女優の芦名星ちゃんが亡くなりました。


もう10年以上前の、「仮面ライダー響鬼」の姫役で知って以来、テレビで姿を見ては「頑張ってるなぁ」と目を細めるような、そんな女優さんでした。

「星ちゃんが出るよ」と言って友人達とお芝居を観に行ったこともありますが、実際に見る星ちゃんは神々しいほどに綺麗で、ただ姿を見ているだけで幸せになる気がしました。

そんな女優さんの突然の訃報。
本当に残念でなりません。

芸能界のことは全くわかりませんが、繊細な人には辛い世界なのかもしれませんね。





それともう一人、サムソン宮本氏が亡くなっていたことを妹に教えてもらいました。

多分、ほとんどの方にとって知らない名前だと思いますが、私がボラの時にちょいちょい口にしている
「無理しない、ケガしない、明日も仕事」
をモットーにしていたアマチュア団体「新根室プロレス」の代表の方です。

所属レスラーの多くが覆面レスラーなのは、顔がバレると仕事がしづらくなるからで、本当に、「新根室プロレス」はあくまで田舎のプロレス同好会に過ぎない団体でした。

その団体がプロレス界で一躍有名になったのは、以前紹介した
「アンドレザ・ジャイアントパンダ」というスーパースター(?)を生み出したから。

見る人に驚いてもらいたい。楽しんでもらいたい。
そういった考えで生み出したアンドレザジャイアントパンダですが、これがプロレス界で話題になったんです。


こんなものを田舎のプロレス同好会がお金かけて作ったんですよ。
アホですよね?


でも、プロレス界だけではなく、確か去年は24時間テレビの直後の番組にもチャッカリ出ていましたし東京のイベントにもたくさん出ていたので、このパンダで町おこしが出来るんじゃないかというくらい(笑)人気者になりつつあったんです。



サムソン宮本氏は、このアンドレザジャイアントパンダを生み出した頃、平滑筋肉腫(へいかつきんにくしゅ)という10万人に1人の難病を発症しました。

そしてその病気には治療法がなかったんだそうです。


北海道の(というかもしかしたら根室が特殊なのかもしれませんが)冗談は、かなりブラックでシュールです。
新根室プロレスは代表の病気もあって去年末で解散してしまいましたが、最後の試合となる三吉神社の奉納プロレスでは、司会の人が
「みなさーん、サムソン宮本に香典は持ってきましたか~?」
と言って笑いを取っていたんだそうです。

こっちでは絶対に「不謹慎!」というクレームが入りそうな冗談ですが、そういう冗談を平気で言うのが北海道なんですよね。
(という話を、姉が「まだ死んでないっちゅーの!」と送ってきました)

この3年間、飛行機に乗れない(笑)アンドレザと一緒にワゴン車で全国を回りながら、きっと宮本氏は楽しかったんでしょうね。

どんどん観客が増えて、子供たちは大喜びしてくれて、東京でやったイベントはチケットもソールドアウトして、パンダの聖地上野にも殴り込み(笑)をかけ…。

きっと楽しかったと思います。

死ぬ前のほんの数年間だったとしても、幸せだったんじゃないかと思います。





最近、コロナ禍でピアノを手放す人が多いのでしょうか、タケモトピアノのCMをよく見かけるようになりました。

あのCMを見るたびに、私はちょっと切ない気持ちになってしまいます。


というのも、なぜあのCMが古いままずっと変わらず流されているのかというと、財津一郎さんはもう随分前から病気で仕事をしていないからなんです。

今、病気で仕事ができず収入もない財津さんを支えているのは、タケモトピアノの出演料だけなんだそうです。


その記事を読んだ時は本当に驚きました。
それまで「このCMいつまで同じのやるんだろう」くらいにしか思っていなかったのですが、そういった事実を知るとCMを見る目が全く変わってしまいました。

最近あのCMが良く流れるということは、ピアノを手放す人が増えたということでしょう。
子供が小さかった時に買って、そのまま大人になって家を出てからもずっとリビングに置いたままだったピアノ。

そんなピアノを処分するにも、その家庭なりの物語があるはずです。





生まれた以上は生きなきゃいけません。
必死にならなくてもいいし歯を食いしばる必要もありません。

でも、生まれた以上は生きなくちゃいけません。
お金持ちになる必要もないし、幸せとは言えない人生になるかもしれません。


それでも、生きなきゃいけないんです。
生きていなくちゃ、これから先幸せの光景を見るチャンスはなくなるんですから。




私は、見ず知らずの人間がネットで定型文のように「ご冥福をお祈りいたします」と書くのが好きじゃありません。


精一杯生きたならそれでよし。
そうでないなら残念であると、ただそれだけです。


辛くても悲しくても、明日も仕事。



そうやって寿命が来るまで生きてやっと、自分の人生が幸せだったかどうかが分かるのですから。




以上