先日、佳菜子ちゃんのコラムを読んでいたら、プロフィールに「プロスケーター」と書いてあってちょっとジンワリしてしまいました。
今、日本には、コーチや振付師と兼業していたとしても、プロスケーターという肩書きのある人は何人いるのでしょうか。
きっと10人以上はいるでしょう。
その方々は、皆さん荒川静香さんに感謝しないといけないですよね?
荒川さんが自分の夢を叶えるために努力をされたから、その結果として多くのスケーターが引退後もスケートを続けることが出来ているわけですから。
自分の夢を叶えるため単身メジャーリーグに渡った野茂の行動が、結果として多くのメジャーリーガーを生み出したように、荒川さんの夢が多くのスケーターに、引退後の滑る場所を提供してくれていると私は思うのです。
先輩達のファンの中には荒川さんを非難している人もいますが、荒川さんがいなければ日本にここまでアイスショーは定着しなかったでしょうから、自分が応援しているスケーターがプロを名乗っているのなら、まず荒川さんがやってきたことには感謝してもいいと思います。
wikiなどで見てもらえれば分かりますが、荒川さんは決して、オリンピックの金メダルを期待されていたような輝かしい戦歴を持っているわけではありません。
世界選手権と全日本では優勝がありますが、絶対的な強さを持った選手ではありませんでした。
トリノの選考がかかった全日本では、1位村主章枝、2位浅田真央、3位荒川静香、4位恩田美栄、5位中野友加里、6位安藤美姫でした。
この当時、真央ちゃんはまだ14歳でオリンピックの出場権がなく、それまでの大会の成績やランキングで、村主章枝、荒川静香、安藤美姫の3人がオリンピックに選ばれたようです。
当時は選考基準を知らなかったので何も知りませんでしたが、6位のミキティが選ばれたのは多少物議を醸したような気もします。
全日本で選ばれるのが確実なのは1位の選手だけです。
全日本は、常に上位選手が選ばれるわけではないのです。
荒川さんの、そのシーズンのグランプリ大会は中国杯フランス杯共に3位で、ファイナルの出場権は逃しています。
ペースを上げてファイナルに出て全日本で失速するか、ファイナルまで行ってポイントを積み上げ、全日本の前に選出を決定的にするか…。
難しい判断だったと後日語っていましたが、本当にそうだと思います。
もし恩田さんや中野さんが3位に入っていたら、オリンピックに選ばれなかったのかもしれないのですから、針の目を縫うようなギリギリのところで荒川さんはオリンピックを決めたのだと思います。
荒川さんにはオリンピックに出たい理由がありました。
オリンピックに出て、どうしてもメダルを取りたい理由があったのです。
彼女は、引退してもスケーターとして滑る環境が欲しかったのです。
当時、日本人で「プロスケーター」と呼ばれるような人はいませんでした。
プリンスアイスワールドは細々と続いていましたが、北米で行われるようなアイスショーの規模には遠く及びません。
プロとしてやるには、海外のアイスショーに出るしかありませんが、海外のアイスショーに呼ばれるにはメダルが必要です。
世界選手権のメダルは持っていましたが、それひとつではアイスショーには呼ばれそうもありません。
日本人が北米のアイスショーに呼ばれるには、オリンピックのメダルは絶対に必要だったのです。
では何故そんなにアイスショーに出たかったのか。
それは、当時の日本では、引退したらもう人前でスケートを滑る場所を失うということを意味していたからです。
荒川さんはスケートが大好きだったんです。
引退しても、お客さんの前で滑りたかったんです。
その為にはプロになるしかなく、当時プロはロシアと北米にしかおらず、プロになるにはオリンピックのメダルが必要で、オリンピックに出るには全日本で表彰台に乗るしかなかったのです。
道は真っ直ぐの一本道ですが、大変険しい道だったと思います。
引退した後もアイスショーで滑りたい。
その夢を叶えるために、荒川さんはあらゆることをしました。
オリンピック前にコーチを変え、プログラムを変更しました。
自分が、最も自信を持って快適に演じられるプログラムを選んだのも、オリンピックで勝つためです。
勝つ為の細々とした努力を小馬鹿にする人達もいますが、勝つ為の努力をせずに負けた場合、絶対に後悔するはずです。
ならば、あらゆる手を打つのは当たり前のことでしょう。
たとえそれが泥臭い努力であっても、やらないよりはやった方がいいのですから。
荒川さんは、やれることをやり尽くして勝利を掴んだのです。
夢を叶える為の勝利です。
何の為に勝ちたいのか、勝つためにどうすれば良いか、そこが明確だったのです。
その後、荒川さんは自分のアイスショーを立ち上げ、その後のフィギュア人気も相まって、日本はアイスショー大国になりました。
荒川さんが、自分の夢を叶えようとしたことが、結果的に多くのスケーターの夢を叶えたのです。
プロになるには当然自分自身が成績を残す必要はありますが、少なくともそれなりの成績と知名度を残せば、引退後に「プロスケーター」になる道ができたというわけです。
結弦くんも「なりたい自分」が明確でした。
子供の頃から口にしている「夢」をひとつも手放すことなく、ここまで全てを実現させながら突っ走ってきました。
「オリンピック連覇」
これも絶対手に入れるでしょう。
「要素表にある全てのジャンプを跳ぶ」
これも、きっと実現させます。
「プルシェンコみたいな絶対王者になる!」
プルシェンコのようなというわけにはいきませんし、チョイチョイ負けるので絶対王者かどうかは疑問が残るところですが(笑)少なくとも「フィギュアの神」と呼ばれる存在にはなっています。
今、多くの子供達が結弦くんを手本に練習していることでしょう。
決して諦めない、常に上を見て頑張るというスピリッツから、柔軟性のある美しい演技にいたるまで、小さな子供達が結弦くんをロールモデルにしているのです。
かつて多くの子供達がプルシェンコに憧れたように、今は結弦くんが憧れの対象になっています。
絶対王者はチャレンジばかりするから(笑)時々負けるけど、それでも全てのスケーターは思っているはずです。
「羽生結弦こそがフィギュアスケーターの理想だ」
と。
結弦くんには、オリンピックに出て金メダルを取りたい明確な目標があります。
金メダリストになれば、夢が叶うのです。
金メダリストは魔法が使えるのです。
幼い少年に、その魔法を強烈に印象付けたのは荒川さんです。
閉鎖されたリンクの再開のため、自分達がビラを配ったり署名運動をしたり、どれだけ頑張ってもどうにもならなかったのに、金メダリストが動いたらリンクは再開することになったのです。
金メダリストになれば、リンクだって作ることができる。
大変な思いをしているスケーターを楽にすることもできる。
ただの可愛い少年の夢が、明確な目的を持った瞬間です。
その後、震災が東北を襲い、結弦くんの夢は「復興」に変わりました。
金メダルを取って、被災地の人達を元気付けたいと思ったのです。
リンクを作るより先に、やらなければいけないことができました。
終わりの見えない目標ですが、きっと金メダルはそれに役立つはずです。
そして今、結弦くんは再度の金メダルを狙っています。
金メダルを取れば、自分がやりたいことができるのです。
少なくとも、それをするための大きな手助けにはなるのです。
「それ」を望むなら、何故欲しいのかをイメージできなくてはいけません。
「いつか宝クジ当たらないかな~」
と言いながら、宝クジを買っていないなんて論外です(笑)
でも、普通の人間はそんなものなのです。
夢のほとんどはただの妄想で、それを実現させるための方法論を伴っていないのです。
で、私が何故こんなことを書いているかと言うと、無良くんがオリンピック前になると失速するのはどうしてなのか、その理由を色々考えていたからです。
実力も経験もあるのに、怪我も病気でもなかったのに、何故あんなにも崩れてしまうのか。
かつてGP大会で優勝もしている選手が最下位に沈むなんて、これはスケートの実力の問題ではなくメンタルの問題です。
私はそう思ったのです。
じゃあ、メンタルだとして、それはどこをどうするといいのでしょうか。
私が気になったのは、無良くんがオリンピックに出たい理由として上げていた言葉です。
無良くんはいつも「親父をオリンピックに連れて行きたい」と言っていましたよね?
これがまずいのかもしれません。
つまり、この言葉の中の主人公は「親父」なんですよ。
無良くんじゃないんです。
無良くんは、引退した後のこととして、車が好きだから車に関わる仕事をしたいと言っていましたよね?
スケートでオリンピックに出ることと何も繋がっていないのです。
これでは、運命の歯車は回りません。
「親父をオリンピックに連れて行きたい」
ではダメなんですよ。
「俺がオリンピックに行きたい」
じゃないと。
何故行きたいのか。
「オリンピックに出て有名になったら車がバンバン売れる!」
こんな夢でもいいんですよ(笑)
主人公が自分であれば。
まっちーは、かつて内向的な自分を変えるところからオリンピックへの道を始めました。
「どうせ自分には出来ない」
から
「絶対自分には出来る」
という思考に変えていったのです。
実力はあったのですから、メンタルを変えるだけでメキメキと頭角を現し、オリンピックに到達しました。
シャイな選手からちょっと変わった選手になってしまったのはご愛嬌ですが(笑)それでも思考を変えれば簡単にトップ選手になるだけの実力があったのです。
まっちーがアッサリ引退したのは、やはり研究者になる夢があったからでしょう。
まっちーにとってフィギュアは、「スポーツでありながら芸術」という、素晴らしい研究対象です。
でも、ワールド銀メダルとオリンピック5位で、日本のアイスショーで滑ることはできるようになったのですから、まっちーは両方の夢を叶えたのです。
もちろんまだまだまっちーの「なりたい自分になる」は継続しています。
毎日勉強し、振り付けをし、観客を総立ちにさせ、さらなる夢に向かって歩いているのです。
なりたい自分があるのなら、それは明確にイメージしなくてはいけません。
そして、その場合、主人公はもちろん自分です。
私はずっと、無良くんにオリンピックに出て欲しいと思っていました。
ソチの後、無良くんが後輩達の面倒を見ながらも、一生懸命努力していたのを知っていたからです。
もちろんダイスもデカも努力をしていますので、誰か1人しか出られないというのは残酷ですが、それがスポーツの世界です。
自分の運命の主人公は自分です。
是非「オリンピックに出るのは自分の夢。その場に親父がいれば最高だな」と、脳に指示を出して下さい。
このまま沈んでしまったら、また
「自分はオリンピックシーズンに何もできなかった」
と後悔することになります。
4年前の自分と決別するのです。
このまま終わっちゃいけませんよ!
自分の運命を切り開くアスリートに、私はいつも最大限の尊敬と賛辞を送りたいです。
そして無良くんにも言いたいです。
君なら出来る!と。
というわけで、今回も激しい独り言につきコメントなしで(笑)
以上
今、日本には、コーチや振付師と兼業していたとしても、プロスケーターという肩書きのある人は何人いるのでしょうか。
きっと10人以上はいるでしょう。
その方々は、皆さん荒川静香さんに感謝しないといけないですよね?
荒川さんが自分の夢を叶えるために努力をされたから、その結果として多くのスケーターが引退後もスケートを続けることが出来ているわけですから。
自分の夢を叶えるため単身メジャーリーグに渡った野茂の行動が、結果として多くのメジャーリーガーを生み出したように、荒川さんの夢が多くのスケーターに、引退後の滑る場所を提供してくれていると私は思うのです。
先輩達のファンの中には荒川さんを非難している人もいますが、荒川さんがいなければ日本にここまでアイスショーは定着しなかったでしょうから、自分が応援しているスケーターがプロを名乗っているのなら、まず荒川さんがやってきたことには感謝してもいいと思います。
wikiなどで見てもらえれば分かりますが、荒川さんは決して、オリンピックの金メダルを期待されていたような輝かしい戦歴を持っているわけではありません。
世界選手権と全日本では優勝がありますが、絶対的な強さを持った選手ではありませんでした。
トリノの選考がかかった全日本では、1位村主章枝、2位浅田真央、3位荒川静香、4位恩田美栄、5位中野友加里、6位安藤美姫でした。
この当時、真央ちゃんはまだ14歳でオリンピックの出場権がなく、それまでの大会の成績やランキングで、村主章枝、荒川静香、安藤美姫の3人がオリンピックに選ばれたようです。
当時は選考基準を知らなかったので何も知りませんでしたが、6位のミキティが選ばれたのは多少物議を醸したような気もします。
全日本で選ばれるのが確実なのは1位の選手だけです。
全日本は、常に上位選手が選ばれるわけではないのです。
荒川さんの、そのシーズンのグランプリ大会は中国杯フランス杯共に3位で、ファイナルの出場権は逃しています。
ペースを上げてファイナルに出て全日本で失速するか、ファイナルまで行ってポイントを積み上げ、全日本の前に選出を決定的にするか…。
難しい判断だったと後日語っていましたが、本当にそうだと思います。
もし恩田さんや中野さんが3位に入っていたら、オリンピックに選ばれなかったのかもしれないのですから、針の目を縫うようなギリギリのところで荒川さんはオリンピックを決めたのだと思います。
荒川さんにはオリンピックに出たい理由がありました。
オリンピックに出て、どうしてもメダルを取りたい理由があったのです。
彼女は、引退してもスケーターとして滑る環境が欲しかったのです。
当時、日本人で「プロスケーター」と呼ばれるような人はいませんでした。
プリンスアイスワールドは細々と続いていましたが、北米で行われるようなアイスショーの規模には遠く及びません。
プロとしてやるには、海外のアイスショーに出るしかありませんが、海外のアイスショーに呼ばれるにはメダルが必要です。
世界選手権のメダルは持っていましたが、それひとつではアイスショーには呼ばれそうもありません。
日本人が北米のアイスショーに呼ばれるには、オリンピックのメダルは絶対に必要だったのです。
では何故そんなにアイスショーに出たかったのか。
それは、当時の日本では、引退したらもう人前でスケートを滑る場所を失うということを意味していたからです。
荒川さんはスケートが大好きだったんです。
引退しても、お客さんの前で滑りたかったんです。
その為にはプロになるしかなく、当時プロはロシアと北米にしかおらず、プロになるにはオリンピックのメダルが必要で、オリンピックに出るには全日本で表彰台に乗るしかなかったのです。
道は真っ直ぐの一本道ですが、大変険しい道だったと思います。
引退した後もアイスショーで滑りたい。
その夢を叶えるために、荒川さんはあらゆることをしました。
オリンピック前にコーチを変え、プログラムを変更しました。
自分が、最も自信を持って快適に演じられるプログラムを選んだのも、オリンピックで勝つためです。
勝つ為の細々とした努力を小馬鹿にする人達もいますが、勝つ為の努力をせずに負けた場合、絶対に後悔するはずです。
ならば、あらゆる手を打つのは当たり前のことでしょう。
たとえそれが泥臭い努力であっても、やらないよりはやった方がいいのですから。
荒川さんは、やれることをやり尽くして勝利を掴んだのです。
夢を叶える為の勝利です。
何の為に勝ちたいのか、勝つためにどうすれば良いか、そこが明確だったのです。
その後、荒川さんは自分のアイスショーを立ち上げ、その後のフィギュア人気も相まって、日本はアイスショー大国になりました。
荒川さんが、自分の夢を叶えようとしたことが、結果的に多くのスケーターの夢を叶えたのです。
プロになるには当然自分自身が成績を残す必要はありますが、少なくともそれなりの成績と知名度を残せば、引退後に「プロスケーター」になる道ができたというわけです。
結弦くんも「なりたい自分」が明確でした。
子供の頃から口にしている「夢」をひとつも手放すことなく、ここまで全てを実現させながら突っ走ってきました。
「オリンピック連覇」
これも絶対手に入れるでしょう。
「要素表にある全てのジャンプを跳ぶ」
これも、きっと実現させます。
「プルシェンコみたいな絶対王者になる!」
プルシェンコのようなというわけにはいきませんし、チョイチョイ負けるので絶対王者かどうかは疑問が残るところですが(笑)少なくとも「フィギュアの神」と呼ばれる存在にはなっています。
今、多くの子供達が結弦くんを手本に練習していることでしょう。
決して諦めない、常に上を見て頑張るというスピリッツから、柔軟性のある美しい演技にいたるまで、小さな子供達が結弦くんをロールモデルにしているのです。
かつて多くの子供達がプルシェンコに憧れたように、今は結弦くんが憧れの対象になっています。
絶対王者はチャレンジばかりするから(笑)時々負けるけど、それでも全てのスケーターは思っているはずです。
「羽生結弦こそがフィギュアスケーターの理想だ」
と。
結弦くんには、オリンピックに出て金メダルを取りたい明確な目標があります。
金メダリストになれば、夢が叶うのです。
金メダリストは魔法が使えるのです。
幼い少年に、その魔法を強烈に印象付けたのは荒川さんです。
閉鎖されたリンクの再開のため、自分達がビラを配ったり署名運動をしたり、どれだけ頑張ってもどうにもならなかったのに、金メダリストが動いたらリンクは再開することになったのです。
金メダリストになれば、リンクだって作ることができる。
大変な思いをしているスケーターを楽にすることもできる。
ただの可愛い少年の夢が、明確な目的を持った瞬間です。
その後、震災が東北を襲い、結弦くんの夢は「復興」に変わりました。
金メダルを取って、被災地の人達を元気付けたいと思ったのです。
リンクを作るより先に、やらなければいけないことができました。
終わりの見えない目標ですが、きっと金メダルはそれに役立つはずです。
そして今、結弦くんは再度の金メダルを狙っています。
金メダルを取れば、自分がやりたいことができるのです。
少なくとも、それをするための大きな手助けにはなるのです。
「それ」を望むなら、何故欲しいのかをイメージできなくてはいけません。
「いつか宝クジ当たらないかな~」
と言いながら、宝クジを買っていないなんて論外です(笑)
でも、普通の人間はそんなものなのです。
夢のほとんどはただの妄想で、それを実現させるための方法論を伴っていないのです。
で、私が何故こんなことを書いているかと言うと、無良くんがオリンピック前になると失速するのはどうしてなのか、その理由を色々考えていたからです。
実力も経験もあるのに、怪我も病気でもなかったのに、何故あんなにも崩れてしまうのか。
かつてGP大会で優勝もしている選手が最下位に沈むなんて、これはスケートの実力の問題ではなくメンタルの問題です。
私はそう思ったのです。
じゃあ、メンタルだとして、それはどこをどうするといいのでしょうか。
私が気になったのは、無良くんがオリンピックに出たい理由として上げていた言葉です。
無良くんはいつも「親父をオリンピックに連れて行きたい」と言っていましたよね?
これがまずいのかもしれません。
つまり、この言葉の中の主人公は「親父」なんですよ。
無良くんじゃないんです。
無良くんは、引退した後のこととして、車が好きだから車に関わる仕事をしたいと言っていましたよね?
スケートでオリンピックに出ることと何も繋がっていないのです。
これでは、運命の歯車は回りません。
「親父をオリンピックに連れて行きたい」
ではダメなんですよ。
「俺がオリンピックに行きたい」
じゃないと。
何故行きたいのか。
「オリンピックに出て有名になったら車がバンバン売れる!」
こんな夢でもいいんですよ(笑)
主人公が自分であれば。
まっちーは、かつて内向的な自分を変えるところからオリンピックへの道を始めました。
「どうせ自分には出来ない」
から
「絶対自分には出来る」
という思考に変えていったのです。
実力はあったのですから、メンタルを変えるだけでメキメキと頭角を現し、オリンピックに到達しました。
シャイな選手からちょっと変わった選手になってしまったのはご愛嬌ですが(笑)それでも思考を変えれば簡単にトップ選手になるだけの実力があったのです。
まっちーがアッサリ引退したのは、やはり研究者になる夢があったからでしょう。
まっちーにとってフィギュアは、「スポーツでありながら芸術」という、素晴らしい研究対象です。
でも、ワールド銀メダルとオリンピック5位で、日本のアイスショーで滑ることはできるようになったのですから、まっちーは両方の夢を叶えたのです。
もちろんまだまだまっちーの「なりたい自分になる」は継続しています。
毎日勉強し、振り付けをし、観客を総立ちにさせ、さらなる夢に向かって歩いているのです。
なりたい自分があるのなら、それは明確にイメージしなくてはいけません。
そして、その場合、主人公はもちろん自分です。
私はずっと、無良くんにオリンピックに出て欲しいと思っていました。
ソチの後、無良くんが後輩達の面倒を見ながらも、一生懸命努力していたのを知っていたからです。
もちろんダイスもデカも努力をしていますので、誰か1人しか出られないというのは残酷ですが、それがスポーツの世界です。
自分の運命の主人公は自分です。
是非「オリンピックに出るのは自分の夢。その場に親父がいれば最高だな」と、脳に指示を出して下さい。
このまま沈んでしまったら、また
「自分はオリンピックシーズンに何もできなかった」
と後悔することになります。
4年前の自分と決別するのです。
このまま終わっちゃいけませんよ!
自分の運命を切り開くアスリートに、私はいつも最大限の尊敬と賛辞を送りたいです。
そして無良くんにも言いたいです。
君なら出来る!と。
というわけで、今回も激しい独り言につきコメントなしで(笑)
以上