あれから1年が経ちました。

でもまだまだ、自分の中では被災地に対する思いは変わっていません。


変わったことがあるとすれば、ボランティアに行ったことで「何かしなきゃ」という焦りにも似た感情は徐々に落ち着いてきたということくらいです。


自分のようなシロートが、どうすれば被災地に行けるのか、行って何ができるのか、悩みに悩んだ数ヶ月。

その間、頭の中にあったのは
「ここで何かしなきゃ、自分で自分が許せなくなる。勇気のなかった自分が悔しくなる」
という焦燥感でした。


でも、本当に行って良かったと思っています。
自分を納得させるためなんて、それこそ自己満足じゃないかと思ったりもしたのですが、たとえ何と言われても、やらないよりは絶対マシなんだと思うし、テレビの中だけじゃない「リアル」に触れることも出来たわけですから。


骨組みだけになったビル。


中がからっぽになった家。


うずたかく積み上げられたガレキ。


砂浜にめり込んだ自転車や布団。


ガレキの山の中から現れる写真…。



そんなものを目にすると、テレビの前でメソメソしてたってはじまらない。なんでもいいからやらなくちゃ!という気持ちになったものでした。



ほとんど更地となってしまった地域もあります。


神戸の時は、仕事を失った人はわずかですが、今回は地域の産業そのものが壊滅的打撃を受けています。

立ち直るには神戸の数十倍のお金と時間と人手が必要だと思います。



1月に行ったNPOのブログにこんなことが書いてありました。


その存在の立ち位置はともかくとして、少なくとも被災地ではみんな、自衛隊にとても感謝している。
3.11には各地で多くのイベントが企画されているけど、でも自衛隊に感謝するイベントがない…。


自衛隊の頑張りは、震災発生直後から被災地に入っているボランティア達から見ても、涙が出るほどだったそうです。


もう自衛隊が、被災地で表舞台に立つことはないと思うけど、それでも被災地の皆さんは自衛隊に感謝をしているのだと思います。


そのNPOでは、自衛隊への感謝も込めて、先日見た自衛隊の番組でも出て来た多賀城駐屯地に桜を植えるボランティアを行うそうです。


私達も是非!と思ったのですが、思った時には満席になっておりました。
やはり皆さん、自衛隊への感謝を形にしたいと、ずっと思っていたのでしょうね。



まあ、4月からはボラバスも減ることが予想されていますが、復興にはまだまだほど遠いというのが現状です。


ただ、ボランティアに出来る仕事が減るというだけのことです。


これからは、更地になった場所にどういった街を作って行くか、プロの方々の仕事が多くなるのだと思いますが、私達に出来ることがなくなるわけではありません。


観光やお買い物で被災地を支えることも、立派な支援です。



今年は観光にも行こうと思います。
今までも、ボラバスでSAに寄るたびに、非力な私に持てる程度のお土産を細々買っていた私ですが、やっぱり一番の産業支援は観光ですよね。



もちろん、そんな被災地の復興にはガレキの処理が最優先です。


先日テレビで、東京が1年間に処理出来るガレキの量が10万トンだと聞いて愕然としました。


被災地に積み上げられているガレキの量は2000万トンなんです。
東京だけなら200年分の量です。


被災地が処理している量を足しても、多分まだ、100年くらいかかりそうな量なんです。


現実を見れば、検出されるかどうかもわからない放射性物質がどうのこうのと騒いでいる場合じゃないのは明らかです。


各自治体も、自分のところのゴミ処理で手一杯のところもあると思いますが、もし余力があるのなら、ガレキ処理に手を挙げて欲しいと思います。


100年かかる処理が50年になり30年になり、そして10年になるかもしれないんですから。



「復興」という言葉が実感できるようになるのはまだまだ先かもしれませんが、私がこの震災を忘れることはありません。


いつ関東大震災が起こるかわからないわけですし、決して他人事ではないのです。


今日は、あちこちの駅で募金活動をやっているのを見ました。
高円寺駅の前では、ボーイスカウトの子供たちが「南相馬市」への募金活動をやっていました。


まだまだ先は長い。
でも、少しずつでも進んでいれば、いつかは「復興」が見えてくるはずです。



やめなければいつかは終わる。
復興するまであきらめない。


そんなことを再度心に刻んだ1日でした。


私たちの次のボランティアは3/23です。

まだまだ頑張りたいと思います。


以上