少し時間がたってしまいましたが、2/10~2/12のボランティアについて書いてみたいと思います。
2/10早朝。
新潟と富山経由で七尾市に入りました。
富山湾近くにある「きときと食堂」が早朝からやっていたため、ここで朝食をとってから七尾市入りをします。
「刺身定食」
好きなものを取っていい小鉢が2つついて1200円くらいだったかな?
朝に食べる量じゃないなと思いながらもペロリと食べちゃいました
石川県に入ってしばらくして、まだここまではトイレが生きているという場所でおトイレ休憩を取ったんですが、用を済ませて外に出ると、他の人達が
「石ちゃんが!ネプチューンの人達が!」
と何やら興奮していました。
どうやらホンジャマカの石塚さんとネプチューンの3人と松本明子さんがいらしていたんだそうです。
私達がトイレに入っている隙に!
みんな一緒に写真撮ってもらっているのに!
どうやら能登町柳田まで炊き出しのボランティアに行かれていたみたいです。
メディアには出ていなかったのですが、現地の方がSNSに上げておりました。
芸能人でも、メディアを引き連れて行くことなく、こうして炊き出しなどのボランティアをされている方々もいっぱいいるんですよね。
それに対し「売名行為」などと言ってSNSで悪態をつくことのなんと無意味なことか…。
売名行為でも何でもいいから自分も被災地に入ってみればいいのにね。
石川県に入ってしばらく行くと、少しずつ道が荒れてきました。
普通に通れるといえば通れますが、ところどころ補修をした段差があって、時折
「いくぞー!」
「うぉーい!」
ってな感じで車が跳ね上がりました。
通るには問題ありませんがスピードは出せない感じです。
輪島や珠洲市のあたりまで行くと通行止めの道もありますが、富山から七尾市に行く道は普通に通れました。
何ヶ所か検問があって、停まっていたパトカーが「千葉県警」のだったりすると、なんとなく東日本の時の検問所を思い出しちゃったりしますね。
東日本の時は何年もの間、全国から応援の警察官が来ていました。(そして私は福島で大阪府警のヤツに職質された)←実話
朝8時ころに七尾市和倉町に到着。
和倉温泉は初めて来ましたが、一大温泉郷ですね。
和倉温泉のシンボル的な巨大温泉旅館「加賀屋」さんがドーン!とそびえ立っています。
とりあえずざっと周囲を見てみましたが、建物の外観が激しく崩れているような場所は見当たりません。
ただ、外観は大丈夫に見えて中は壁が崩れたり家具が倒れたり、どこのホテルも大変なようでした。
あちこち地面が割れたり配管が隆起したりしています。
まあ、このあたりはボランティアがどうにかできる仕事じゃありません。
多少穴を埋めたりはしましたが、最終的にはプロの人がやってくれると思います。
個人のお宅での作業はプライバシーもあるのであまり紹介できませんが、とある宿泊施設の3~4階から重たい荷物を運んで下ろしたり(私以外の方々が)それを軽トラに積んで集積場に運んだり(私以外の方々が)掃除機をかけたり床を拭いたりしました。
この軽トラ…積み過ぎでね?
椅子、落ちたんだっけ?
あるお寺の割れた瓦を拾い集める作業。
休憩をはさんで、午後は屋根の上に残った瓦を落とすという本格的な作業をやる予定でしたが、休憩中に「緊急地震速報」が鳴り、危険ということで中止になってしまいました。
昼の買い出しに行っていたら車の中で全員の携帯が「ピロピロリ~ンピロピロリ~ン」と鳴り始め、ちょっと驚きましたよ。
しかしもっと驚いたのは、脇に車を止めて様子をうかがっていた私たちの車を地元の人達はガンガン抜いていったこと。
「誰も車を止めねぇ…」
慣れってコワイわぁ
午後のお仕事がなくなってしまったので、近所の避難所に御用聞きに伺い、現在片付け中の個人のお宅のお手伝い。
ご依頼のあったお家に伺うと、中から出てきたお母さんはなんというか、すでに精も根も尽きたという感じで、亡霊のように力なく「よろしくお願いします…」と小さな声で頭を下げてきました。
娘さんと、なんとか片付けようと色々なものを片付け始めたのはいいけれど、どうにもこうにもならなくて途方に暮れているという様子でした。
災害というのは、地震や水害でやることが全然変わります。
水に浸かってしまったら捨てるしかないものでも、壁が崩れただけだと家具は無傷の場合もあります。
屋根が崩れて雨漏りしたことで畳がダメになった部屋、なにも損傷のない部屋、それは全ての家で様子は違います。
そしてほとんどの方は、捨てなきゃいけないものを選別しているうちに途方に暮れてくるわけです。
市町村は「災害ゴミに普通ゴミや資源ごみを混ぜるな」と言いますが、ひっくり返った家の中から出てくるものは大半が「捨ててもいい物」だったりするので、そこで迷って作業が続かなくなるのです。
でも、ボランティアにそういった逡巡はありません。
「これはいりますか?捨てますか?」
「これはどこに持って行きますか?」
「捨てるなら分解しますが、いいですか?」
「じゃあ、いるものは全てあっちの部屋に運べばいいですね?」
「畳も捨てますね?じゃあはがします!」
と、次々指示を仰ぐので、最初は生気のなかったお母さんが、だんだん
「はいっはいっ、大丈夫です、お願いします」
と元気になってきていました。
土のう袋に分解したものを材質別に分けて入れるのですが、家具類は分解しないと袋に入りません。
なのでバールなどでぶっ叩いて分解していきます。
ボラ仲間の男の人でとっても痩せてた人がいまして、その人がバールで家具を分解しようとしていたのですが、ガンガン音はしても一向に外れません。
「どれ、ちょっと貸してみ?」
とバールを受け取り、思いっきり叩きつけると
ガーーーン!
「いってぇぇぇぇ~!手が!手首が~!折れた~!」
↑折れてません(笑)
いやもう大爆笑!
叩いても壊れない家具は地道にノコギリで切断して分解です(笑)
途中、割れた窓ガラスの破片を片付けていたら、娘さんがそれを手伝おうとしてくれたんですが
「ああっ!素手はダメ素手は危険!私達は皮手袋してるから、こう言うのは任せてくれていいからね」
いやホント、まれにテレビの映像で、素手で片付けをしている人を見るんですけど、見ているだけで怖いですよね。
釘やガラスで怪我したりトゲなども刺さることもあるので、こういった作業に皮手袋は必須なんですよ。
軍手は濡れるしトゲも刺さるし重いものを持つと滑ることもあるしで使い物にならないんです。
なので、最低ゴム張り軍手かゴム手袋、安全を考えたら皮手袋が最強なんです。
半日ほどの作業でしたが、みるみる片付いていく家の中に、お母さんの顔がだんだん明るくなっていくのが見ていて嬉しかったです。
全部を終わらせられたわけじゃないんですけど、途方に暮れていた状況から先が見えるようになったのなら、ボラに来た甲斐もあったというものです。
崩れた壁から剥がれ落ちた石膏ボード、畳、小物家電、燃えるもの、燃えないもの。
集積所ではそれらを区分けして捨てるのですが、一般のおうちでは分別しないでまとめて運び込んでくることが多いらしく、集積場に来てから仕分けを始めたりして、さらに時間がかかっていたそうです。
畳の捨て場所。
運び込まれたものは次々搬出していたようなのですが、ぶっちゃけこれだけ震災ゴミが多くなると集積場に持ってくるのも負担ですよね。
軽トラを持っていないお家は乗用車で少しずつ持ってくるしかないわけで、そのたびに何時間もかかるのでは効率が悪いと思います。
こういったことも、災害が起きてから考えるより常日頃からシミュレーションしておくのがいいんでしょうね。
「ボランティアの方は来てくれたのに親戚が手伝いにも来てくれない」
と嘆いていた方もいましたが、あんまり親戚などは期待しない方がいいと私は思っています。
ボラと違って、身内の場合寝る場所も食事も面倒見なくちゃいけない割に、素人さんはそれほど役にたたないんです(笑)
初めて被災地で作業する場合は誰であってもそんなもんです。
他人に見られても平気なものでも、親戚に見られるのは気を使う場合もありますしね。
そこに何があったとしても、気にもしないで捨てられるのがボランティアのいいところかなと、何度か避難所への引越しの手伝いなどをして思うようになりました。
明日の夜からまた同じチームでボラに行くようですが、体力なしの私はさすがにパスです。
前回は8人ほどの人数で活動しましたが、今度は17~8人ほど集まったようなので、もっと多くの作業が出来るんでしょう。
水道が復活するのがいつになるのかは分かりませんが、トイレとお風呂が何とかなったら、きっと一気にボランティアが増えると思いますよ。
それまで、もう少しの辛抱ですね。
以上