Newsweekの結弦くんインタを読みました。
なんというか…このインタビューを受けている時、まさかこの数日後に再び能登が災害に見舞われることになるとは思ってもいなかっただろうなと、そう考えると切ない気持ちになってしまいます…。
各ニュース媒体が被災地の映像を流してくれていますが、その状況の悲惨さにまたしてもザワザワしてきます。
能登地震のボラについてはゴミの集積場も閉鎖になるということで、7月を最後にしようということになっていました。
(8月から11月にかけて飯舘村の草刈りボラもあって、そっちも人手が足りなかったんです)
それがこの豪雨です。
急きょ行くことが決まったみたいです。
まあ、あの惨状を見たらね、そりゃ行くよね?
私はその日程で姉が来てしまうので行けないんですが、友人たちは「行きはみんなに同行させてもらって、帰りは新幹線で帰ってくるというのはどう?」と、色々考え始めているようです。
水害のボラはとにかく汚れます。
乾くと掃除がどんどん大変になるので、まだ濡れているうちに一気に片付けるのが一番なんですが、そうなると泥汚れを嫌がってはいられません。
長靴はもちろんですが、泥だらけになっても中にしみないレインウエア(出来れば透湿性のあるやつ)も必須です。
それと、割れ物や折れた木などが入るとゴミ袋はあっという間に破れますので、泥をかき出すなら土のう袋一択だと思います。
土のう袋だと、中身を捨てて何度も使うことも出来ます。
ニュース映像で、避難中に目の前で土砂崩れが起きて孤立してしまったという映像も流れていましたが、本当に能登はすぐそばが山なのでどこも安全とは言えません。
でも、そういった映像を見て、何かしたいと気にしている人達はいます。
なので、石川県は金沢からバスを出すなんて緩いことをしてないで、近隣の市町村からボラバスを受け入れるくらいの決断をして欲しいと思います。
どうも石川県は加賀百万石のプライドがあるのか、他者に助けを求めるということをしようとしないんですよね。
石川県に集まった寄付は早急な道路の修復に当てるとかなんとか知事は言っていましたが、そうじゃないんですよ。
住んでいる人たちに「まだここに住めるよ」という希望を与えることが大事なんですよ。
ああいった大きな災害を経験すると、子供たちも普通より早く大人になります。
結弦くんもそうやって、悩んで悩んで、深く深く考えて、そうして早く大人の思考を身につけていったんだと思いますが、そうならざるを得ないというのは切ないですよね。
「自分のために時間をくれた人に対して、何の命も心も込めていないような時間は過ごせない」
結弦くんはこんなことを言っていましたが、こんな言葉はのんべんだらりと生きてきた人間には決して言えない言葉ですよ。
氷を作ってくれる人。
ライトを当ててくれる人。
音楽を作ってくれる人。
そして、決して安いわけではないお金を払ってそれを見に来てくれる人。
全ての人に思いがあり、それが合わさって初めて幸せな空間が出来上がるということを結弦くんは知っているんですよね。
だからこそ結弦くんの演技を見たいと思う人が後を絶たないんです。
人間、みんないろいろな不安や苦しみを持っているんですよね。
そんな中、今大変な人たちに手を貸したいと思うボランティアも、笑顔になってもらいたいと思う結弦くんの演技も、根っこの部分は同じなんだと思います。
あんな過酷な状況にいる被災地の方々に、軽々に「頑張れ!」とは言えないんですが、それでもみんな気にかけているんだよと、それだけは分かって欲しいですよね。
私もまだ、何をどこまでやれるのかは分かりませんが、出来る範囲でコツコツ頑張っていきたいと思います。
以上