先日、大坂なおみちゃんが鬱を公表し、テレビでは毎日のようにそのことを取り上げていました。


最初、会見を欠席すると発言した時、多くの人が

「わがまま」
「会見も仕事のうちだろう」
「それも含めて高い金貰っているのに」
「やりたいことだけやりたいってか?」

といった否定的なコメントばかり書いていて、ちょっと驚いたんですよ。



私はむしろ、「そろそろこんな会見なんてなくなってもいいよね」と大阪選手に同情していたので、それほどまでに否定的な意見が集まるとは正直驚きだったんです。



私は、会見なんてなくてもいいと考えている人間です。

バンクーバーやソチで、失敗して涙を浮かべる真央ちゃんに向けられる無数のマイクを見て
「今の気持ちなんて、そんなの分かるわけないじゃん!そっとしておいてあげなさいよ!」
と憤慨していたこともありました。





どんな会見でもそうですが、わざと相手を怒らせて本音を聞き出そうとえげつない質問をしてくる記者は必ずいます。

相手が感情をあらわにしたら質問した方の勝ち。
そんな風潮があるのを多くの人は感じ取っているはずです。

そんな質問にメンタルを削られて、それでもアスリートは我慢しなくちゃいけないのでしょうか。

勝負をすることがアスリートの本分のはずなのに、コミュニケーション能力まで求められるのは当たり前の姿なんでしょうか。


職場で「今日は化粧のノリがイマイチだね。君はあまり美人じゃないんだから化粧くらいはきちんとしなさいよ」なんて言われたら
「セクハラ!私は傷付いた!」
と上司を訴えることもできるこの時代に、なぜアスリートは会見で延々と続く失礼な質問に応えなくちゃいけないんでしょうか。

こんなに「自由」や「平等」が認められる世界になっているというのに、なぜアスリートには「断る自由」がないんでしょうか。

試合に集中したいのに、早く帰って寝たいのに、アスリートには自分のコンディションを優先することすら許されないのが普通のことなんでしょうか。



しかも、本人の話題でもない他の選手の話だったり、時には容姿やプライベートのことまで執拗に聞く記者もいます。

泣かせようとしたり、怒らせようとしたり、恋人のことまで根掘り葉掘り聞いてくるゲスな記者もいます。

アスリートは、そんなゲスな記者にメシのタネを与えるために全力を尽くして戦ったのでしょうか。





もちろん、そういった記者のペンが、その後ろにいる大勢のファンと繫がっていることはみんな知っています。
だから、ほとんどのアスリートはメディアとうまく付き合おうとします。


でも、全てのアスリートがコミュニケーションに長けているわけじゃないんです。




なおみちゃんは、セリーナに初めて勝った時
「思っていたような結果でなくてごめんなさい」
と観客に謝るほど、繊細で優しい性格です。

人とおしゃべりするのが好きな性格のアスリートもいますし、パーティなどで人に囲まれるのが好きな人もいます。

でも、彼女はきっとそういった外交的な性格ではないんだと思います。
だから、会ったこともない人にズケズケと物を聞かれ、すぐには答えに窮するような質問であっても一生懸命それに応えなければいけない会見の場が怖いんでしょう。

そういう人はいます。
アスリートだからと言って、全員がメンタルも強いわけじゃないんです。

大勢のアスリートが、ここぞという時に体に変調が出るイップスで引退に追い込まれていますが、それが試合による緊張感から来るものならそれは乗り越えるしかありません。

でも、負けた後や勝った後に、まるでそれを責めるかのように会見で質問されるわけです。それは試合とは関係がありません。

他の選手達も、負けた後の会見は嫌だと言っています。
実際、怒って途中退席やドタキャンも結構あるようです。

普通の選手達ですらそうなのですから、すらすらと小気味よく言葉にするのが苦手な人にとっては、そこは逃げ出したくなる場所なんだと思います。



喋るのが苦手なら出なくてもいい。
それを強制するような場所は少しずつルールを変えていくべきだと私は思います。

賞金を引くのもそうですが、下位の選手に一律高額な金額を引くのは負担です。
ならば、ポイントを引くとか、あるいは逆に参加した選手のポイントを増やすとか、何か「罰を与える」以外の、会見に出た選手にメリットのある「ご褒美」があればいいんじゃないでしょうか。

あるいは、人前で喋るのが苦手だというのなら翌日のオンラインメッセージでもいいですしね。

そういった、選手に選ぶ自由があってもいいんじゃないのかな?と、私はそう思うわけです。


私は、日本のメディアの
「今日はかつ丼を食べましたか?」
とか
「好きなすしネタは何ですか?」
といった、くだらない質問にちょっと呆れることがあったんですが、実は大坂選手にとってそういったくだらない質問はちょっとした癒しだったようなんですね。

日本のメディアの質問の時、大坂選手は少し素でいられるようだったと海外の記者が発言していました。

伊達公子さんはそういったくだらない質問にいつも憤慨してプリプリしていましたが(笑)大坂選手は、試合やライバルや人種やプライベートに関わる質問をされる方が、常に身構えていなければいけない感じで緊張するのかもしれないですね。



世間的には、試合前のインタビューで気分を上げて、試合を見た後は選手の会見で試合を振り返る、そこまでがスポーツ観戦だという意見が主流です。

特にプロスポーツは会見での喜怒哀楽も含めてパッケージになっています。

でも、私のようなスポーツとは全く無縁の人間は

「それって、選手の感情まで含めて娯楽にしているってことじゃないのかな」

と、少し複雑な思いを抱くのです。



怖かったら出ないという自由があってもいい。
あなたの辛そうな顔を見たいわけではないんだから。

不公平にならないように何らかのルールは必要だけど、素晴らしいパフォーマンスを見せてくれるアスリートを傷つけてまで、知りたいことはないはずですよね。



時代は変わっています。
かつてはペン記者の背後に無数の読者がいて、アスリートはその読者へ言葉を伝えてもらっていたわけですが、今ではアスリート自身が自分のSNSで自分の考えを発信できる時代です。

大坂選手のツイッターのフォロワー数は107.9万人とありましたが、これは1千万人を超えているということですよね?
インスタも248万人だそうですから、自分の意思を伝えるのに記者を通す必要はないんです。

サッカーのロナウドのように4億人を超えるフォロワーがいる選手もいます。
もう、サッカー誌の記事なんてただのサカオタの感想みたいなもので、選手のリアルはインスタやツイッターで得られるわけです。

記者のペンは、選手のメンタルを傷つけても許されるほど価値のあるものではなくなっているのです。



そういう意味では、フィギュアの会見は時間制限があって結構短いのでまだいいかもしれません。
10分くらいしかない持ち時間でどうでもいいようなこと聞くと、同じメディア仲間たちから総スカン喰らうと思いますしね。




たとえば、時間は10分、質問は5問まで。
事前に聞きたいことをボックスに入れてもらい、そこから抽選で引く。
くだらない質問は司会がパスする可能性あり。

こういったルールを設けるだけでも選手の負担は軽くなるように思いますね。
パスされたら困るから、みんな本当に聞きたいことだけ質問すると思いますしね。

FSマガジンで、オンライン会見の時間を無駄にしないため記者たちがあらかじめ聞くことを絞ったというようなことが書かれていましたが、メディアにもそのくらいの緊張感はあっていいと思いますよ。



錦織君は眠いのを我慢して会見を受けていましたが、選手を休ませるということを考えない運営は本来選手に非難されてもおかしくないんですよ。

「連盟はもっと選手を守るべきだ。そうしないとボルグのようにまた天才を失うかもしれないぞ」
とマッケンローが発言していましたが、「マッケンロー、お前がそれを言うか」と友人も言っていたので、それをおかしく感じてしまったのは私だけではなかったようです(笑)

マッケンローのあだ名は「悪童」でしたからね。

あれほどメディアとやりあった選手はいないので(笑)マッケンローに大阪選手の心の機微が理解できているとは思えないというのは言い過ぎでしょうか(笑)




とにかく、テニス界はお金が絡むから個人の自由はないがしろにされがちです。
他のスポーツもそうですが、アスリートの感情迄を含めてエンタメにするのはどうなんだろうと考えてしまうことも多々あります。

それで名声を得、スポットライトを喜ぶ選手もいれば、競技は好きだけどスポットライトには興味がないという選手もいます。

人と会話するのがイヤで、会社勤めをしていて心を病んだという人もいます。
私のように高いところが苦手な人間が、毎日高いところに登れと言われたら、やっぱり何か精神的にきてしまうかもしれません。

怖いもの、嫌なものは人によって違います。
アスリートにだけ「我慢しろ」という時代でもないはずです。

最低限度、闘うのはコートの中だけであったらいいと思う私は甘ちゃんでしょうか。
それ以外は選手が取捨選択できるような、そういう社会にそろそろ変わっていかなければいけないんじゃないでしょうか。

名誉を得るために命を懸けているアスリートがいるのも十分理解していますが、それでも多様性を認める社会を目指すのならなおさら、せめてスポーツの中では「強制」や「罰則」ではなく、それぞれが自分に合ったものを選べる柔らかなルールで運営していって欲しいなと思う今日この頃です。



以上