結弦くんの録画を整理しながら、四大陸が始まる前の表情と、終わってからの表情が別人のように見えたのは私だけでしょうか。

今回、四大陸前の宣伝番組として「羽生とゆづる」という番組が流されました。

全日本でボロった直後の、ちょっと目蓋も重くナーバスになっているそのままの結弦くんは、力無さげで寂しそうで、ファンとしては見ているだけでウルッとしちゃうインタビューでした。

左上にタイムカウンターを乗せて、インタビューはノーカットである演出をしていたのは、意図的にネガティブな部分を編集したのではないよ、これは結弦くんの正直な感情の吐露だよと、それを視聴者に分かってもらいたかったのでしょう。

でも、あれは全日本直後の心象風景であって結弦くんの日常の思考ではないんですよ。



あのインタビュアーの方は、結弦くんが初めて全日本に出た時から(もしかするとそれよりずっと前から?)いつも単独で結弦くんのインタビューをとっている方ですよね?

声の感じとかカメラのこっち側というイメージから、私は「藤村くん(by水曜どうでしょう)」と名付けていますが(笑)子供の頃からインタビューをしている方なので、結弦くんはこの人には泣き言やちょっと大きなことも言っている気がします(笑)

シューゾーにはちょっと背伸びしたスーパーポジティブな発言をする結弦くんですが、藤村くん(仮名)には等身大のアスリートとして、時に強気、時に弱気な、正直な言葉を向けています。

そんな藤村くん(仮名)に対してだからこそ、今回も結弦くんは自分の弱さを見せたのかなと、なんかそんな、いつもは繭に包まれている繊細な部分を見せてもらったような、そんな気がしました。



あの時すでに「SEIMEI」で何かを掴み、色々思考を巡らせていたと思うのですが、紡ぎ出す言葉はまだ力無く、少し儚いイメージもありました。

でも、結弦くんはネガティブを引きずらないタイプの人です。
年が開けてすぐに「SEIMEI」で掴んだものを形にするべく、シェイリーンに協力を仰ぎ「SEIMEI」の組み直しにかかったとのことです。

思いついたらグズグズしないのが羽生結弦の羽生結弦たるところですよね?


私、流石に衣装はそのままのを使うと思っていたのですが、1ヵ月で衣装まで新しく作ってきましたからね。
どれだけ素早い行動だったか、悩む暇があったら行動しろといういいお手本を見たようです。

いやもう、衣装の方にまたどれだけ無茶を言ったのか(笑)
まあ、もうシーズンはど真ん中で衣装製作はひと段落している時期でしょうけど、それでも無茶なお願いと言えば無茶なお願いですよね?(笑)



でも、平昌五輪の2プロとは違うプログラムになっているんだというのを、ビジュアルでも判るようにしたいというのは結弦くんのこだわりなんでしょう。

平昌のあの子たちと今回のこの子たちは違うんですから。
曲が同じなだけで、演じる結弦くん自身が大きく成長しているんですから、バージョンアップしたら外装も変えなくちゃいけませんからね(笑)

平昌のあの子たちのイメージを持ち続けている私達ファンの「思い出」も大切にしてくれる繊細な心遣いもあるのでしょう。
それが結弦くんの思考なんです。


何度も同じ曲をやることを、結弦くんが「伝統芸能」と喩えたことで、色々ワーワー言っていた人たちがいますが、あれは結弦くん自身が明確な意思を持って発言したというより、あの場では上手い喩えがそれしか見つからなかったというのが正解なんじゃないのかな?と私は思っています。

もちろん伝統芸能という表現も正しいんですよ。

同じ演者が同じ演目を再演する場合、前より良いものをと考えるのは当たり前のことで、前より手を抜いては成長などあり得ないんですから。

身体を使って表現する者であれば、それは普通の考えだと思います。



伝統芸能と言ってしまうと能や歌舞伎や、はたまたバレエとかの、演目が何代にもわたって引き継がれ上演されている様子をイメージしてしまうのですが、私にとっての結弦くんの再演はそれだけじゃないんですよね。

私はその中に、職人が自分の技術を一生かけて磨き上げるというイメージも持っているんです。


違う人間が同じ演目を演じるのも「再演」ですが、その場合の「再演」には、どちらかというと前のイメージを壊さないように、最初は「前と同じ」であることが求められます。

ただ、その「前と同じ」でやるために、以前の役者を超える為に、厳しい練習が必要なわけです。

そして、少しずつ自分の色を持って前を超えていく。
それは、あらゆるパフォーミングアーツに共通するものだと思います。

結弦くんが私達に見せてくれているのは
「まだできる。もっとできる。こんなもんじゃない!」
という修行と成長の姿だよな、と私はいつも思います。

その姿は、表現者でありながら武道家のような、たった1人で舞台に立つ舞踏家のような、研ぎ澄まされた刹那的なイメージも有ります。

毎日毎日同じ型を繰り返し、身体に徹底的に叩き込み、ひたすら精進して、観客の前では完璧に演じる。

結弦くんは萬斎さんをリスペクトしていますから、そういったイメージがすぐ伝統芸能に結びついただけで、そこに伝統芸能とフィギュアを同一視するような他意はないのです。


好きな曲を繰り返し使う選手は多々います。

ミッシェル・クワンは「エデンの東」を何回使いました?
4回?5回?

ここぞという時に自分が1番身を委ねることの出来る快適な曲に運命を託すのは、音楽に親和性の高いスケーターなら皆さんやることです。

荒川さんがオリンピック直前にプログラムを「トゥーランドット」に戻したのも同じ理由です。

それをしないで、磨き上げることのできるプログラムを発展途中でも1年経ったら変えてしまうのは、曲に飽きてしまう人か、自分の意思を持っていないでコーチの言うまま「そんなもんなんだ」と思ってる人です。

自分はもっと、このプログラムを良いものにできるという確信を持っていないのです。
自分にはどこまでできるか、そのイメージを明確に持っていないので、プログラムを磨くという概念がないのです。



曲に飽きる選手も大変多いです。

試合だけではなく、練習でも毎日毎日何度も聞いて、時には数秒ごとに細切れで聞いていたりするわけですから、嫌になるのも仕方ないんです。

誰だったか忘れましたが
「好きな曲は絶対に使わない。シーズンが終わる頃には嫌いになってしまうから」
と言っていた人もいました。

なので、何度も同じ曲を使える選手とそうじゃない選手がいたとしても、それは選手個人の特性の問題で、どちらがいいというわけじゃありません。

しかも新しい「SEIMEI」に至っては、構成を上げジャンプの助走を削るという荒技を使っています。

あれは再演という生易しいものではありません。


曲をただのBGMに使い、音やリズムに身体の動きが全く合っていない選手は大変多いです。

好きな曲が流れてきたので興味を持って演技を見たら、曲は全く無視して好きなように演技をしていてガックリしたことも一度や二度ではありません。

「なぜその音で跳ぶ!」
というような、自分のタイミングだけを優先している選手はとても多いのです。


結弦くんの音ハメのこだわりは異常なほどですが、ひとつひとつの音と動きがシンクロしている演技はもう「スポーツ」の領域を軽く飛び越え、一人で演じるモダンバレエのような、そんな刹那的な芸術を見ているような気にもなるのです。

演じれば演じるほど、音のひとつひとつとさらに同化できるようになる。
音と一心同体になれる。

そういった境地に辿り着く前に、曲を変えてしまう人のなんと多いことか。(あ、ちょっとチコった)



曲をただの盛り上げるBGMと捉えているか、その音ひとつひとつを表現しようとしているかは大きな違いです。

最終的には同じフィールドで点数を競っているわけですので、そこに拘らなくても勝てるプログラムは確かにあるのでしょう。

でも、結弦くんが求めているものは全く違うのです。

もし、もう少し滑り込んだらもっといいものになるのがわかっていて、それでもなおそんなのは必要ないと考える選手がいたとしても、そう考えるのは個人の自由です。

でも、もっと良くなるならそれを追求したいと考えるのもまた自由です。


少なくともバラ1は、最初の時に比べ全くレベルの違う芸術作品になりました。

エレメンツを追うだけで手一杯だった時を超えて、音をひとつひとつ表現出来るレベルにまで昇華出来ているのを見るのは、正に古典芸能を見るために劇場に何度も足を運ぶ伝統芸能のファンの心持ちに近いと私は思うわけです。

前に比べて全く精度が違う。
動きの滑らかさも、表現も、もちろんジャンプの難易度も全く違う。

それを見るのは即ち、結弦くんがどれだけ成長しているかを目の当たりにすることに他なりません。


これこそが羽生結弦のファンの醍醐味なのです。

シニアに上がって10年、常に成長し続けている結弦くんだからこそ、私達はそれを感動と共に見られることに歓喜するわけです。




お気に入りの劇団を持つ人間は、同じ芝居を「初日、中日(なかび)、千秋楽」と3回くらいは観に行きます。

セリフを間違えずに言うのがやっとの、初々しい初日。

その芝居に慣れて、感情が乗ってきた中日。

そして、その芝居のキャラクターと完全に同化し、これが最後とばかりに演者も観客も感情が爆発する千秋楽。

この変化を見届けるのが楽しいのです。


初々しい状態で終わってしまったら勿体ないんです。
(もちろん、チケット瞬殺の劇団ではできませんけどね)



これは、ミュージカルも、バレエも、伝統芸能も似たようなものだと思います。

そんな変化を、身体芸術のひとつでもあるフィギュアスケートでも見られるなら、それはそれで素晴らしいことだと思いませんか?

それを手抜きと吐いて捨てるなら、身体芸術における再演は全て手抜きになります。

でも、違いますよね?

「やった〜!また再演される〜!」
と求める人がいて

「凄い!前よりはるかに深化してるー!」
と驚きを与えてくれるパフォーマーがいるなら、繰り返し使われるプログラムは否定されるものではありません。

それを「リサイクル」と呼ぶ人の思考の単純さ。

きっとそういう人は、反対の立場になったら毎年変えられるプログラムに「使い捨て」って言うのは目に見えています。

ただ、相手を傷つけたいという仄暗い感情がそこにあるだけなんですから。



実際、EXで演じられた「ホプレガ」も素晴らしかったですよね?

私、17年のヘルシンキワールドの「ホプレガ」について
「これはやっとノーミスできたという意味で、結弦くんのポテンシャルの50%」
と書いて、ずいぶんコメントで突っ込まれました(笑)

「あれは羽生選手の100%でしょう?」
というわけです。


もちろん、あの状況の演技としては100%完璧な演技だったのですが、ジャンプに集中しなければいけないため感情表現がほとんどできていなかったんですね。

その「ホプレガ」の感情表現を今回見せて貰って、私は
「ほら!やっぱり凄いじゃない!ホプレガはここまで情感込めて演じられるプログラムなのよ〜!」
と、涙が止まらなくなったわけです。

この感情表現とあの時のジャンプが融合したら、全ての人が号泣必至です。

ホプレガは日本人の心の奥深くに触れる曲なので日本人が泣くのは当たり前なんですけど、マッシさんみたいに海外の方も泣いていましたよね?
ということは、あれに感情が乗ってノーミスしたら、全世界が泣くんじゃないでしょうか。

そう考えると、もう一度試合でホプレガを見たいって思えてきませんか?

今ならあの時よりもっと凄いものが見られる。
ノーミスしたら泣く。
声上げて泣く自信がある!

そんな風に妄想できるのは、結弦くんが常に進化した「再演」を見せてくれるからですよね?

まあ、4回転がたくさん入っていると、そっちに集中しなくちゃいけなくて、フリーではそれほど感情を乗せるわけにはいかないんですけど(笑)


そういう意味では今回の「SEIMEI」は厳しかったと思いますよ。

フリーはルールが変わって4分にしなきゃいけなかったわけですから。
そんな縛りがある中での再演ですからね。

荒川さんは同じ曲でも編曲を変えていたので全く同じプログラムというわけではありませんでしたが、SEIMEIは既に伝説のプログラムですからどの振り付け部分にもファンには思い入れがあります。

あの、バッククロスを省いた時ですら皆さん「オ〜ノ〜〜ッ!」って感じでしたからね(笑)
(それをエキシで復活させてくれるあたり、結弦くんは本当にファンが求めているものを分かってくれていますよね?)


どの振り付けにも意味があってファンにもそれぞれ思い入れがある。

結弦くんはそれを充分理解してくれているので、振り付けを省かずにジャンプの助走を省きました。

え?

は?

そこって省けるとこなの〜?ガーン

つーか、1分間にジャンプ4本(4Lz込み)ってあーた鬼ですかい(笑)


いやあ、本当に驚きの「リノベーション」ですよ。
こういうことをやってくれるから羽生結弦という人間は面白いんです。

新しく構築中の「新SEIMEI」は、まだ少し滑り込みが足りなかったようですが、あれをノーミス出来たら、その時はまた優雅でなおかつ激しい平安活劇に私たちを連れて行ってくれるものと思います。

衣装の襟部分の色が若草色になったのも、なんか今年らしいですよね?

大河の主人公のテーマカラーが若草色ですし、最近話題のハイテクシューズのアルファフライの色も黄緑色です。

今年のラッキーカラーですかね?(笑)

新しいものとしての「若々しさ」として、結弦くんの再生にふさわしい色のように思います。

まあ、紫などに比べると格調高さは薄くなりますが、その分親しみやすさを感じる色ですね。



「SEIMEI」については、またもう一度、完成版を楽しみにすることが出来るというのもファンとしての楽しみのひとつですね。

実際、四大陸のフリーでも、氷の状態がもう少し良ければルッツも思い切っていけたのかな?と思わないでもないです。

演技の後、鍵山くんは氷を「硬かったですよね?」と言い、結弦くんは「柔らかかった」と言っていました。

これは、2人が違う感覚を持っていたというより、氷は
「薄くて脆かった」
ということだったんじゃないかと思います。

硬いけど脆いというのはあり得ることですから。


あのアイスリンクは常設リンクのようですが、水の質によるものか、大勢の観客が入ったことで敷きっぱなしだった氷が脆くなったのかはわかりませんが、硬くなり切っていない柔らかさとはちょっと違う脆さだったのかな?と思いました。

氷の穴は、気付かずに滑っているうちは特にプレッシャーにはならないと思いますが(穴にハマると危険ですが)見つけちゃうと
「他にもまだ穴があるかもしれない」
と思って集中出来なくなりますよね?

そんな状態で滑ってもそれなりにまとめることが出来たのは、また一つ収穫だと思うしかないのかな?という感じでしょうか。



何にしても、四大陸を取って、結弦くんのネガティブなジンクスがまたひとつ消えていきました。

まあ、ジンクスなんて状況次第で変わるものですが、それでも何度でも挑戦してそれを打ち砕いて行こうとするところが、いかにも「少年ジャンプくん」たる羽生結弦の面目躍如ですよね?(笑)

普通の人間であれば、そこは克服しようとする前に避けるものなんですよ。
でも、結弦くんは何度も何度もアタックし、そして最後には攻略してしまうのです。

GPS第2戦めで怪我をするというのも、足を震わせながら乗り切りましたし、初戦は勝てないというジンクスも打ち破りました。

もちろん、ジンクスは本人の心が作り上げるものなので、それを気にしなくなれば自然と消えるものなんですよ。

それは「無い」と思えば消えるものなんです。
亡霊みたいなものですよね?


今まであったジンクスは今までの結弦くんには必要だったもの。
でもこれからは必要のないもの。

そう考えれば、それらがひとつひとつ消えていくのも結弦くんの成長の証しですね。



さて、最初の「羽生とゆづる」に戻りますが、あそこで語られた言葉はもう結弦くんの中にはない言葉だと私は思っています。

ちょっとネガってメソっちゃっただけです(笑)

そりゃあ心の奥底にはいつだってメソメソゆづくんもいるのでしょうが、そんな感情を引きずる結弦くんではありません。

つーか、負けたらメソメソしますが勝ったらウッキウキです(笑)


ファンの方にはまた怒られるかもしれませんが、複雑な感情と思考回路を内包していながら、根っこの部分はチョー単純なんです(笑)

あの目を腫らしたインタビューを見て心配することはないんです。

勝ったら「これはどうすればいいの?」と言いながらクルクル回る男なんです!(笑)


あのインタビュー。
クルクル回ってる結弦くんにスタッフが冷静に「じゃあ(マイクを)つけてください」って言ってるのが最高ですよね?

私は、そういう結弦くんが好きなんです。


喜怒哀楽がしっかりあって、人を傷つけることなくちゃんと感情を人に伝えられるところが、です。

人間の基本的な部分のようで実際は大変難しいことなんですよね?


こういう人は、卑屈になることもなく、拗らせることもなく、真っ直ぐ前を見て進んでいけるんだろうなと、そこもまた人間として尊敬してしまうわけです。



しかし、あのクルクルしている結弦くんを見て、また別な部分でも少し驚きました。

それはソチから6年も経っているというのに、結弦くんからほとんど年齢を感じないこと、です。


もちろんそれなりに成長はしていますが、25歳の男子に見られるゴツさが全く無いんですよ。
クルクル回ってるしね?(笑)

ネイサンやショーマが結構ゴツくなっているのに対し、結弦くんは全く年齢を感じさせないと、それは本当に驚きです。

なのでアンチに「老害」と言われても
「はあ?まだ17歳のままですよ」
と笑い飛ばすことができるんですよね(笑)


この変化の無さは本当に奇跡的ですよ。

YOSHIKIとかGacktとかそっち系の、普通の人間とは生物の分類学的に何かが違うんじゃないでしょうか。

ピョンピョン跳ねてリフトしてもらったり、コケて足をジタバタさせて女子に起こしてもらったり(笑)
田中みなみよりあざとい感じなんですけど、あの童顔故にそれも許せてしまう(笑)

あの無邪気さ。
人懐こさ。

皇帝のオーラは全く無いけど、光の中を飛び回る妖精味に、とりあえず見ている我々は
「25歳なんだけど…まあ、可愛いからいっか」
ってなってしまうわけです(笑)



しかし!
見た目はほとんど変わらないけど胸板は厚くなりましたよね?

先日タケシが「4Aに負けない肉体作りをしているのでは?」というようなことを言っていましたが、それだけ遠心力に負けない身体を作るって大変なんでしょうね。

私は、最近ジャンプの着氷で上体が前に沈むことが多いのは、胸周りに筋肉がついて重くなってきたからかなぁ?なんて思っていたんですけど、振り負けしないための筋肉とは…。

これだけ新しいジャンプを練習しながら、肉体も変化させながら、それでも決してジャンプの軸がおかしくなることはない…。

身体が変化していくことで、軽く跳べていたジャンプが跳べなくなっていくベテランを何人も見てきましたが、結弦くんのジャンプは全く変わらず美しいままです。

ひと昔前、男子のピークは23歳くらいと言われていました。
それが最近では20歳くらいがピークなんじゃないかと、私は思うようになってきています。
4回転が主流になってくると、女子だけではなく男子のピーク年齢も下がってくるというのがそう思う理由です。

でも、結弦くんだけはその考えに当てはまりません。


最近のジャッジの傾向として、技術と芸術の融合より、シンプルで簡単な演技に高得点が付く傾向にあります。

でも、そんなものは無視していいと思います。

結局、観客が感動するのは技術と芸術の融合なんですから。

長い間フィギュアを見てきましたが、男子には全く興味の無かった私が、初めて目を止めて何度も見たいと思ったのは、後にも先にも羽生結弦の演技のみです。

男子のダイナミックさと女子の美しさを兼ね備えたスケーターだからこそ、心惹かれるのだと思います。



さて、新型コロナが世間を騒がせていますが、今のところ世界選手権のスケジュールに変更は無いようです。

四大陸の時
「愛しているから行くのをやめる」
と言っていた中国ファンにもらい泣きをしてしまいましたが、あれもあと少し遅ければ中止になっていたのかもしれません。

カナダは今のところ平穏なようです。
是非是非、世界選手権までは何事もなく終わって欲しいなぁと思いますね。


結弦くんの望むものが手に入るよう、先日長野に行った時、長田神社さんにも参拝に行ってきました。

試合が終わった後、結弦くんが笑いながらキャッキャしてクルクルしている姿をイメージしつつ、その時を楽しみにしていたいと思います。



以上