7月25日、1時間集合時間を間違えていた私は(笑)この日のために買っていた、ホテルで着る予定だった部屋着や、バスの中用の着替えなどを忘れながら(泣)大慌てで東京駅に集合しました。

そして、集合してすぐ、私は自分の判断が間違っていたことを痛感しました。

海辺などで水着の上に着る、UV&涼感素材の長袖パーカーが、めっちゃ暑いのです。


ボランティア作業中は長袖が必須なので、UV&涼感素材なら最高じゃん!と思って購入したのですが、全然涼感なんて感じません!(泣)

ピッタリ肌にくっついて、むしろ暑いです。


下はタンクトップなので、脱ぎたくても脱げません。
私も、ババァの肌は公害以外の何物でもないことくらいは理解しているのです。

まあいいや。
現地に着いたらボラセンで復興Tシャツ買おう(笑)



朝6時頃、福島入りです。

自分の山に桜を植え続けている会田さんのお話を聞くため、お宅に伺います。
早朝にもかかわらず、会田さんご夫婦には笑顔で迎えて頂きました。

会田さんは、震災のずっと前から個人で御自分の土地に桜を植えられてきた方です。
既に2000本を植え、弘前城超えを目指していた時に震災が起こったのだそうです。

それまで農家をやったり牛を飼ったり色々なお仕事をされていたようですが、原発事故で住んでいた場所は帰宅困難地域になり、今も住むことはできません。

別の場所に住みながら、時々家に帰っては家を片付けたり桜の世話をしたり、ボランティアと一緒に新たな桜を植えたりしているそうです。


しかし、大変不謹慎で失礼なことだとは思うのですが、会田さん夫婦がお二人ともとてもイキイキされているように感じたのは驚きでした。


農業は好き。

桜が咲くとみんなが喜んでくれるから、これからもまだまだ植え続けたい。



70歳を過ぎていながら、そう笑顔で語る御夫婦に、福島の人の逞しさを感じた次第です。


「寒い地域の桜は、同じソメイヨシノでも色が濃いんだ。村のみんなが戻ってきた時に、復興のシンボルになるように、3000本を目標に頑張りたい」

と、そうおっしゃられていたので、いつか飯館村の会田桜を見に戻りたいと思いました。
まだまだ若い桜ばかりですが、あと10年もしたら東北有数の桜の名所になるかもしれませんよ。


お話を聞いたあと、そのままボラセンに入って作業の準備をします。
ボラ前日に入っていた仕事の連絡で、竹林の整備だということはわかっていました。

またしても初めてやる作業です。
何をどうするかは、現地の方に教えてもらいつつやるしかありません。

え?
今回は仮払い機ではなくチェーンソーが必要?

無理です無理ですふん手

私のようなヘッポコが扱ったら、絶対事故になります。

ってゆーか、竹もチェーンソーで切れるんだ(笑)
ええ、私は自前のノコギリで頑張ります!


というわけで、約50人の人間で竹林の伐採に向かいました。

行ってみると、民家のすぐ裏手に竹林が広がっています。
竹林の管理は、本来まめにやらないといけないのだと思いますが、放置されまくった竹林は伸び放題です。

ご自宅は電気も水道も直したけど、3年以上放置された竹林は、一人二人の人間では手に負えなくなっているようです。

ボラセンも、トータル100人程を送り込んでいるようなのですが、終わる気配もありません(笑)
しかも、まだまだ帰還は叶わない状況で、放置すればするだけ、家は竹林に飲み込まれていきます。

っつーわけで、竹林の伐採です。


まず竹を根本からチェーンソーで切り倒します。
倒れた竹をテキトーな長さに切ります。

根本の太い部分は枝を切り落として積み上げ、上の細い部分は、枝ごとチッパーと呼ばれる粉砕機で粉々にし、そこらに敷き詰めます。

これ。
撮るのを忘れたのでネットから拝借(笑)



これが2台とチェーンソーが5台くらいあったので、現場はかなりの騒音です。


まあ、といった具合で、簡単な仕事といえば簡単なのですが、この日は、作業を阻む大敵が存在したのです。


それは、異常な暑さです。


チェーンソー部隊が倒した竹の枝を切り落とすべく、私はボラセン所有の高枝切りバサミを確保してきました。

さすが木の枝を切るハサミです。
竹の枝どころか、ちょっと頑張れば竹の胴体も切れます。

ノコギリよりはるかに効率がいいです。

切った竹をチッパーの脇に運んで、2本めの竹を分解するべくとりかかっていると…。

…あれ?
何だか心臓が、すごくドキドキする…。

つか、たいして動いていないのに呼吸がメッチャ激しい…。


あ、これちょっとヤバイかも~!

休憩!休憩!
まだ15分しかたってないけど自主的に休憩~!



この日はとにかく、東北が梅雨明けした翌日で目茶苦茶暑い日でした。


今まで、夏のボラはいつも暑さとの戦いでした。
あまり汗をかかない私が、ゴム手袋の中から汗が滴り落ちるくらい汗をかいたこともあります。

でも、こんなに動けなかったことはなかったんです。
もう少し頑張れていたはずです!

それが、最初の休憩時間までもたないなんて…。
私は本当に体力がないよなぁ…と情けなく思っていると、ボランティアに慣れた男性陣も次々と水と塩分を補給しにきます。

「なんかヤバイな…こんなに体が動かないなんて…」

あ、やっぱり?

「今何分経った?あと何時間あるんだ?」

屈強なベテランボラさん達が、一様に不安げな表情を浮かべます。


まだ30分しかたってません。
多分、あと4時間以上続きます…。

「…水、飲んだ方がいいよ」

飲んでます飲んでます。

「塩分もね」

取ってます取ってます。
つか、私が手にしてるのは凍ったポカリです。
これでダメなら何を飲んでもダメです!(泣)


通常、夏場のボランティアは、30分やったら10分休憩というようにマメに休憩を挟むのですが、この日の私はとても30分もちません。

でも、熱中症で倒れるわけにはいかないので、凍ったペットボトルを首に当て、呼吸を静めてはまた作業に戻りました。

暑さで皆さんフラフラですが、倒れるわけにはいきません。

ボランティアの掟は

「生きて帰ること!」

もとい

「体調管理も自己責任!」

なのです!




例年「無いよりは絶対にマシ」と言って持参するシャツクールも、この暑さの前では効いてる気がしません。

でも、初めて見たという人に
「手ぬぐいを水に浸して、それにシャツクールをまんべんなくかけて、それを首に巻いてみて」
と薦めると、
「ああっ!ひんやりする!こんなの売ってるの?知らなかった~!」
と言っておりましたので、やっぱり何もやらないよりはマシなのです。



そんな作業の中、もはや体力の限界か!というあたりで、

「皆さ~ん!差し入れのキュウリをどうぞ~!」


何と!
会田さんが、ボランティアの途中で食べて、と言ってキュウリの浅漬けを差し入れしてくれたのです!

キュウリは95%が水分です。カリウムも豊富なので利尿作用があり、それにより確実に身体を冷やしてくれます。
しかも浅漬けなので塩分も取れるのです。

なんてパーフェクト!


だ、け、どっ!

私はキュウリが大嫌いなのよ~っ!

キュウリとトマトとナスとピーマンが大っ嫌いなのよ~!

大人なのに好き嫌いがあるの?と笑いたければ笑うがいいさ!
キュウリを食べるくらいなら、大人になんてならなくてもいいんだも~ん!
(もうババァだけどね)


というわけで、キュウリを美味しそうに食べる皆さんを横目に、私が目をつけていたのは…。

スイカ~!
ボラ参加の方が、親戚からいただいたといって差し入れてくださいました~!



美味しかった~!


この日のお宅の素敵なところは、なんと井戸があるところです。
(上のスイカも井戸水で冷やしているのです)


井戸水の冷たくて気持ちいいことと言ったら!
顔を水につけるのが苦手な私が、井戸水を頭にかけましたよ。

ふい~と振り返ると、数人のオジサマ達が
「そのテがあったか!」
と次々に井戸水をかぶりにいきました。

どうせ汗でビショビショなんですもん。濡れたからって屁でもないですよ。


お昼休憩でお弁当を食べるのですが、食欲は全くありません。
でも、食べないと死んじゃう気がするので、無理矢理でも食べてポカリで飲み込みます。

休憩の間、パーカーを脱いで、濡らした手ぬぐいを肩に広げて涼を取ります。
死んだように寝ている人もいます。


あと2時間弱…。

パーカーを井戸水で濡らしてから羽織り、ヘルメットを被ってノコギリを握ります。(竹は普通の木と違い、倒す方向のコントロールが難しいので、ヘルメットはかぶった方がいいのです)



よし!行くぞ!


うわあ!無理無理無理無理~!がーんっ!

暑い!つか熱い!
つーか日なたに立つと痛い~!



悲鳴を上げる元気もなく、ただ黙々と作業を続けていましたが、フラフラになっていてもそれなりに伐採は進むのです。

結構やったよね?
竹やぶの伐採はこれで終了かな?




でも、もう少し涼しかったらもっと早くできたよね?

なーんて思いながら、依頼者のおじさんの挨拶を聞いていると…。

「皆さんのお力で、やっと1/3ほど竹を伐採できました…」




…は?がーん

さんぶんのいちってどーゆーこと?




「あ、この家、裏までずっと竹藪だわ…」



ひゅ~バタン!(気絶)
ドテッ


いやあ、今回は辛かったです。
絶対に着る服を間違えたんです!

肌にピッタリした涼感パーカーなんてもう着ません!
農家のおばちゃん達が着ている、肌に密着しない綿シャツが絶対に涼しいんだと思います。


というわけで、死線をさまよった(大げさ)なボラはここまでで、これから私たちは「相馬 野馬追」に行くのでした!

つづく