりオス同士で交尾を始めたりして、そのうちその群れは滅びるんだそうです。
つまり、何不自由ない生活を手に入れるとその生物は絶滅する方に進んでいくということです。
まあ、詳しく書くのも面倒なので興味を持った方はそれぞれ調べていただくとして、そういった実験から何が分かるかというと
「人間の本能は、生きるために殺し合うことを求めているのかもしれない」
とも思えてくるわけです。
で、人間がなぜ生まれ何をするために生きているかという疑問は絶対に理解できないのか?というと、最近ではある程度同じ内容に集約されてきています。
もちろん、宗教観の違いにより受け入れられない部分もあるかとは思いますが、宇宙人だの高次元の意識体だの臨死体験をした人達だのの言う話を寄せ集めると、大体はこんな感じにまとまります。
◆この世界の全ての魂は、巨大な宇宙意識体の一部であり、その存在は不滅である。
だが、その宇宙意識体にはそもそも感情がなく、宇宙意識体の中にいる状態では何かを行動することも学ぶことも出来ない。
そのため「経験」と「感情」を得るために人間は生まれ、1人1人の人間が得た経験は全ての意識体にとっての喜びとなる。
とまあ、ざっくりいうとこんな感じです。
キリスト教の言うように輪廻転生が存在しないのであれば全ての魂の成長具合は同じくらいのはずであり、5歳でお年寄りを助けようとする子供がいたり30過ぎて自分のイライラを他人にぶつける大人がいたりすることは考えにくいんですね。
そう考えると、生まれた回数によって経験値が違うからそういう違いが出てくるんだという考え方にも納得できるわけです。
もちろんどの説も証明はできません。
中には「地球は宇宙の流刑地だ」という説もありますが、もしこの地球が罪人が流される流刑地なのだとしたら、この世界は美しすぎます。
そう私は思うわけです。
そして、そんな辛い世界でも、一生懸命に生きていたら、金色の衣を身にまとった神様が、アイスリンクに降臨して美しい姿を見せてくれるんですよ。
だからこの世界は生きるに値するんですね。
「ECHOES OF LIFE」を見た後、過去に色々勉強したオカルト的なことが頭の中をぐるぐるしています。
物理学を突き詰めると量子力学に行きつき、量子力学を理解しようとするとオカルトに辿り着くと言われていますが、それも分かるような気がします。
でも、答えの出ない問いであったとしても、何も考えないよりずっといいんです。
とりとめのないことを、文章を精査することもなく書きなぐってしまいましたが、結弦くんの「命の問い」に、そういった思いを巡らせてみるのも楽しいですね。
以上