先日、石川県に行ったブログを書いた時、能登半島の奥に行くに従い道路がまだまだ工事中だったということに触れました。
海や川が隆起して地形が変わったという話も聞いたので、地盤そのものがかなり変形したんだと思います。
そりゃあ道は崩れるし水道管も破断しますよね。
車が通行できず水も使えないという状況では工事の作業員を送り込むのも難しく、復興にも大きな足かせになっているんだろうなと感じました。
そのため、輪島市や珠洲市のように被害が大きかったところはいまだに放置状態が続いています。
被災者を家に帰すのが先か、水道の復旧が先か、道路の工事が先か、それともそれをすべて同時進行すべきなのか…。
市や県の予算もあるでしょうし、たぶん全部を同時進行するのは無理なんだろうなと、私はそう思いました。
ボランティアの2日目、想定より早く仕事が終わったことで、私達はバスで輪島市の朝市の火災現場に行くことにしました。
ボランティアではなく、現状を知るためです。
私達がここ数年お世話になっているグループは元学校の先生が個人でやっているボラグループなので、いつもできるだけ被災地での学習時間を取ろうとしてくれます。
東日本の時も、地域の語り部さんの話を聞いたり漁業関係者の方々から当時の話を聞いたり、まだまだ封鎖中の6号線を許可を取って通行して原発の近くまで行ったり相馬野馬追祭りに行ったりしました。
まだまだ伝承館などが建設されていなかった頃です。
ただ行っただけだと分からない話をたくさん聞かせていただき、本当に勉強になったものでした。
なので今回も(輪島市はボランティアの要請がないためボラとしては入れませんが)「今どうなっているんだろう」と、現地の現状をこの目で見たいと思ったわけです。
道路が通行止めになっているため輪島市と珠洲市を両方見ることは時間がかかるためできません。
なので、距離の近かった輪島の火災現場を見に行くことにしました。
私達が宿泊しているのは七尾市の和倉温泉ですが、ボランティア作業をしていたのは穴水町で、その間の道はほぼ問題なく通行できたのですが、輪島市に近付くにつれ道路は工事中ばかりになりました。
そして、輪島市に入った途端、様相は一気に変わりました。
街に入ってすぐに、倒壊した建物が左右に見えてきました。
朝市の近くのお店が完全に崩れています。
これはもう、ボランティアがどうのこうの出来る状況じゃありません。
その光景に驚いていると、朝市の火災現場でさらに言葉を失うことになりました。
え?ナニ?
ここだけ戦争があったの?
ここ最近、ウクライナやパレスチナのニュースで見ていたような、絶句する光景が広がっていました。
何台か車が燃えて茶色になっていましたが、不思議なことにタイル敷きの道には煤の痕跡もありません。
まるで作られた映画セットのような不思議な光景に、全員立ちすくむばかりです。
火災現場のすぐわきを川が流れていて、火災の時はそこから水をひいて消火活動にあたるはずだったそうなんですが、なんと地震によって川床が隆起し、水が引けなくなってしまったんだそうです。
石川県在住の参加者の方が教えてくれたのですが、そんなことがあったことすら私は知りませんでした。
私達も2011年頃、東日本の被災地でまだまだ片付いていない現場にも入りましたが、ここまで手付かずの場所は初めて見ました。
でも、こんな場所にボランティアを送り込んで何とかなると思いますか?
重機がないとどうにもならないですよね?
そして、大量の重機やトラックを送り込むにはやっぱりまず道路なんでしょう。
もちろん、小型の重機を持ち込んでコツコツと鉄材やコンクリートを運び出すということも出来なくはありませんが、大型重機とダンプが入ればそんな手間はあっという間に挽回できます。
道路の復旧にあと2~3ヶ月はかかるでしょうが、それが終わってからじゃないとここは手が付けられないのかなぁと、そんなことをぼんやりと考えてしまいました。
完全に横倒しになっている建物。
日本の建造物は基礎をかなり深く打ち込むためこのくらいの階では横倒しになることはないと信じてきた私ですが、これはもう普通の常識ではわからない現象です。
基礎が浅かったのか地盤が弱かったのか…。
川床が隆起するほどの地殻変動が起きていた地域なら何が起きても不思議ではないのかもしれませんが、そのすぐ横の建物が無傷だったりするので、本当に何がどうしてこうなったのか、専門家の話を聞いてみたいと思ってしまいました。
まあ、輪島市は火災による災害なので、その他の地域とは被災の状況が違います。
でも実際に行ってみて、また友人たちから色々な話を聞いてみて、思ったのは「石川県はボランティアの受け入れに後ろ向きである」ということでした。
数日前にもテレビの情報番組で「能登半島地震ではボランティアが少ない」「最初の頃に自粛を促されたことでボランティアが遠慮しているんだろう」的なことを言われていたんですが、そんなことはないんですよ。
ボランティアの各グループは何度も各市町村に、ボランティアを受け入れてくれと要請を出しているんです。
でも全く応答がありません。
業を煮やした方々が集団で(連名で)石川県知事宛に「各市町村にボランティアを受け入れて欲しい。そのように働きかけて欲しい」という要請書もだしているそうなのですが、全く返事はないそうです。
ボランティアというのは、やって欲しいという人がいない場所には入れないんですよ。
東日本の時は被災地があまりに広大だったため、押しかけボランティアのようにして始まった場所もあったようですが、今はそうもいきません。
どこで何の仕事をするかもわからない状態で被災地に入るのでは泥棒と区別がつかなくなるんです。
なので、ちゃんとこの家からの依頼があってきましたよという「依頼書」が必要です。
もちろん、個人のツテで数人単位で入るボラもあるでしょうが、その地域の社会福祉協議会の許可のない作業は、怪我をしてもボラ保険の対象になりませんし高速代も実費になります。
近ければそれほど負担にならない高速代も、遠いとそれなりにかかります。
何度も現地に行こうと考えたら費用は安いに越したことはないのですが、そういった許可を出すのも社協の役割ですので、そこで受け入れを拒絶されてしまってはボランティアは無許可の闇ボラ扱いになってしまうわけです。
ボランティアが行くのをためらっているわけじゃありません。
石川県が受け入れをしてくれないのです。
理由は分かりません。
県が主導してボラバスを出しているから各市町村は県に丸投げしているのか、あるいは県に余計なことはするなと言われているのか…。
とにかく「県を通せ」の一点張りです。
県がボラバスを出していると言っても一日30~40人ほどの人数で、ほとんどが個人参加のボランティアです。
その少ない人数を2~3人ずつ各現場に送っているわけですが、大きな家の家財を搬出するのに初心者を2~3人送っても埒があきません。
家財の搬出も解体も、人数は多い方がいいのはもちろんですが、なにより手順を先にしっかり決めて流れ作業でやるのが一番早いんです。
2~3人ではそこまでの量をこなすことも出来ません。
さらに、どういうわけかボランティアを送るのは一般の家庭が優先で事業者は後回しなんだそうです。
つまり、宿泊施設などはボランティア作業の対象外になっていたため、県外から工事業者を受け入れたくても営業を再開することもできず、作業員の方々は毎日金沢などの遠くから通う必要があったそうです。
それじゃ工事などはかどるわけもありません。
そんな中、私達が以前片付けた宿泊施設が、真っ先に作業員の方々を受け入れてくれていたのは本当に良かったと思います。
先日泊まった時も10人以上の作業員の方が宿泊していました。
奥能登の方で作業をしているらしく、私たちより後に帰ってきて私達が起きる頃にはもう出発していました。
本当にご苦労様です。
ボランティアを送るのは一般家庭を優先なんて言っていないで、宿泊施設をまず優先し、作業員が寝泊まりする場所を確保するというのがまず最初にやらなきゃいけないことだと普通に考えればわかることだと思うのですが、石川県がやっているのは常に逆、逆です。
東日本大震災の時も、まず最初に稼働したのは豪華な旅館ではなく作業員用の安い宿泊施設でした。(私達は作業員の方々がお家に帰る土日にそういった施設に泊まらせてもらいましたが、あれもいい思い出でした)
石川県は色々おかしいです。
知事も、県民の方ではなく政権の方を見ているようで、自分の県にあんな酷い被災地があることなど頭にもないのか、木造の「長期に住むことが出来る仮設住宅」を「石川モデル」などといってメディアにアピールしていました。
木造の長期型住宅は東日本の被災地でもうずっと前からあるんですけどね
そんな中、穴水町だけなんとかボラセンが生きていました。
一応、ボラセンの方から依頼も来ましたし依頼者とのやりとりもやってくれていたようです。
ボラセンの近くでは「ボランティアの人達は無料!」といって、焼きそばや生のフルーツを絞ったジュースなどをふるまってくれました。
とっても嬉しかったです。
まあ、ちゃんとボランティアのニーズと仕事があればボラは行くのですから、本当は普通のことなんですけどね。
とはいえその穴水町も、ほんのひと月前(友人が2度目に石川入りした時)にはまだまだうまくいっていなかったようで、ボラセンから要請があったから行ったのに、行ってみたらお願いされたのがチラシの配布だったそうで…。
普通ならそういったことは終わらせて、依頼を受け付けてからボラを派遣するものなんですが、そこまで手が回っていなかったんでしょう。
それでも、ボランティアを受け入れてくれてるだけまだいいんです。
他の地域はボラの受け入れすらしていません。
これが石川県の現状です。
人手が足りないのかノウハウがないのか予算がないのかやる気がないのか、そのすべてなのか…。
なんにしても、東日本大震災より地域的には狭いので、あと数ヶ月である程度の仕事は片付くんだと思います。
そこからはただひたすら解体です。
ボランティアの受け入れ態勢がちゃんとあれば、きっともっとボラは行くと思います。
法律の問題で以前のように大型バスを出すということはできなくなりましたが、鉄道も動き始めましたし道路の整備も進んでいます。
もう少しだけ、頑張って欲しいと思います。
以上